真昼の星

汗が、次から次へと噴出す。
顎をつたい、足元にぽたりと落ちていく。
着ていたシャツは色を変え、重たく身体に張り付く。

視界が白く霞む。
肩で息をしながら、目を閉じる。
瞼の裏で、星が点滅するように光がちらつく。
肌はジリジリと焦がされているように熱いのに、皮膚一枚隔てた内側が、どんどん冷えていく気がした。

ああ、貧血か。
ぼんやりと、考える。
足元が、少しふらつく。
ここで倒れるのは、ちょっとやばい──。

乾は壁打ちをするのを止めて、ボールをポケットの中に押し込める。
なるべくゆっくりとフェンスの前まで歩いていくと、そのままずるずるとその場に座り込んだ。

動悸が収まるのを、目を瞑って待つ。
まだ瞼の裏側がチカチカして、かえって目が回る。
手を伸ばして、バッグの中からタオルを取り出し頭にかけた。
視界を遮ると、少し安心する。

蝉の声が遠くから聞こえてくるる。
なんていう蝉だったかなと、ぼうっと考えた。
いつもなら、すぐに名前を思い出せるのに、今はまるで出てこない。

目の前が、ふと暗くなった。
「こういう日は水分をちゃんと補給しろ」
聞きなれた、低い声がした。

タオルを外して顔を上げると、不機嫌そうな顔をした手塚が立っていた。
濃い色の空を背に、青みがかった薄いグレーのシャツが、幾分かすんだ目に映る。
そこだけが、やけに涼しげに見えた。

「顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
そう言ってスポーツドリンクのボトルを乾に向かって差し出し、手塚もその場に腰を下ろした。

「ありがとう」
乾は笑いながら、それを受け取ると、そのまま自分の首の後ろに当てる。
「冷たいね」
「今、そこの自販で買ってきたからな」
手塚は、顎をくいっとその方向に向ける。
乾は、この炎天下に汗ひとつかかない涼やかな横顔を、不思議な気持ちで眺めた。

「温くなる前に飲め」
いつもの命令口調に笑いながら、乾は言われた通り、ペットボトルのキャップを捻り口をつけた。
独特の甘い味が、口内に広がる。
少しずつ口に含んでいるうちに、軽い吐き気が収まってきた。
脱水症状を起こしかけていたのかなと、今、気づいた。

「落ち着いたか?」
「うん。ありがとう」
手塚の方に頭を倒すと、つんと消毒用のアルコールの臭いがした。
「…なんて言われた?」
乾の問いに、手塚は顔色を変えずに答える。
「特に問題はない。背中が少し張っているからと、針を打たれた」

手塚は以前肩と肘を壊した経験から、予防をかねて定期的にスポーツ選手専門の
クリニックに通っている。今日もその帰りに、ここに立ち寄ったのだろう。
乾が時々、この場所で自主トレをしているのは、以前から知っているはずだ。
だが、今日ここに来るということを、教えた覚えは無い。

「俺がここにいるって、なんでわかった?」
「なんとなく、だ」

手塚らしくない答えだ。
そう思う反面、自分の手の内は、もうばれていることを自覚する。
それくらい、今、手塚は近い場所にいる存在なのだなと思う。

「お前は…時々無茶をする」
手塚の目が、すっと細くなる。
「普段はあれほど慎重で、理に適ったことしかしないのに」
手塚は何かを伺うような表情で乾を見た。
「なぜだ?」

なぜだろう。
自分に問い掛けてみる。
確かに無性に自分を痛めつけたい衝動に駆られることがある。

体力の限界を超え、重くなる肉体。
麻痺する思考。
狭くなる視野。

そこまで自分を追い詰めたときに訪れる、意識が肉体から乖離していくような感覚。
なにもかも突き抜けて、自身が空白になっていく瞬間。
それが好きだ。

「…ランナーズハイってやつかな」
意識して、微笑みながら答えた。
「脳内麻薬成分が出てくる感じ。あれが好きなんじゃないかな」
胡散臭いものでも見るような手塚の顔が、ちょっとおかしい。

「手塚はそういうことない?」
「ない」
キッパリとした答えに、心から納得する。
手塚は、そんなことを楽しむようなタイプではない。
つい、唇の端が上がってしまう。

「それに近い感覚を味わえることが、もうひとつあるんだけどね」
乾は、残っていたペットボトルの中身を、一気に飲み干した。

「なんだ?」
聞き返す手塚の耳に、顔を近づける。
そこまで近づいて、首のあたりにうっすら汗をかいてるのがわかった。
ほとんど日に焼けていない、白い肌。
目の毒だと思いながら、肩に手をかけて低い声で囁いてみる。

「手塚とやってるとき」
あっという間に、目の前の首が赤く染まっていく。
顔を上げると、思い切り自分を睨みつける手塚と目が合った。

「…そういうことを外で言うな!」
手塚はいきなり立ち上がり、乾の手を振り払うと、後ろも見ずに歩き出した。

「外じゃなきゃいいのか?」

笑い混じりにつぶやいた乾の声は、多分手塚には届いていないだろう。
肩を怒らせた手塚の後姿を見送りながら、考える。


5分以内に手塚が戻ってくる確率90パーセント。


乾はそう予測して唇の端を上げると、目を閉じた。
瞼の裏では、まだ少しだけ、白い星がチカチカしていた。

2003.10.13

乾はちょっと自虐的な趣味のある人だといいなあと思っています。時々、意味不明な行動をとる。自分なりには意味があるんだろうけど、回りには奇行と受け止められちゃうの。そういう人だと、とてもかわいい。
炎天下でわざとハードなトレーニングをして、酩酊感を楽しむ乾。そういうのを書きたかった。
手塚は何しに出てきたのか。理由はなくても、とにかく手塚を無理矢理にでも出す。それがポリシー。