しんかい6500
目の前がちらつくような感覚で目が覚めた。部屋の明かりは消えているが、目の端は、眩しい光を捉えている。
ぼやけた視界の中、光の方向に目を向けると、パソコンのモニターを見つめている乾がいた。
枕元の時計を見ると午前3時を回っていた。
いつから起きていたのだろうと手塚は思った。
乾がいたはずの場所に手を滑らせると、シーツはひんやりと冷え切って、そこに体温は残っていなかった。
乾は手塚が目を覚ましたことにも気づかず、ほとんど身動きすることなくモニターを見つめている。
時々マウスを持つ右手が、小さく動く程度だ。
手塚はそっと眼鏡をかけて、改めてその横顔を眺めた。
何の意思も読み取れない、硬質な稜線。
光が反射する白い顔。
冷たい切れ長の瞳が、信じられないほど綺麗だった。
おそらく今乾の意識の中には、自分という人間は存在していないだろう。
今、乾の中にあるもの。
虚と実。
0と1。
αとΩ。
単独では意味を成さない、数字の羅列。
高速で行き交う光のような情報の群。
乾は今、その渦の中にダイブしている。
熱を失い、色を失い、形さえ失いかけるほど、深く深く、沈んでいく。
光も届かない漆黒の深い水の底、気の狂うほどの重力を受けながら、深く潜航する思考。
今目の前にいるのは、体温の無い世界で象られた残像のようなものだ。
手塚は静かに目を伏せる。
呼び戻す術は自分にはない。
乾が自分で浮上してくるのを、ただ待つだけ。
乾は孤独を知っている。
その中に、自己を任せることを望んでいる。
そうすることで、乾は自分の形を確認する。
感情の消えた瞳で世界を肯定する、その横顔がとても綺麗だ。
乾がふうっと息を吐くのが聞こえた。
手塚が目を開けると、頭の後ろに手を組んで伸びをする乾が見えた。
手塚は小さく微笑む。
「…暗い部屋で、モニターを見ると眼が悪くなるぞ」
手塚の声に、乾が振り向く。
「ごめん。起こしちゃった?」
見慣れた優しい笑顔。
乾は帰ってきた。
ゆっくりと身体を起こすと、椅子を降りた乾がベッドの端に腰をかける。
そっと乾の頬に手を当てると、大きな掌が手塚の肩を抱く。
「冷たいな」
「うん。ちょっと寒い」
乾は掠れた声で言う。
「パソコンの電源を落として来い」
「なんで?」
眠そうな顔をする乾に、唇を寄せる。
「俺が暖めてやる」
ふ、と笑う声が漏れた。
「それは…ありがたいな」
言われるままに電源を落とした乾が戻ってくる。
着ていたものを全て脱いで、2人抱き合った。
手塚を組み敷く乾の身体は、とても冷たかった。
そして、手塚を見つめる二つの黒い瞳には、さっきまで覗いてた深い闇の色が、まだ少しだけ残されていた。
2003.10.16
乾には無機質なものが似合うと、常々思っています。色の無いもの。温度の無いもの。ぜひテクノ好きであって欲しい。乾DJ説が多いのもなんだか頷けます。ワタシとしてはVJも捨てがたい。
何かに役立てようとか思わず、純粋な好奇心と探究心のみでネットの海にダイブする乾を書きたかったのですが、難しいです。だから楽しいんだけど。
でもね、手塚は「俺が暖めてやる」なんて言わないと思う。じゃあなんで書くか。それは無理矢理にでも、そっち方向に持っていきたいからさ!
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