5cm
「あ、手塚。いいところに来た!」部室のドアを開けたとたん、中にいた菊丸の声がした。
早く早くと手招きされ、手塚は反射的に、言う通りにする。
「ね、あれ届く?」
そう言って、菊丸が指差したのは、ロッカーの上に置いてあるダンボール箱だった。
そこには、普段使わない備品を詰め込んだ箱が、幾つも置いてある。
菊丸は、そのうちのひとつを指差した。
「あれに多分、応援用の横断幕が入ってると思うんだよね」
「そんなものが、今、必要なのか?」
手塚は軽く眉を寄せて、ロッカーを見上げた。
菊丸には少々無理な高さだ。
だが、確かに自分なら届くだろう。
手塚はそう判断した。
「一年が新しく作るっていうからさ、見本に見せてやろうかにゃーって思って」
踏み台代わりに椅子に乗れば、確実に届く高さだが、すでにテニス用の靴に履き替えたので、それを脱ぐのが面倒だったらしい。
手塚は、しょうがないなと思いながら両手を伸ばした。
そこで初めて気がついた。
実際に試してみると、意外にロッカーは背が高かった。
指先は箱に届くのだが、確実に指がかからない。
重い箱を指先だけで持って、下ろすのは無理だ。
左手だけを伸ばせば、もう少し指がかかる。
しかし、押すことはできても箱を前に出すことが出来ない。
「あれ?手塚でも無理?」
菊丸が、残念そうな声をだす。
それが妙に悔しくて、手塚は少しムキになる。
「いや、届いてはいるんだが・・・」
取れないと口に出すのが嫌で背伸びをするが、やっぱり箱は動かない。
「いいよ。手塚、俺椅子持ってくる」
菊丸が部屋の奥にある椅子を取りに行こうとしたとき、部室のドアがまた開いた。
「何やってるんだ?」
振り返ると、乾が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「あ!乾ー!」
菊丸が嬉しそうな声を上げる。
「あの箱取って、取って!」
その言葉で、乾は状況を把握したらしい。
「手塚、無理すると肩痛めるよ」
乾は無表情にそう言うと、どけろと手で合図する。
そして、両腕を伸ばすとダンボールに手を掛けた。
「これでいいんだな?」
菊丸にそう確認すると、軽々と持ち上げ、それからゆっくりと床に置いた。
埃が少し舞い上がった。
あっさりと、いとも簡単に、手塚の前に置かれたダンボール。
「サンキュー、乾。助かったよーん」
菊丸は、埃まみれのダンボール箱を抱え、大喜びで部室を出て行った。
「なんで、お前には届くんだ?」
つい出てしまった低い声に、乾は意外そうな表情を浮かべた。
「だって、俺の方が背が高いから」
「たった5cmだ」
納得出来ない。
手塚はそう思った。
自分が届かなかったところに、なぜあんなに簡単に届くのか。
そして、それがこんなに悔しいと思うことも。
乾は制服を着替えながら、静かな声で応えた。
「俺の方がリーチが長いんじゃないのか?あとは関節の稼動域、が広いのかもしれない」
俺、けっこう身体柔らかいからと、ごく普通の口調で告げてから、手塚の方を振り返った。
着替えもせず自分を睨みつける手塚に、乾はやっと気づいたようだ。
乾はボタンを嵌めながら、唇の端だけで、にやっと笑う。
「負けたと思った?」
「誰が、誰に?」
頭に血が上るのを感じながら、手塚はそれを顔に出さないようにと努力する。
怒っていることを、気づかれたくない。
そんなことを知られると、こいつは大喜びするから。
「…5cmって意外と大きい差だよね」
乾が、わざと笑顔を作る。
間違いなく、手塚の不機嫌な理由に気づいた上でのことだ。
嫌な奴だ、と心のそこから思った。
「うるさい。着替えたんなら、さっさと行け」
手塚のイライラした様子を見て、更に乾は嬉しそうな顔をする。
「本気で怒ってるの?」
乾が出来て、自分が出来ない。
たった5cm、背が低いだけで。
そんなことが、どうしてこんなに悔しいのか。
そんな手塚を見透かしたように、ニヤついている目の前の男が、むかむかするほど腹立たしい。
手塚が乾の嫌味な笑顔から、目をそらした瞬間。
それを待っていたように、不意に肩をつかまれた。
顎に手を掛け、強引に手塚を上を向かせれると、すばやく額にキスをひとつ。
一瞬の早業。
「…乾」
怒りに燃えた手塚の目を見て、乾は笑いながら身を翻した。
「じゃ、先に行ってるから」
悪びれずに手を振ると、乾はそのまま部室から出て行った。
大嫌いだ。
あんな奴。
5cmの差を見せつけるように、わざと額にキスをするような。
手塚は顔が火照っているのを意識しながら、額に残された唇の感触を消そうと、手の平で何度もこすってみる。
だけど、それを残した本人の性格をそのまま映したように、いつまでも手塚の額から、消えてくれはしなかった。
甘く疼く傷のように。
2003.9.16
今までテキストのタイトルはずっと自分の持ってるCDの中から好きな曲を選んできましたが、もう止めようと思います。最近、かなり無理矢理っぽくなってきてたし、自分ルールで自分が不自由になるのもばかばかしいので、本当にこの曲がいいなって思えたときだけにします。あー、少し気が楽になった(笑)
で「5cm」。乾塚サイト様を回ると、この身長差に萌えてる方が本当に多いことがわかります。私もその一人(笑) だからタイトルはそのまんまストレートに「5cm」にしました。それにしても、アタシの書く手塚はバカ丸出しだよなあ・・・。