背中
早朝の空気は、普段より、ほんの少し青みがかっているような気がする。誰もいないテニスコートに、清々しい風が吹き抜けていた。
手塚は、そんな朝が好きだ。
だから、わざと、いつもより早く家を出てみることがある。
鍵当番は大石の役目となっているが、部長の自分も、一応鍵は預かっている。
今日も普段より、30分ほど早く部室についた。
着替えを済ませ、外に出て深呼吸する。
まだ冷えた空気が身体の内側を満たす感覚は、ただ気持ちがよかった。
手塚はラケットを握ったまま、少しの間一人の時間を楽しんでいた。
自分の背後で、ドアの締まる音がした。
誰かが来たらしいが、手塚が今いる位置からは死角になっていて、それが誰かはわからなかった。
いつもなら、こんな時間に人が来ることは珍しい。
だからこそ、わざと早く来たのだ。
手塚は単純な好奇心で、それが誰かを知りたくなった。
部室に近づくと、カーテンが少し開いていて中の様子がうかがえる。
ここは男子部員しか使わないので、皆あまりそういったことに注意を払わないのだ。
手塚がそこから中を覗くと、白いシャツを脱いでいる後姿が目に入った。
特長のある髪型で、それが誰かはすぐわかった。
乾。
手塚は声を出さずに、その名を呼んだ。
乾の肩からシャツが滑り落ち、背が露わになった。
肩甲骨の浮き出た背中は真っ白で、ガラス越しでもわかるくらい滑らかだ。
ユニフォームを取り出したり、それを広げたりする度に、背中や腕の筋肉が形を変えていく。
綺麗な身体だと思った。
乾の背中がユニフォームに隠れてしまうまで、手塚は目を離せなかった。
そして、着替えを済ませた乾が、こちらを向く前にその場から遠ざかった。
「おはよう」
背後から乾の声がした。
「早いね」と少し笑いを含んだ声だ。
「おはよう」
なんとか、挨拶を返しはしたが、乾の目を見ることは出来なかった。
それは乾には言えない、朝の出来事。
2004.autumn
拍手お礼から。
いつ頃書いたものか、はっきりしませんが、おそらく2004年秋頃ではないかと思われます。
2009.09.12記