■01.パジャマ
普段の行いを良くしておくというのは、遠回りなようでも案外効き目があるものだ。
手塚も俺も学業と部活動の両方でそれなりの成績を残しているので、教師や両親からの信頼はそこそこ厚い。
特に手塚の場合は、生徒会役員までしっかりとこなしているのだから、誰も文句のつけようがない。
だから、ここぞと言うときに適当な嘘をついても、誰にも疑われずに済むのがありがたい。

たとえば、試験勉強があるからだの、今度の試合についてじっくり作戦を練るためだとか言えば、親はあっさりとそれを信じて外泊の許可をくれる。
ここで肝心なのは決して無断外泊はしないってこと。嘘八百でいいからとにかく親にはちゃんと理由を言って了解を得ておく。これが信頼を得るコツだ。そういう地味な積み重ねが、いざというときに大きく役立ってくれる。

明日6月3日土曜日は俺の16回目の誕生日。
今日という日に、手塚が外泊許可を貰えて、そして俺が手塚を呼んでいいという許しがもらえたのはまさに日々の努力のおかげなのだ。
――というのはちょっと言いすぎか。

今日の手塚は学校からまっすぐ俺の家に来るので、部活を終えた後は二人揃って部室を出た。
日は少し傾いて、アスファルトの上には実際よりも少し長い二つの影が伸びている。
手塚が肩にかけている荷物がいつもより膨らんで見えるのは、外泊用の荷物が入っているからだろう。
日々の努力が無駄にならなかったことを、思い切り感謝した。

「本当に良かったのか?」
俺の住むマンションが見える頃になって、手塚は唐突に口を開いた。
「え?何が」
「誕生日に泊まりに来たりして」
「勿論。うちの親なんかかえって喜んでたよ。これで安心して家を空けられるって」

俺の母親は休みのたびに単身赴任中の父親のところに出かけている。
逆に、父親が帰ってくるのは月に一度あるかないかくらい。
さすがに息子の誕生日に一人きりにさせるのは気が引けたのだろう。
金曜の夜から手塚が来てくれると言ったときには、ほっとした様子だった。
安心したついでに、土曜になってからじゃなく前日から出かけることにしたのは俺にしてみれば予想外の幸運だ。

「ならいいんだが」
「大歓迎。嬉しいよ、来てくれて」
俺がそういうと、手塚は一度俺の顔をじっと見てから少しだけ俯いた。
影になった頬と髪に隠れた耳朶がほんのり赤い。
ここがマンションのエントランスでなければ、ぎゅっと抱きしめるのに。
そんなことを思いながらエレベータのボタンを押した。

誰もいない部屋に帰ってくるのは慣れているが、誰かと一緒に帰宅する経験は極端に少ない。
手塚を家に上げてからもなんとなくいつもとは気分が違う。
手塚が泊まりに来た事は何度もあるのに。
それも明日が俺の誕生日だからだろうか。

俺はそわそわした気分を紛らわそうと、早めに夕食の支度に取り掛かった。
手塚にはテレビでも見ていてくれと言ったのだが、やっぱり落ち着かないようで結局二人並んでキッチンに立つことになった。
作るといっても、母親が色々と用意して置いてくれたのであまりすることはなかった。
母親の残していったメモには今夜用と誕生日用のメニューとそれが冷蔵庫のどこに入れてあるかも書いてある。
パウンドケーキを焼いておいたので一晩置いてから食べろなんてことまで指示してあった。

メモに従って夕食を作り、二人向かい合って食事をした。
元々手塚は口数が多い方ではないが、今夜は特に少ないようだ。
食事と後片付けを済ませた後は、もう特にすることもない。
しばらく居間のテレビを見ていたが、どうにも集中できない。
交代で入浴も終わらせてしまうと、本当に何もすることがなくなった。
結局わざわざ狭い俺の部屋に移動して、やっと一息つけたような気がした。
見ると手塚も明らかにほっとしたような顔をしていた。

「この部屋の方が落ち着く?」
ベッドの端に腰をかけた手塚は苦笑まじりに答えた。
「そうだな」
白いTシャツに着替えた手塚は軽く足を組んで片手を後ろについている。
居間では妙に背筋が伸びていたので、ここでは本当にリラックスしているのだろう。
急に会話が弾んだりするわけではないが、話しかけたときの受け答えがさっきまでとはずいぶん違う。
他愛のない話題でもふたりでゆっくりと時間を過ごすのは楽しかった。

しばらく会話を続けていると、存在を忘れきっていた時計から小さな電子音が聞こえてきた。
午前0時を知らせるアラームだった。
「日付が変わったな」
手塚は時計を見つめていた。
「うん」

