Rain Drop
ガラス窓にあたる、雨の音がした。カーテンを少し引いて、ちらりと外を見ると、降りだしたばかりらしい雨が、白く後を引くように窓を濡らしていた。
目が悪いかわり、耳はいい。
大抵人より早く、雨の音に気づく。
手塚はこの雨に気づいてるだろうかと、乾はベッドの方を振り返った。
手塚は、乾自身は滅多に着ることのない、細いストライプのパジャマに袖を通している。
自分が着た時より少し大きく見えるのは、手塚が自分より細い証拠だ。
まだ乾ききっていない艶やかな髪をかきあげ、ミネラルウォーターのボトルに口を付けている。
水を飲み込む喉の動きに、目が奪われた。
乾の視線に気づいて、手塚は一旦飲むのを止めた。
「何を見てる?」
「別になんでもない。似合うなって思ってさ」
「似合うって、これか?」
手塚はそう言って、自分の着ているパジャマの襟元を引っ張って見せた。
「うん。俺より似合うよ」
そんなことはどうでもいいとでも言いたげな顔で、手塚はまた水を飲む。
細い喉が、ごくりと水を飲み下すところを見ると、そこに舌を這わせたくなる。
目の前まで歩いていって、そのまま隣に腰をおろした。
「手塚」
名前を呼ぶとボトルを唇から外し、乾の方に向き直った。
唇の端から、一筋水がつたっている。
手塚の手首をつかんで、引き寄せた。
そして、手塚が何か言う前に、その水滴を舐めてやった。
「なん…だ」
「濡れてたから、舐めただけだよ」
こういう時、手塚が本気で嫌そうな顔をするのが楽しくて、ついからかってしまう。
「俺にも飲ませて」
そう言うと、手塚は手にしていたボトルを黙って突き出す。
乾は、残り3分の1ほどの水を、一気に飲み干した。
空いたボトルを机の上に置き、空になった手を手塚の肩に回す。
「雨が降ってきたよ」
「そうか」
手塚は、窓に目を向けようともしない。
そっけない返事は、いつものことだ。
そんなことをいちいち気にしていたら、手塚の近くにはいられない。
むしろ、手塚のそういうところが気に入っているくらいだ。
洗い立ての湿った髪に顔を近づけてみる。
メンソール系の清涼な匂いがした。
さっきまで流していた汗の匂いなどどこにもなく、さらりとなめらかな肌の感触が指に心地いい。
触れた頬は、既に少し冷たくなっている。
細いフレームに手を掛けようとしたら、それは手塚に阻止された。
「嫌なの?」
手塚は煩わしそうに顔を背ける。
「髪を乾かすから、手をどけろ」
はいはい、と言われるままに手を下ろした。
こういう時の手塚には、逆らわない方がいい。
構いすぎると、本気で帰り支度をしかねない。
見事なほどに一瞬で怒りだす。
どんなに懐いたように見えても、機嫌を損ねると、本気で爪を立てる猫のようだ。
「お前も風呂に入ってきたらどうだ?」
「もうちょっと後でいい」
風呂上りの手塚を、もう少し見ていたい。
そう口に出せば、嫌な顔をするのはわかりきっているので、一応黙っておく。
髪を乾かすなんていう、ごく日常的な光景を見られること自体が奇跡みたいなものだ。
ここに至るまでの経過の、どこか一つを選び間違えていたら、多分一生見ることは出来なかっただろう。
ドライヤーのせいで、雨の音が聞こえない。
だが、雨はまだ降り続けているだろう。
部屋の温度が、少しずつ下がっているようだ。
手塚がドライヤーのスイッチを消した。
その途端、雨の音がまた耳に届く。
雨の夜は好きだ。
二人きりなら尚更のこと。
こういう夜ならきっと手塚も許してくれるだろう。
「手塚」
そっと名前を呼ぶ。
「ん?」
手塚が、顔を上げる。
「甘えていい?」
笑いながら告げると、手塚は怪訝そうな表情になる。
「珍しいことを言うんだな」
「たまにはね。だめ?」
「別に…。構わないが」
そう言いながらも、少し困ったような顔をするのが可愛い。
乾は手塚の肩に手をかけて、そのまま自分の胸に引き寄せた。
そして両肩を自分の掌で包み込んだ。
「これじゃ、逆じゃないか?」
腕の中の手塚が、呆れたような声を上げた。
「言われてみればそうだね。でもこれがいい」
笑いながら答えると、手塚も小さく笑ったのがわかった。
本当は逆じゃない。
こうやって、抱かせてもらうことで俺は手塚に甘えている。
手塚が無防備に自分を預けてくれることで、俺は安心していられる。
乾がそう思っていることを、手塚はまだ知らない。
まだ雨は降り続いている。
雨音が、更に大きくなった。
「手塚、寒くない?」
「お前がいるから、平気だ」
手塚がそう言ってくれることが嬉しくて、乾は、手塚を抱く腕に更に力を込める。
自分のものじゃない、心臓の鼓動を感じていたい。
抱き返してくる腕が欲しい。
この雨の音を聞きながら、一緒に眠りにつきたい。
もう取り返しがつかないくらい、手塚を好きになりすぎた。
雨音が包み込む狭い部屋の中、乾はいつまでも手塚の身体を放さなかった。
その身体を守る柔らかな繭のように。
2003.12.1
仮タイトルが「ラブラブ」。まあ、なんてストレート(笑)
ただイチャイチャするバカップルを書きたかったの。雨が降っていて、ちょっと寒くて、他に誰も居ない。そういう時はとりあえず抱き合っていて欲しいなあと思うんです。それだけ。