■EMPTY
師走の声を聞いた途端、仕事が急に忙しくなった。終電に間に合えば相当ラッキーで、ほぼ毎日、日付が変わってから帰宅する生活になった。
それどころか二週目に入ってからは会社に泊り込むことさえあり、ゆっくりと手塚と過ごす時間はおろか、顔さえまともに合わせられない。

更に間の悪いことに、手塚の家族が次々と風邪で倒れてしまい、手塚は急遽自宅に戻ることになってしまった。
こういうことは重なるものだ。手塚と会えない毎日はひどく味気ないが、それを実感している暇も無いほど忙しい。仕事のおかげで寂しさを感じないで済むのがありがたいといえば、負け惜しみに聞こえるだろうか。
多分、そうなんだろうと俺は短い休憩時間に手塚へのメールを打ちながら、苦笑いを受かべていた。


そんな生活が1週間以上続くと、体力には自信のある俺もさすがに疲れを隠せなくなってきた。帰りのタクシーの中でも気を抜いたら寝てしまいそうになる。なんとかそれに耐えて、タクシーを降りたときには、時刻は3時を回っていた。
いつもの癖で自分の部屋の窓を見上げると、誰もいないはずの場所に灯りがついていた。
どうして、と疑問に思いながらつい足早にマンションの中に入った。

手塚が今日帰ってくるなんて、俺は聞いていない。
まさかと疑ってみるが、部屋に灯りがついている理由は他に考えられない。
俺はドアの前で少し考えてから、自分で鍵を開けた。
例え手塚が帰っていたとしても、この時刻なら寝ている可能性が高いと思ったからだ。

静かにドアを開けると、玄関に手塚が履いていったはずの靴があった。
これで間違いない。手塚が帰ってきている。
手塚がいるとわかった途端、顔が笑ってしまうのを止められなくなった。

リビングは真っ暗で、案の定手塚はいなかった。
手塚がいるのはベッドルームだ。
そう確信して、俺はコートを脱いでからドアのノブを注意深く回した。

部屋の中は煌煌と灯りが付いていて、その眩しさに俺は少し目を細めながらベッドに近づいていく。
俺の目に映るのは、ベッドの上で読みかけの本を手にし、眼鏡をかけたまま眠る手塚の姿。
これは何度も見たことのある光景だ。

あるひとつのこと抜かせば、だが。

俺はくすりと笑ってからベッドの橋に腰を下ろす。
そして、ネクタイを緩めてから手塚の肩に手をかけた。
「手塚」

手塚は深く眠っていた。
手にしていた本を抜き取り、そっと頬に触れても眼を覚ますことなく規則的な呼吸が続く。

俺は手塚を驚かせないように、なるべく静かに名前を呼んだ。
「手塚、起きて」

やっと手塚の睫毛が微かに動き、小さな声がした。
「…ん」
覗き込む俺の目の前で、手塚は何度か瞬きをしたあとでようやく目を開いた。
「ただいま」
俺が笑うと、条件反射のように手塚も答えた。
「…おかえり」

それから少しの間が開いて、手塚の表情が急に変わった。
身体を起こしてから低い声で言った。
「どうして…いるんだ」
手塚は本気で戸惑っていた。その理由は俺にも納得が行く。
今日の昼間、俺は手塚に「今日も会社に泊まり込みだ」とメールを打っていた。それに対する手塚からの返信は「あまり無理するな」という簡潔なものだった。

「思ったより早く片付いたんでね。駄目か?帰ってきちゃ」
「…そんなことはないが」
手塚の言葉は歯切れが悪く、俺と目を合わせようとしない。
顔にはハッキリと困惑が浮かんでいる。

