コーヒー
「手塚、コーヒー飲まない?」手塚が乾の家を訪れると、乾は必ず手塚にそう尋ねる。
「コーヒー」が「紅茶」になったり、「緑茶」になったりすることはあるが、とにかく乾は必ず「お茶の時間」を取るのだ。
そして今日はコーヒー。
「すごく美味い豆が手に入ったから」
「ああ。いただく」
「じゃあ、豆挽くとこからやるんで、時間かかるけどいい?」
「かまわない。ゆっくりやってくれ」
手塚がそう答えると、乾は嬉しそうに笑って「じゃ、期待してて」と立ち上がった。
乾は基本的に凝り性で、サービス精神も旺盛だから、乾の淹れるものはなんでも美味しいと思う。
一度、乾がコーヒーを落とすところを見せてもらったことがある。
おそらく、かなり本格的な手順を踏んでいるのだということが、素人なりにもわかった。
飲む分だけをその都度ミルで挽き、ペーパーフィルターではなく、ネルでドリップする。
お湯を注ぐ銀のポットも専用のものらしく、注ぎ口が細い綺麗な形のものだ。
それを使って、コーヒーを淹れる様は、なかなか堂に入ったもので、密かに感心したものだ。
もちろん、豆そのものや、お茶の葉にもかなりこだわる。
産地、銘柄、取れた時期。ファーストフラッシュという言葉を教えてくれたのも乾だ。
その凝り具合に少々呆れて「将来は喫茶店経営か?」と言うと「これはあくまで趣味だよ」と笑う。
悔しいが、少し格好いいと思ってしまった。
ドアの向こうから声がした。
「ごめん、手塚。ドア開けて」
それを聞いて、手塚がドアを開く。
乾と共にコーヒーの香りが、一気に入ってくる。
「喫茶乾です」
そう言いながら、自分の机に鈍い銀のトレーを置く。
その上には、チャコールグレーの角張ったデザインのカップとソーサーが二つ載せられていて、いい香りをさせている。
二人とも、コーヒーはブラックで飲むので、砂糖もミルクもない。
そのかわりに、綺麗にカットされたチーズが乗った、白い皿があった。
「これは、ブリーだよ。コーヒーに合うと思うんで、持ってきた。いい熟成具合だからぜひ食べてみてくれ」
そう言って、手塚にコーヒーカップを手渡した。
そつがない。
とてもただの高校生とは思えない言動に、手塚はこっそりと苦笑する。
「いただきます」
そう言ってから、入れたてのコーヒーを一口飲む。
「美味い」
「ほんと?よかった」
乾は嬉しそうに笑った。
コーヒーはお世辞抜きで美味かった。
強い香りに負けない、濃い味わいで、苦味と酸味のバランスがいい。
「手塚、酸味の強すぎるコーヒー好きじゃないだろう?普通この豆は、結構酸味が強いんだけど、ここの店のオリジナルブレンドは、あまり酸味が立ってないんだ」
手塚の顔を見ながら説明する乾は、少し得意げだ。
「絶対、手塚の好みだなと思ってた」
手塚は少しだけ、眉間にしわを寄せた。
「そんなことを、口にした覚えがないんだが」
「聞かなくても、見てりゃわかるよ」
「……そんなデータまで集めてるのか?」
「まあね」
目の前の男は、澄ました顔でそう答えた。
「そんなデータ、何に使うんだ」
「手塚を喜ばせるために」
乾は白いチーズを一枚つまむと、手塚の前に差し出す。
「手塚が美味しそうな顔してると嬉しいからね」
これは、早く食べろと催促してるわけか?
手塚は、目の前のチーズを、手に取らずに直接一口かじってみた。
「美味しい?」
乾が、かすかに唇のはしを上げて聞く。
「…美味い」
期待通りの答えを言うのは、少し抵抗があったが、嘘を言うわけにもいかない。
乾は、にっこり笑って言った。
「それが聞きたいわけ」
「自分で言ってて恥ずかしくならないか?」
「ならないよ。本当のことだし」
そう答えて、乾は手塚が半分かじったチーズの残りを、自分の口に運んだ。
「下心ありだけどね」
にやりと笑った顔は、吐いた台詞によく似合っていた。
食えないやつ。
半分呆れて、半分感心する。
入れてもらったコーヒーが冷めないうちにと、手塚はまたコーヒーを飲む。
悔しいけれど、やっぱり美味い。
味も香りもそうだが、選んだカップまでが自分の好みだ。
自分には、絶対に出来ない芸当だと思う。
そうやって与えてくれる、気持ちのいい時間を素直に味わおう。
喜ぶ顔が見たいというなら、たまには見せてやるのもいい。
「乾」
「ん?」
「また、そのうちにコーヒーを飲みに来ていいか?」
その言葉に、乾は満足そうに目を細める。
「いつでも、お待ちしております」
もう、コーヒーはここでしか飲まないかもしれない。
こんな自分好みのコーヒーを出してくれるところは、他にないから。
乾の少し苦いキスを味わいながら、手塚はそう確信していた。
2003.4.4
タイトル元ネタ 奥田民生 「コーヒー」
民生はコーヒーが嫌いです。ファンには有名な話。そんなことはどうでもいいんですけど。
これは実は「お茶の時間」というshuW氏との競作テーマで書いたものなんですが、落ちが決まらなくて、しばらくほったらかしにしてました。
前半ダラダラしすぎちゃって、あとが続かなくなった。ダメっすね。いきあたりばったりは。(でもほとんどが、それなんだけど)結局最後はイチャイチャかい!と己にツッコミをいれてみる私です。
2003.9.1追記
なんとなく出すタイミングがつかめず、寝かせてた話。基本的に乾は、サービス過剰気味だといいな。たまに手塚に「うざい」とか言われると楽しいなあ。不二にも「僕もそう思う」とか言われて欲しい。基本的にリョーマは乾に近寄らない。くす。