手塚の復讐2
生徒会長とテニス部の部長それを両立させるのは大変だろうと、よく言われる。
確かに、忙しいことは否定はしない。
今日も部活開始の時間から、30分ほど遅れて部室に到着し、急いで着替えをしているところだった。
白いシャツを脱いで、青学のレギュラーの証であるユニフォームに袖を通していると、部室のドアが静かに開き、乾が顔を覗かせた。
「あ、手塚も今来たところか」
「遅かったな。何かあったのか?」
乾は後ろ手にドアを閉め、自分のロッカーに荷物を放り込む。
「担任につかまってた。自分のパソコンがおかしいとかで色々聞かれて」
俺に言われてもね、と笑いながら乾は着替えを始めた。
そう言いながらも、乾のことだ。
おそらく丁寧を通り越して、自分の知識を総動員して執拗なまでに、相談に乗ったのだろう。
手塚は、ボタンを順番に嵌めながら、延々と説明しつづける乾の姿を想像していた。
「あ、そうだ」
乾は、何かを思い出したように、着替えの手を止めた。
そして、自分のバッグから、いつも持ち歩いている大学ノートとクリップボードを取り出した。
「これ、頼まれてた雨天時の室内練習メニューの原案。あとでいいから目を通しておいてくれ」
乾は、びっしり文字を並ぶ一枚の紙をクリップボードから外し、手塚に向けた。
「ああ、わかった。ありがとう」
乾の手からその紙を、すっと引き抜いたとき、乾が急に声を上げた。
「いてっ」
「え?なんだ?」
驚く手塚の目に、乾は右手の人差し指に血が滲むのが見えた。
「紙で切ったのか?」
「そうみたいだ」
「悪かった。大丈夫か?」
「たいしたことないよ」
テニスプレーヤーにとって、利き手の怪我は重大な問題だ。
手塚は焦って、指先の傷を覗き込む。
「血が出てるじゃないか。見せてみろ」
「平気、平気」
笑う乾の手を強引に掴んで、傷を見る。
右手の人差し指の第二関節のあたりに、赤い線を引いたような傷が出来ていた。
その傷には、ぷつぷつと小さな血の玉が浮かんでいる。
深い傷ではないだろうが、意外とこういう傷は気になるものだ。
ましてや、ラケットを握る大切な右手なのだから。
手塚はポケットからハンカチを取り出すと、その傷に押し当てた。
「手塚、ハンカチが汚れる」
「洗えば済むことだ」
「バンドエイドかなんか貼るからいいよ」
「まず血を止めるのが先だ」
遠慮する乾を無視して、手塚は真っ白なハンカチで傷を覆い、強く握った。
深い傷ではないから、こうしていれば、おそらくすぐに血は止まるだろう。
そのあとで、乾の言うとおりに手当てすればいい。
しばらくそのままでいると、乾がぼそりと小さな声でつぶやいた。
「手塚、手を…離してくれ」
「なんでだ?」
「もう、いいよ」
やけに小さい声が気になって手塚は顔を上げた。
視界に入った乾は、気まずそうに視線を外に向けていたが、その顔は赤く染まっていた。
「…お前、顔真っ赤だぞ?」
理由がわからず、手塚は見たままのことを口に出す。
「わかってるよ。だから離せって言ってるんだ」
「なんで赤くなるんだ?」
乾はますます顔を赤くして答えた。
「…手塚にこんな風に手を握れらたこと、ないから」
唖然とした。
乾は何を言ってるんだろう?
俺の知っている乾は、いつだって好きに自分に触れているじゃないか。
唇を重ねて、膚を合わせ、深いところで繋がって。
この身体に知らないところなどないくせに。
なぜたったこれくらいのことで、こんなに動揺しているんだ?
手塚は、乾の指を抑えていたハンカチを、そっと外してみた。
乾が、安心したように肩の力を抜いたのがわかる。
だが、手塚はそのまま自分の左手で乾の手を握ると、乾の手の甲を自分の頬に押し当てた。
「ちょっ…、手塚…!」
乾がいきなり硬直する。
「何を焦ってる?」
焦る乾の姿を、やけに冷静に観察している自分がいた。
乾も、いつもこんな風に俺を見て楽しんでいるのだろうかと思うと、笑いを隠すことが出来なくなった。
「もう、いいよ。血も止まったから」
怒った口調で乾は、勢いよく手を引っ込めた。
だが、それが照れ隠しであることは明白だ。
乾は、黙って部室の隅まで歩いていって、そこに常に置いてある救急箱蓋を開けた。
「自分で巻けるのか?」
笑いながら聞くと、乾の不機嫌そうな声が返ってきた。
「心配無用」
「じゃあ、俺は先に行くぞ」
「いいから早く行けよ、部長」
振り向かない乾の耳は、まだ真っ赤なままなのを手塚は見逃さなかった。
ドアを開けて外に出ると、爽快な青空が広がっている。
天を仰ぎながら、手塚は小さく笑う。
中々隙を見せない乾の弱点を、ひとつ見つけた。
今度何かあったら、これで乾を苛めてやろうと手塚は心に決めた。
その日の部活の間中、あの「手塚部長」が上機嫌だった理由を誰も知らない。
2004.3.19
手塚の復讐第二弾。
乾は自分からは大胆なことを平気でできるくせに、手塚から手を握られただけで赤面しちゃうんだな。かわいいぞー。
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