第一種接近遭遇
思い出した。あれは、いつの夢だったのか。
だが、確かにあれは。
「この間、おかしな夢を見た」
「夢?」
ああ、と手塚は頷きながら答えた。
それまであまり口にした事のない話題に、乾は意外そうな顔をして、ペンを持つ手を止めた。
土曜の午後。
テニス部の練習は昼で終わり、手塚はいつものように乾の家に寄った。
乾の母が、出かける前に手塚の分まで用意しておいてくれた昼食を一緒に食べてから、散らかり放題の乾の部屋で、近々行われる練習試合のオーダーを考えていたときだ。
手塚はふっと、何日か前に見たある夢のことを思い出した。
見たときは、すぐに忘れてしまったのに、何故今思い出したのか。
「ちょっと不思議な感じの夢だったな」
「聞いていいか?」
「構わないが…きっとつまらないと思うぞ」
「それは聞いてから判断するよ」
乾に夢の話なんかしたら、それは深層心理が見せたものだなとか言い出だしそうだ。
それだけならまだいいが、頼んでもいない分析をされそうで気が進まない。
だが、口に出してしまったものは仕方ない。
本当は乾を前にして言い難い部分もあるのだが。
乾は左手を机の上に置いて頬付けをつき、右手でペンを持って興味深げに手塚を見た。
「夢といっても、普通の日常とあまり変わらない感じだったんだが」
話し出した手塚の顔を、乾は興味津々と言った様子で見つめている。
それが少し照れくさかったが、とりあえずは無視しておくことにした。
「俺が少し遅れて部活に行くと、みんな揃っているのにお前だけがいないんだ。いつまで経っても来ないので、乾はどうしたのかと聞くと、誰だったか忘れたが、乾は屋上にいたというんだな。それで、俺は迎えに行こうと思ったらしいんだ」
「やけにリアルな夢だな」
乾は右手でペンをくるくる回しながら、楽しそうな表情を見せていた。
「屋上のドアを開けると、空がものすごく青くて風が冷たかった。それがとても印象的だった」
そう。目を開けていられないほどの青い空。
こうして話しているうちに、どんどんはっきりと思い出してくる。
あんな鮮やかな色を、どうしてついさっきまで忘れていたのだろう。
「手塚の夢はフルカラーか」
乾は、ちょっとだけ口の端を上げていた。
「ちゃんと覚えてるのは空の色だけなんだが」
「へえ。…先、続けて」
手塚は椅子代わりのベッドの上で、足を組替えてから話を続けた。
「お前はどこにいるのだろうと、あたりを見回したんだが、いないんだ。だけど屋上のフェンスに手をかけて空を眺めてる子供が1人いたんだ」
「…子供?」
手塚は黙って頷く。
そこから先を言うのを一瞬躊躇った。
「子供なんだ。小学生くらいの」
短い髪で、濃い青のTシャツを着た。
「どうしてこんなところに子供がいるんだろうと思って近づくと、その子供がこっちを振り返ったんだ」
ゆっくりとした動きで振り返った。
忘れようのない黒い瞳で。
「…お前だった」
「俺?」
乾の顔から笑いが消える。
「10歳くらいだったと思う。俺は何を言っていいのかわからず、黙って立っていたら、お前が俺に向かって『誰?』って聞くんだ」
乾は何も言わなかった。
手を止めて、ただじっと聞いていた。
「そう言われたのが、俺は少し不愉快だったみたいで『俺を忘れたのか』と返事をした。そうしたら、今度はお前が怒った顔をして『忘れてない。初めて会った人を忘れようがない』と言い返してきた」
そう。
いかにも口が立ちそうな顔つきで。
大きな眼鏡をかけて──。
「俺は、この乾はまだ俺と会う前の乾なんだと思った。だから『あと何年かしたら俺と会うんだ』と言ったら、小さなお前が不思議そうな顔をして『名前を教えて』と言った。そして、自分の名前を言おうとしたところで目が覚めた」
笑い飛ばされるかと思った。
そこまでされなくても、いつもの乾なら、きっとからかうようなことを言うはずだ。
いや、そうされた方が気が楽だ。
だが、目の前の乾はペンを握り締めたまま、何かを思い出すような真剣な目をしていた。
「…手塚、俺が屋上に行くのが好きだって知ってるよな?」
「ああ。中学の頃からそうだったな。お前の姿が見えないときは、大抵図書館か屋上のどちらかにいた」
「でも、理由は知らないだろう?」
「理由なんか、あるのか」
「うん。あるんだ。誰にも言ったことないけど」
話し出した乾の声は、少し緊張してるようにも聞こえる。
つられて手塚も肩に力が入った。
「今でもよく覚えてるよ。中学に入学して初めて屋上に上がったとき、すごく驚いた。俺は前にもここに来た事があると思ったんだ」
そんな筈はないんだけど、と乾は一旦言葉を切った。
「どうしてもそんな気がして仕方なかった。だけど、これはきっと錯覚だと思うことにした。似たような風景を見たことがあるんだろうって」
手塚は、静かに話す乾から視線を外せなくなった。
「でも、屋上にいるとすごく落ち着くんだ。理由はわからなかったけど。単に視界が開けてる場所が好きなんだろうと思ってた。いや、そういうことにした」
何かを探すような目をしていた乾が、ふいに手塚のほうを向いた。
「今、手塚の話を聞いて思い出した。俺、やっぱりあの場所を知ってたんだ。誰かとそこで会って話をした。その誰かに会えそうな気がして、屋上に通ってたんだと思う」
息を飲んで乾を見つめると、同じように乾も手塚を見た。
ぶつかる視線を外せない。
「お前…俺をからかおうと嘘を言ってるんじゃないだろうな」
「あのね、手塚。嘘や冗談で鳥肌が立つと思うか?」
そう言って、手塚の前に伸ばした腕を見ると、確かに乾の肌が粟立っていた。
「本当なのか」
「うん」
それ以上何も言えず、手塚は黙り込んだ。
気が遠くなるような青い空。
小さな子供。
今の自分。
あれはただの夢じゃないのか。
偶然だといって笑ってしまえばよかった。
よくある話しだと片付けてしまえば。
だが、この胸の動悸はなんだ。
くすぐったいような、切ないような、この気持ちは。
「…手塚、俺今すっごく言いたい台詞があるんだけど」
「言うな」
自分を見つめる乾の目が、笑っている。
あのときの子供を思わせる黒い瞳。
「言いたい。言っていい?」
「駄目だ、絶対言うな」
きっと乾は、とんでもなく甘ったるいことを口に出すに決まっている。
聞いたこっちが冷静でいられなくなるような。
ただでさえ、この鼓動が、ばれはしないかと気が気じゃないのに。
「じゃ、かわりに押し倒す」
くくっと笑い出した乾はもういつもの「乾」だ。
「それも却下だ。ふざけるな」
「…しょうがない。じゃ、これくらいで我慢しておく」
ふいに伸びてきた腕が手塚の顎を捉え、抵抗する間も無く唇を塞がれた。
押し返すつもりの腕は簡単に捕まえられて、やめろという声は、合わせた唇に飲み下されて、隠そうとしていた鼓動は、更に激しくなって──。
自然と目を閉じてしまった自分を、どうしようもない馬鹿だと思った。
「見つけられて良かったよ」
低い声でそう告げられたときには、手塚はもう完全に乾の腕の中だった。
2004.4.21
うひー。甘い…。恥ずかしい…。エロの反動か!こんなものを書いてしまう自分がいたことにびっくりだ。ある意味、エロよか恥ずかしいかも。あとからアップしたことを後悔するかもしれません。ま、とりあえずは勢いで。