一等星

「手塚、今日が何の日か知ってる?」
「お前は俺を馬鹿にしてるのか?」

疑問に対して疑問で返してしまった。
あまりに、ふざけた質問だったから。

「いくら俺でも今日が七夕だという事くらい知っている」
折畳みのテーブル越しに睨みつけると、乾はとぼけた顔で謝った。
「それは失礼」
物で溢れかえった乾の部屋にはあまり余分な空間はなく、そこに無理矢理テーブルなんかを置くものだから、なおさらに狭苦しい。

今週の頭から期末試験に突入し、一緒に勉強しないかという誘いを受けて、放課後乾の家に寄った。
窮屈な姿勢に我慢なしながら教科書を開いていたら、唐突に乾が口に出した質問がこれだ。
毎朝自室のカレンダーを見るのは子供の頃からの習慣だし、テレビのニュース番組でもその話題が出ていたのだから、今日が七夕であることを気づかずにいられるほうが、どうかしている。

「七夕祭の由来も知ってる?」
「元は中国の伝説だろう」
そう答えると、乾はにやりと笑って先を続けた。
「そう。万葉集にはすでに七夕の歌が載っているから、もっと先の時代に伝来したんだね。織女をオリヒメもしくはタナバタと名づけ、牽牛には相当する言葉が無かったから男の敬称であるヒコボシと名づけた。平安に入ってから、宮中の年中行事として定着したらしい」
理系のくせに、乾はやけに細かい説明をスラスラと口に出した。

「こと座のヴェガとわし座のアルタイルの二つの一等星が、天の川を挟んで瞬くのをそうやって見立てたのが始まり。昔の人は想像力が豊富な上に眼が良かったんだね」
乾は持っていたペンを置いて、にっこりと笑った。

「もう少し暗くなったら屋上で星を見ないか?」
「俺は目が悪いから、きっとどれが織姫で彦星かなんてわからないぞ」
「それはお互い様。なんなら俺が小学生のとき使ってた天体望遠鏡を貸してやろうか?月のクレーターも見えるよ」
「結構」
断わると乾は声を上げて笑った。
一体何がおかしいのかは知らないが。


外が暗くなった頃、乾の後をついてマンションの屋上に向かった。
「こんな時間に上がっていいものなのか?」
「構わないよ。それに、多分俺達以外にも人がいると思う」
屋上に通じるドアを開けると、乾が言った通り、既に何人かが空を見上げていた。
中には双眼鏡や望遠鏡をを覗いている者もいる。

乾は知った顔があったのか、軽く頭を下げて挨拶してから、手招きをした。
「手塚、こっち」
ほら、と指差した空には沢山の星が光っていた。
「あれがヴェガ、こっちがアルタイル」と教えてくれたが、自分の視力ではハッキリとは確認できない。
「お前には見えるのか?」
「ちゃんと見えなくてもわかる。子供の頃は天文少年だったから」
そう言って、少し照れくさそうに笑った。

お前は一体いくつ趣味を持っていたのかと、問い質してやろうかと思った。
自分が知ってるだけでも、化石収集だのピンホールカメラだのアマチュア無線だのと、上げたら切りが無い。
いちいち口にだすのも面倒で、黙って乾の指先を見つめていた。

「やっぱりここじゃよくは見えないね。空が明るすぎるんだ」
乾は残念そうな口調で言った。
「山の上から見る星はすごいぞ。空気が綺麗だし、人工の明かりが無いからな」
「ああ、だろうね」
「見たいなら連れて行ってやるが」
「手塚の行くような山に俺が登れるわけないって」
そう言ってから、乾はにやりと笑う。

「それに俺はインドア派だから」
「部屋の中じゃ、星は見えないだろう」
「そんなことはないよ」
「窓から見る風景なんてたかが知れてる」
「プラネタリウムなんてものもあるじゃない」
「確かにあるな」
「今度の日曜、どうかな。試験も終わってるし」
「…何の話だ?」
思わず隣りに立つ乾の顔を5センチ分見上げると、乾は真顔で言った。

「手っ取り早く言うとデートのお誘い、かな」
ふざけた台詞に唖然とした。
もしかして、こいつはそれを言いたくて今日家に呼んで、七夕の話題を出し、屋上に上がって、星空を仰がせたのか?
回りくどいにも程がある。

ただ呆れて黙っていると、乾は少し首を傾げて言った。
「で?返事は?」
「その日が暇だったらつきあってもいい」
「わかった。当日の朝に電話するよ」
乾はそれ以上何も言わずに、ただ笑っていた。

きっと乾は百も承知なのだ。
俺がその日、何の予定もないってことくらいとっくに調べがついてるんだろう。
乾のくすくす笑う顔から目を逸らして見上げた空には、さっき乾が教えてくれた二つの一等星が瞬いているのが、はっきり見えたような気がした。


2004.07.07

七夕話です。きっと乾はプラネタリウムが好きだろうと思う。星の名前にも詳しいでしょう。

文中の七夕の記述は「野尻抱影」の本を参考に書きました。ご存知でしょうか?野尻抱影。冥王星の命名者なんですよ。
読んでくださった方ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。