Oriental Sweets
人通りの少ない、閑静な住宅街に手塚の家はある。このあたりは、どの家も古めかしい立派なつくりの伝統的な日本家屋ばかりだ。
時代劇に出てくる武家屋敷のようだと、ここに来るたび乾はそう思っていた。
その中でも、ひときわ風格のある、大きな門構えの邸宅。
それが、手塚家だ。
「何度来ても、この門の中に入るのは気後れするよ」
「大袈裟だな」
乾のセリフに、手塚は表情を崩すことなく答える。
「俺みたいなマンション育ちには、そう思えるんだよ」
笑いながらそう告げると、手塚はそんなものかと言いたげな顔をした。
玄関に入ると、手塚の母が出迎えてくれた。
「いらっしゃい、乾さん」
「お邪魔します」
乾は、ゆっくりと頭を下げる。
「先日は、どうもありがとうございました」
乾は三日前のクリスマスに、わざわざ手料理を差し入れてもらった礼を言った。
そして、お返しのつもりで持ってきた和菓子の詰め合わせを、手渡した。
手塚家では何が喜ばれるかは、事前にリサーチしてあるので、外してはいないだろう。
「じゃあ、お茶を入れたときにいただきましょうね」
手塚の母はおっとりと笑った。
いかにも優しげな表情は、どうやら手塚には遺伝しなかったらしい。
もう一度頭を下げて、そのまま手塚の部屋に行く。
久々に訪れた手塚の部屋は、相変わらず塵一つなく、見事に整頓されていた。
「殺菌済みって感じだな」
「何を馬鹿なことを言ってる」
手塚は着ていたコートをハンガーに掛けながら、鼻で笑う。
「これが普通だ。お前の部屋が異常なんだ」
「それは…否定しない」
自分の部屋が散らかりすぎだということは素直に認めるが、この部屋も決して普通ではないと思うのだが。
「これが、そのパソコン?」
乾は、手塚の机の上に置かれた新品のノートパソコンを指差した。
「そうだ」
「じゃ、早速やりますか」
手塚は部屋の隅に立てかけてあった、折り畳みの椅子を自分の椅子の隣に置く。
ここに座れという意味だろうと思い、素直にそこに腰をおろした。
「パソコンの電源入れて」
乾の指示に従い、手塚は電源のボタンを左手の人差し指で押す。
「手塚のメールアドレスはもうあるの?」
「ある」
答えると机の引き出しを開けて、アドレスを記載してある紙を取り出した。
「よし。じゃ、さっそくインストールしよう。さっき買ったソフト出して」
手塚は、大手の家電量販店のロゴが入った紙袋から、ガサガサ音を立てながら紙の箱を取り出した。
あっけないほど軽い黄色の箱は、有名なウイルス対策用のソフトのものだ。
乾の薦めで、手塚の家に来る前に、一緒に買ってきたばかりだった。
つい三日前の夜のことだ。
ひとりで過ごすはずだった退屈なクリスマスイブ。
それを、少し甘くて幸せな日にしてくれたのは、手塚だった。
今思い出しても、くすぐったい気分になる。
二人で生クリームを買いに行くなんて、もうこの先ないかもしれない。
そう思うと笑えて来る。
あの夜、手塚が両親からノートパソコンを贈られた事を聞き、そういったことに殆ど知識のない手塚の為に、これだけは必要だからとウイルス対策用のソフトを買うことを薦めたのだ。
箱を空けて手塚が中味を確かめている間に、乾は自分のリュックの中から同じような大きさの箱を出す。
それは手塚に会う前に、こっそり乾が用意しておいたものだった。
「これは俺からのプレゼント。遅くなったけど」
驚いた顔で顔を見返す手塚に、乾は小さく笑う。
「たいしたものじゃないから。俺が使ってるのと同じメールソフト」
「いいのか?」
「うん。安いけどいいソフトだよ」
少し黙ったあとに、手塚は視線を外してから小さな声で言う。
「ありがとう」
それは照れくさいのを隠すときに見せる、手塚のいつもの癖だ。
「先にこっちをインストールしよう」
箱を開けて、CDロムの入ってるケースを取り出し、手渡してやる。
「簡単だから、自分でやってみて」
乾がそう言うと、手塚は少し不安げな顔で頷いた。
手塚がマニュアル片手にソフトのインストールをしている横で、乾はその真剣な表情を浮かべる横顔を見つめていた。
手塚が乾の家にくることはしょっちゅうだが、乾が手塚の家に来たことはあまりない。
中学の頃を含めても、今日を入れてせいぜい5、6回だ。
初めてきたときは、とても10代前半の男の部屋とは思えない整理整頓ぶりに、ずいぶん驚いたものだ。
乾の部屋にいるときの手塚は、普段では見ることの出来ない顔を見せてくれる。
特に、無防備に晒される寝顔を見られるのが、嬉しかった。
だが、面白いことに、乾が手塚の部屋にいるとき。
手塚は、なぜかいつも少し緊張している。
あまり笑わないし、なんとなく肩に力が入っている気がする。
なぜだろう?
この部屋で、俺が手塚に何か悪さをするとでも思っているのだろうか。
そんなこと、するわけないのに。
あれは、あの場所だけで許される行為で、それが俺の中のルールだ。
それに手塚は気づかないのだろうか?
