一人で暮らす部屋にドイツから小包が届いたのは、誕生日前日の夜のことだった。
差出人が手塚なのは確かめなくてもわかる。
自分宛てに海外から郵便を送ってくるような存在は、手塚しかいないからだ。
届いた日付を考えれば、これが誕生日プレゼントだということは容易に想像がついた。
丁寧でしっかりとした梱包は、手塚自身によるものだろう。
几帳面な仕事が、いかにも手塚らしい。
昼間は真夏並みの暑さだったが、夜になってからはいくぶん過ごしやすくなった。
机のある部屋の窓から入る風が、とても気持ちがいい。
ここが我が家で、一番風居心地のよい場所だと言っていい。
手塚からのプレゼントは、そういうところで開けたかった。
机の上にそっと小包を置き、奮発して買ったPC用の椅子に座った。
受け取った包みは、そう大きい物ではない。
手塚の痕跡の残る物はただの包装であっても、邪険に扱いたくはない。
慎重に包みを開くと、緩衝材にくるまれた箱が出てきた。
その箱の中には、白い薄紙で包まれた革製のロールペンケースが収められていた。
革の色はネイビー。
深みのあるいい色だ。
表面を撫でてみると、滑らかでしっとりとした感触がした。
巻かれた革の紐をほどいてみたら、中にシャープペンシルが2本刺さっている。
ロゴは乾もよく知るドイツ製のメーカーのものだ。
0.5ミリと0.3ミリと、芯の太さが違うものを二本選んでくれたようだ。
0.5は黒いボディ、0.3はシルバーメタリックと色違いになっていた。
そのうちの一本を実際に握ってみると、ほどよい重さを感じた。
そうか──。
つい口元が緩んでしまった。
手塚がなぜこれを選んだのか、乾には心当たりがあった。
中学の時、乾は自分が製図用のシャープペンシルを愛用していることを話したことがあるのだ。
部活後に日誌を書いていたか、作戦会議をしていたときだった思う。
とにかく部室に残っていた数人と、そんな話をした記憶がある。
その中には、確かに手塚もいた。
乾が使っているシャープペンシルをじっと見ていたから、これは製図用のペンだよと説明したのだ。
そのペンは、手塚が贈ってくれたものと同じメーカーだった。
手塚はそれをずっと憶えていたのか。
次の帰国は8月になると、少し前に連絡があったので、自分の誕生日に会えないことはわかっていた。
しかし、乾にしてみれば自分の誕生日に会えなくても別に寂しいとは思わない。
正直なところ、自分の生まれた日などどうだっていい。
手塚の誕生日の方が100倍くらい大事だと思っている。
それでも、こうして誕生日に遠い国からプレゼントを贈ってもらえるのは、自分でも驚く程嬉しかった。
物が欲しいわけじゃない。
シャープペンシルが欲しければ、いくらでも売っている。
でも、手塚が自分のことを考えながら選んでくれたものだ。
学生時代に使っていたものを憶えていてくれて、今の乾に合うものを選んでくれたその心遣いが嬉しいのだ。
添えられていたカードには「7月の中旬あたりに一度帰る」と書いてあった。
手塚から帰国の時期についての連絡があったとき、今は無理でも8月に会えるならそれで十分だと思っていた。
会うこと自体が難しい相手だから、それ以上を望むなんて贅沢だ。
でも来月には会えると思うと、すでにわくわくしている自分がいる。
手塚自身にそのつもりはないのかもしれないけれど、これもプレゼントのひとつとして受け取った。
形のあるものもないものも、どちらも嬉しい贈り物だ。
自分の誕生日に感謝したいなんて気持にさせたのは、手塚が初めてだ。
カードを封筒に戻してから、手塚とお揃いの手帳を開いた。
もらったばかりのシャープペンシルで、手塚が帰る予定の日に「手塚帰国」と書いてみた。
新しいシャープペンシルは、使うのは初めてなのに驚くほどしっくりと手に馴染んだ。
白い紙の上に刻まれた「手塚」の文字は、いつもより上手く書けた気がする。
それがなんだか嬉しくて、他の紙にも書いてみたくなった。
まだ使っていないノートを開き、手塚の名前をゆっくりと書いてみる。
0.3mmの製図用シャープペンシルは、細いがしっかりとした線が引けた。
乾が中学の時に使っていたものは、学生でも買える安価なものだった。
手塚がくれたものは、最上位モデルのはずだ。
メーカーは同じでも、使い心地にはかなりの差がある。
実物を見たのは初めてだが、ドイツでは入手しやすいのかもしれない。
乾にとってシャープペンシルは使う頻度の高いものだから、使い勝手がいいものはありがたい。
これからは愛用の道具となってくれるだろう。
乾が贈った手帳や万年筆を、手塚は常に身近に置いてくれている。
自分もきっと手塚と同じだ。
常にそばに置いて、使う度に手塚のことを考えるはずだ。
自分にとって手塚という存在は何なのかと、ときどき考えることがある。
手塚はかつての仲間であり、今は親友と呼べる相手で、同時に恋人でもある。
これから先、もし手塚が自分を必要としなくなったとしても、自分はずっと手塚を好きでいるだろう。
手塚国光は、そういう存在だ。
同じ目標を持つ仲間であった中学の3年間。
離れて暮らしながら、ゆっくりと互いへの思いを重ねてきた5年間。
その時間は今の自分達には、とても意味のある大事な日々だった。
仲間でなかったら。
親友でなかったら。
きっと、こんな風に恋をしていなかった。
そう手塚に話したら、きっと頷いてくれるだろう。
ドイツからはるばるやってきたシャープペンシルは、とても0.3mmという細い線を引ける。
鋭く繊細な線は、手塚の名前を書く道具にふさわしい。
2014.06.24
10月始まり乾サイド。乾から万年筆をもらったときの手塚と同じようなことをしてます
実は似たもの同士だったりすると嬉しい。