
「先生って案外可愛い方なんですね」
俺がそう言うと、目の前にいる人は露骨に眉を顰めて不愉快そうな顔をした。
「何の話だ」
「聞きましたよ、僕が休んだ日のこと」
それだけで、この人には何のことかわかったらしい。
更に不機嫌さを増した表情で、俺から目を反らした。
勿論それも予想の範囲内のこと。
なんてわかりやすい人なんだ。
少なくとも、俺にとっては。
少し前のことだ。
「噂には聞いてたけど手塚先生は本当に気難しい人なんだな」
お前も大変だなと、昼食を一緒に取っていた同僚は同情するように言った。
そいつは、つい先日仕事を休んだ俺の替わりに先生のところに原稿を受け取りに行ってくれた奴だった。
どうやらそいつは、先生から思い切り無愛想で冷淡な対応をされたらしい。
先生がそんな態度を取った理由には、思い当たる節がある。
俺は適当な相槌を打ちながら、今にも笑い出しそうになるのを必死に抑えていた。
「ね、先生が不機嫌だったのは僕が約束を破ったからですよね?」
「約束なんかした覚えはない」
確かにあれは、俺が一方的に言ったことだ。だけど先生だってまんざらじゃなかったくせに。
本当に、この人は素直じゃない。
「原稿が上がったら、食事に行きませんか」
俺が切り出すと、先生は切れ長の目を俺に向けて片方の眉を上げた。
「食事?」
「ええ。仕事抜きでゆっくりと」
「…いつだ」
「そうですね。原稿を受け取りに来たその足でってのはどうですか?」
『ついで』に誘うのは失礼かと思ったが、別にそれを気にした様子は無い。
「考えておく」というそっけない返事が返ってきたが、決して断わられはしないであろうとそのときの俺は確信していた。
「あの時はインフルエンザだったんで仕方なかったんですよ。許してもらえませんか」
「だから、何のことかわからないと言ってるだろう」
本当は俺以外の人間が来たことを怒っているんでしょう?と言ってやろうかと思った。
だけど、それを口に出したら多分本気で怒り狂うだろうから。
「お詫びも兼ねて、僕にご馳走させてくださいませんか。和でも洋でも構いません。ご希望があれば言ってください」
俺が笑いながら言うと、先生はふうっとこれ見よがしに大きく息を吐いた。
「店は君に任せる。ただし、静かで落ち着いたところであることが条件だ」
「承りました」
「もうひとつ。必ず禁煙席で」
これはヘビースモーカーである、俺への嫌がらせか?
でも、偉そうな態度を取りながら目元をちょっとだけ赤くしてるところをみたら、それくらいの復讐は甘んじて受け止めようと思った。
可愛い人だな、貴方は。
怒り出すのを承知の上で、そう言ってみるのも悪くないかもしれない。
作家塚、編集乾。仕事中(またかよ)、ふとタイトルが浮かびました。そしたらむずむずと書きたくなりました。きちんと起承転結のある話にする予定はありませんが、ぽつぽつと小ネタくらいは書こうかと思います。
タイトルの「レトロウイルス」は、本当のウイルスの方じゃなくて、コンピューターウイルスの方だと思ってくださいませ。