レトロウイルス:BIRTHDAY.ver8
目が覚めたとき、ぼんやりとした違和感があった。
今自分がどこいるかは、ちゃんとわかっている。
だが、なんとなくいつもと違う感覚だ。
なんだろう。
ぼやけた天上を見ながら、少しの間、考えていた。

ああ、そうか。
風景そのものはいつもと同じだが、見える位置が少し違うのだ。
きっと、ベッドの端に寄って寝ているからだ。
でもなぜ?
そこまで、考えてやっと思い出した。

今日は一人では、なかったのだ。
反射的に背中の方を振り向く。
眠る前までは隣にいたはずの人間は、そこにはいない。
乾は、手塚を起こさずに、帰ったのだろうか。
確かめようと眼鏡をかけて身体を起こしたとき、タイミングよく寝室のドアが開いた。

「あ、お目覚めだったんですね。おはようございます」
「…おはよう」
仕事のときのような明瞭な声に丁寧な口調。
微笑みかける顔も、打ち合わせの場で見るのと同じだった。
だが、その首にネクタイはなく、シャツの裾もズボンの外に出ている。

「ちょうど良かった。今、朝食を用意しているところなんです。もう少し時間がかかりそうなので、その間にシャワーを済ませられてはいかがでしょう?」
こちらは寝起きで、しかも裸のまま。
状況を、はっきりとは認識できていないところに、仕事の説明と変わらない口調で尋ねられて、少々頭が混乱してしまったようだ。
咄嗟に返事が出てこずに、ただぼんやりと乾の顔を見つめてしまった。

「先生?聞こえてますか?」
心配そうに呼びかけられて、我に返った。
「ああ、聞こえている。…そうだな。そうさせてもらう」
手塚が返事をしたので、安心したのだろう。
乾はもう一度にこりと笑いかけてきた。

「冷蔵庫の中の物、勝手に使わせていただきました」
「別に構わない。…ありがとう」
何か羽織る物をと首を捻ると、肩にバスローブをかけてくれた。
一体いつのまに見つけたのか。

「歩けますか?なんだか、ぼうっとしていらっしゃいますが」
「大丈夫だ」
大きな口を叩いて、ふらつきでもしたら格好がつかない。
意識してゆっくり立ち上がると、乾が背中にそっと触れた。

「もしかして、無理をさせてしまいましたか」
「そんなことはない」
顔を上げずに答えたが、きっと乾は笑っているのだろう。
見なくても気配でわかる。

「朝食が済んだら、俺もシャワーを使わせていただいていいですか」
「ああ、勿論だ」
軽く受け流したあとで、あることに気がついた。
「俺、と言わなかったか?」
「え?」
つい顔を上げると、乾はきょとんとした表情で突っ立っていた。

「いや、確か今、そう聞こえたんだが」
「昨日から、言ってますよ」
気づかなかったんですか、と乾は呆れたように笑いだした。
全然、気づかなかった。
記憶をたどろうにも、思い出すのは別なことばかりだった。

「ああ、でもそれどころじゃなかったかな、夕べは」
すっと乾の右腕が伸びてきて、なんだろうと思う間もなく腰を抱かれてしまった。
「ね。国光さん」
少しトーンを落とした声は、夕べ何度か聞いた覚えがある。
より具体的な記憶がよみがえりそうで、手塚はやや強引に乾から逃れ、バスルームに急ぐ。
「ごゆっくり」
振り向かなくても、乾がどんな顔で自分を見ているか、よくわかる声だった。


2008.11.01(9に続く)