それとも、自分だけの居場所に他人を入れることに、慣れてないのだろうか。
いずれにしろ、こんなに優秀な頭と美しい容貌に不似合いな不器用さを持ち合わせている手塚という人間が、愛しくてたまらない。
乾は手塚に悟られないように、静かに微笑んだ。
部屋のドアがノックされ、その向こうから声がした。
「お茶ですよ」
すぐに手塚が席を立ち、ドアを開ける。
「乾さんからいただいたお菓子もあるから、どうぞ」
にっこりと笑う手塚の母に、乾は軽く頭を下げた。
「あ、すいません。お構いなく」
「どう?上手くいってる?」
母からの問いに、お盆を受け取りながら生真面目に答える。
「なんとか」
「じゃあ、頑張ってね」
ふふ、と穏やかに笑ってからドアが閉められた。
「せっかくだから、お茶をいただいてから続きやろうか」
「そうだな」
乾は、ノートパソコンを机の奥の方に押しやり、場所を開けた。
そこに緑茶と乾の持ってきたどら焼きが乗った、お盆を置かれた。
手塚が、どら焼きを手にとり、包みを開けた。
それに口をつける瞬間を、乾は黙ってじっと見つめる。
その視線に気づいた手塚の眉が寄せられた。
「何を見てるんだ」
「手塚が、どら焼きを食べるところを」
「馬鹿か?お前」
「いや、なかなか新鮮な眺めだよ」
手塚は、思い切り不愉快そうに顔を背ける。
「…やめた。お前が帰ってから食べる」
「そんなこと言わずに、今食べてよ」
「まじまじ見られて、喉を通るか、馬鹿!」
「すみません。もう見ないから」
そんなに「馬鹿」を連発しなくてもいいだろうと思いながら、憮然とした手塚の横で、自分の持ってきたどら焼きを食べた。
「さすがに老舗の味だね。甘さが上品」
「…知るか」
「美味しいのに」
笑う乾の横で、手塚は怒った顔で、お茶だけを啜っていた。
四苦八苦しながらも、手塚はなんとかメールの設定を済ませ、続けてウイルス対策のソフトのインストールも終わらせた。
「自分でやらなきゃ覚えない」という乾の言葉に、素直に従った結果だ。
機械音痴だろうとは思っていたが、頭が悪いわけではないから、時間はかかっても大きく間違えることはない。
「手塚、思ったより出来るじゃない」
「お前、よっぽど俺を馬鹿にしていたな?」
「まあね」
正直に答えると、横目でじろりと睨みつけられた。
「じゃ、メールがちゃんと出せるかテストしよう」
「どうやればいいんだ?」
「まず、自分に出してみて」
手塚は言われるままに、デスクトップのメールソフトのアイコンをクリックする。
「新規メッセージをクリックして、ここに手塚のアドレスを入れる」
ぎこちない動きで、アドレスが打ち込まれている。
それから乾の言うとおりに、手塚がクリックしたり文字を打ったりして、やっとテストのメールを受信できた。
「うん。大丈夫だ。じゃ、今度は俺の携帯に出してみて」
「携帯を確かめないと、お前のアドレスがわからない」
「面倒だな。ちょっと俺に打たせて」
パソコンの向きを変えると、さっさと携帯のアドレスを打ち込む。
そして、もう一度手塚の方に向きを変えてやる。
「はい。あとは自分でやって」
推定、乾の10倍以上の時間がかかった一通のメールが、乾の携帯に届いた。
件名が「テスト」、中味も「テスト」の三文字。
少しはひねろよ、と思ったが、手塚相手に言っても無駄なことだろう。
そう思いながら、手塚のメールアドレスを携帯のメモリに登録する。
「じゃ、今度は俺が携帯から出すよ」
「今?」
「うん。ちょっと待ってて」
乾は、手塚から少し離れたところに椅子をずらして座り、素早くメールを打った。
手塚がやたらと真面目な顔でパソコンの画面をみつめているのが、おかしくてしょうがなかった。
「打った。確認してみて」
「ああ」
手塚は、さっき言われたことを忠実に再現する。
カチッとクリックした音がした。
そして、届いたメールを静かに読んでいる。
手塚はしばらくじっと画面を睨んでいたが、ゆっくりと口を開いた。
「乾、メールを削除したいときはどうするんだ?」
「メールを選んで、右クリックで削除…って俺のメール捨てる気か?」
「当たり前だ」
「なんで?ひどいなあ」
「こんなメール、とっておく価値があるか」
乾は笑いながら、手塚の傍に近寄っていく。
怒った表情の手塚の頬は、少しだけ赤い。
『俺の前でだけは、もう少し油断してくれないかな?』
それが乾からのメールだった。
「それ、俺の本音なんだけどな」
「黙れ」
「ほんとに捨てる気?」
手塚の肩に手を乗せると、ぴくりと身体が動いた。
これが、この部屋で可能なギリギリのスキンシップだ。
「俺からの一通目のメールだよ。とっておいて欲しいな」
こう言えば、手塚はきっとこれを捨てない。
思ったとおりに、手塚は仕方なさそうに小さく息を吐いた。
「…いつでも消せるからな、今は、とっておいてやる」
「うん。ありがとう」
「そのうち削除するからな?」
「いいよ」
薄い肩に手を置いたまま、乾は微笑む。
おそらく手塚は、そうはしないだろう。
そして今度乾の家にきたときには、少し油断したふりくらいしてくれるかもしれない。
ちょっと甘い期待をし過ぎだろうか?
暖房の効いた暖かいこの部屋で、きっと自分は少しのぼせているのだろう。
乾はそう理解していた。
2004.1.15
「Bitter Sweet」の続きです。だから「Oriental Sweets」。甘い物つながり。和菓子っぽいタイトルにしたかったの。でもオリエンタルスイーツってどちらかというと中国ぽい?
これは「どら焼きを食べる手塚」と「自宅に乾を呼ぶと手塚は緊張している」っていうのを書きたかったんだな。
それと、乾が手塚に贈ったメールソフトは私が普段愛用してるものです。「ユードラ」ってソフト。Outlook嫌いなんだ。