「…おめでとう」
「ありがとう」
たった五文字の短い言葉を、手塚はゆっくりと噛み締めるように口に出した。
他の誰でもなく、手塚に言ってもらえた言葉は五文字分以上の重みがあった。

「12時も回ったし、そろそろ寝ようか」
いつもの俺ならまだベッドに入る時間ではないが、朝の早い手塚に合わせるつもりで言ってみた。
どうせ明日の朝も朝食前からランニングにつき合わされるのだろうし。

その時の俺は、そうしようとすぐに答えが返ってくるのだろうと予想していた。
だが、手塚は軽く頷きはしたが動く気配がなかった。
「ん?まだ起きてる?」
「いや、そうじゃないんだが」
少し躊躇うような素振りを見せた後で、手塚は思い切った表情で立ち上がった。
そして自分のバッグを開いて、中から四角い箱を取り出して俺の前に差し出した。

「もらってくれるか」
「俺にくれるの?」
「ああ」
多分照れているのを知られたくないのだろう。
必死に無表情を装ってはいるが、頬がわずかに赤くなっていた。
ありがとうと受け取ると、手塚は無言で頷いた。

「実は俺も手塚に渡したいものがあるんだ。受け取ってくれる?」
「え?俺にか?」
「うん。ちょっと待っててくれ」
用意してあったものを机の引き出しから引っ張り出した。
「はい」
立ったままの手塚に渡すと、少し戸惑った表情で受け取った。

「じゃあ、一緒に開けてみる?」
「わかった」
俺は自分の椅子に、手塚にベッドの端に戻るとお互いに受け取ったばかりの包みを開け始めた。
ガサガサという音が静かな部屋に響いた。

「あ」
「え?」

ほぼ二人同時に声が上がった。
俺が手塚に、そして手塚が俺に贈った物。
それは夏物のパジャマだった。

俺が手塚のために選んだパジャマは、ごく淡い水色にグレイのストライプ。
手塚が俺にくれたものは、アイボリーにオリーブグリーンのストライプ。
パジャマの襟の部分についているタグは間違いなく同じロゴが入っていた。
その上、恐らくサイズも同じ。
これはよく似たデザインということではなく、早い話が色違いのお揃いだ。

俺達はしばらく沈黙したあとで、どちらからともなく顔を上げた。
先に口を開いたのは手塚だった。
「…泊めてもらう時はいつもお前のパジャマを借りるから、お礼にと思って選んだんだ」
「俺は、手塚が泊まっていくときにいつも俺のパジャマじゃかわいそうだから、手塚専用にと思って買った」
どうやら考えていることまで、同じようなことだったらしい。

「せっかくだから着てみるか」
「…そう…だな」
お互い目をあわさずに、着替えを始めた。
俺も手塚も薄着だったので、あっという間に完了する。
真新しいパジャマに袖を通した俺達は、黙ったままで向かいあった。

手塚のパジャマ姿を見るのは初めてではない。
なのに、ものすごく面映いのはどうしてだろう。
制服だってテニス部のジャージだって、ある意味お揃いだと言えるのに。

袖を通したのは間違いだったと後悔したいくらいに気恥ずかしかった。
意識すればするほど顔が熱くなる。
手塚も同じ状態なのは間違いなく、長目の髪の隙間から覗く耳が赤かった。
今更もう、脱ごうと言う事すら出来ないし、だからといって無理やり脱がすことも出来そうになかった。

今の自分に何が出来るか必死に考えて、ひとつだけ可能だと思えることが見つかった。
「手塚、目を閉じて」
「…なんだ?」
「俺も閉じるから。早く」
頬を染めた手塚は何度か瞬きした後で静かに瞼を伏せた。

俺は素早く近くに寄って手塚の肩に手をかけた。
そして自分も目を閉じて、手塚の唇にそっと自分の唇を重ねた。
キスくらいなら目を瞑っていても大丈夫。
自信はあったはずなのに、外し忘れたお互いの眼鏡がぶつかって、小さな音を立てたのだった。
2006.06.27
お題提供:ゆーきさん

お揃いのパジャマを着て照れまくる二人というのを映像で思いついて、なんとかその場面を入れたいと頑張って書きました。マシントラブルがあったりして、書き出してから実際に仕上がるまでものすごく時間がかかってます。実作業時間はそうでもないんですが(笑)。

もう完成しないんじゃないかと思いましたが終わってよかった。可愛いお題にふさわしい可愛い話にしたかったんだけど難しかったです。
素敵なお題をどうもありがとうございました。