だけど顔に現れているのは困惑だけではなくて。

「それより、教えてほしいことがあるんだけど」
俺の問いから逃れるように下を向いた手塚の耳が赤くなっている。
これはこの先の俺の言葉に想像がついている証拠だ。

「…どうして手塚は俺のパジャマを着ているのかな?」
そう言った途端、手塚の顔は一層赤く染まった。

今、手塚が着ているのは俺が着て寝たパジャマで、今朝ここで脱ぎ捨ていったままのものだ。どうみても洗濯しなおしたようには見えない。
潔癖症に近い綺麗好きの手塚が、どうして他人が一度袖を通して寝たものを着るのか。
それを聞かせてもらうのは、パジャマの所有者には当然の権利だと思う。

「ここにあったからだ」
「答えになってないよ」
手塚用の洗濯が済んだパジャマだって手の届くところにあるのだから。
不機嫌そうな顔を作って誤魔化そうとしている手塚に、俺はにやりと笑って見せた。
「俺に内緒で帰ってきて、俺のパジャマを着て寝る理由が聞きたいんだけどな」

「内緒にしたわけじゃない。夕方になってから家族がもう帰っていいと言い出したから、そうしたまでだ」
「なるほどね。じゃこっちは?」
俺を睨みつける手塚の肩に手を掛けてから、パジャマの襟元を軽く引っ張った。
「理由なんか…ない。たまたまだ」
口調は怒っていても、顔はまだ赤いままで迫力は欠片も無い。

「返せばいいんだろう?」
俺がニヤニヤと笑っていると、流石に頭にきたのか、手塚はパジャマのボタンに指をかけた。
「待って。脱がなくていい」
脱ごうとする手塚の手を止めて、俺は軽く肩を抱いた。
「勿体無いから脱ぐなよ」
「何が勿体無いんだ」
憮然とした声に俺は笑った。

「手塚の全身を俺が包んでるみたいで嬉しいんだ」
俺がそう言うと、手塚は俺の顔を少しの間見上げてから黙って目を伏せた。
俯く手塚の耳はまだ赤い。

「とにかく寝よう。眠くて眠くて死にそうなんだ」
服を脱ぎ始めた俺を見て手塚が口を開いた。
「お前は何を着るんだ?」
「俺は裸でいいよ。もう、何か着るの面倒だ」

俺がベッドに潜り込むと、手塚は自分の眼鏡を外してから俺のために場所を空けた。
「手塚にパジャマ譲るから、替わりが欲しいんだけど」
「お前は今、何も着ないと言ったじゃないか」
眉を顰める手塚を俺はそっと引き寄せた。

「朝まで俺のこと抱きしめてて欲しいな」
駄目かなと俺が言うと、手塚は黙って俺の背中に手を回した。
約一週間ぶりに抱き合った手塚の髪から、いい匂いがした。

手塚の全身を俺の体温が移ったパジャマが包み込み、その上から更に俺が抱く。
そして手塚が重なるように俺の身体を抱きしめてくれて。

これだけ強く抱き合えば、切れかかっていた手塚の成分がもう一度俺の中を満たしてくれるはずだ。
そうすれば、きっと俺は朝までぐっすりと眠れるだろうと思う。

もしかしたら、手塚の夢を見ながら。

それを楽しみにして、俺は目を閉じて眠りについた。
傍らの暖かさを大切に胸に抱きしめて。
2004.12.11
久々のオフリミ。元ネタは絵チャでの話題だったりします。以前、絵チャで「乾が帰ってきたら、手塚が乾のパジャマを着て寝てた」というシチュを書き込んでくださった方がいて、「それは萌える!」と盛り上がったのです。で、いつかオフリミでやろうと心に決めておりました。ああ、やっと書けた!少し前に裏板にそのときの絵をアップしたんですが、覚えてらっしゃるかなー。

恥ずかしいほどのバカップルですな!オフリミはいつもそうですけどね(笑)。タイトルはそのまんまの意味です。一週間離れちゃうと、お互い「手塚切れ」「乾切れ」になってしまって辛いんです。だから「EMPTY」。

あの場で美味しいネタを提供してくださった方々に深く感謝を。少しでも楽しんでいただけたらいいのですが。