レトロウイルス:BIRTHDAY.ver9
朝のシャワーは、少し温度を高めにしている。
熱い湯が皮膚を滑り落ちる様をを見ながら、昨日の夜のことを考える。
疲労感はあるものの、痛みと言えるようなものは何も残っていない。
本当に、夕べ乾と寝たのだろうかと思いたくなるほどだ。

だが、あれは夢ではない。
その証拠に、身体の内側のどこか深いところに、甘く疼くような感覚があった。
ひとつ思い出すと、それが呼び水となって、肌のあちこちに感触がよみがえる。
誰に見られているわけでもないのに、そんな自分が恥ずかしくなる。
手塚は、感触ごと洗い流すように、頭から強めのシャワーを浴びた。

バスルームから戻ると、朝食がテーブルの上に綺麗に並べられていた。
プレーンオムレツには皮付きのベークドポテトが添えてある。
くし型に切ったトマトとレタスのサラダ、ライ麦入りのバターロールは軽く焼いてあるようだ。。
そしてやや低血圧気味の手塚には欠かせない、湯気の立つコーヒーが手塚の目の前に置かれた。
きっとタイミングを計っていたのだろう。

こんな、絵に描いたような朝食は久しぶりだ。
「君は料理が上手いんだな」
感心しながらテーブルにつくと、乾はにっこりと笑った。
「ありがとうございます。でも、それは食べてから言って欲しいな」
「じゃあ、遠慮なくいただく」

乾の視線を意識しながら食べるのは、少々くすぐったかったが、朝食は文句なしに美味かった。
卵の焼き具合や塩加減、和風のドレッシングに、コーヒーの温度。
どれも手塚の好みにぴったりだ。
具体的にそんな話をしなくても、今までの付き合いの中で、手塚の嗜好に予想がついたのだろう。

「先生、今日はこのまま、こちらでお仕事ですか?」
朝食が半分ほど腹の中に消えたあたりで、乾がそう切り出した。
「そうなるな」
少しばかり予定が狂ったが、仕事を休むつもりはない。

「じゃあ、夕方にでもまた伺って宜しいでしょうか」
「それは構わないが」
「俺に夕食を作らせてください」
「嬉しいが…甘えてしまっていいのか」
「ええ、ぜひそうさせてください。お仕事の邪魔はしませんから」
「じゃあ、お願いしよう」

手塚の返事に、乾は嬉しそうに目を細めて頷いた。
「そのまま、今日も泊めて頂いてもいいですか?」
「ああ」
「ちゃんと、例の物も持ってきますからね」
口調はさりげないが、笑顔はただ優しいだけじゃない。
それを見逃したのは、のどかな時間に油断していたからだと思う。

「例の?」
そう言ってしまってから、何を意味しているかに気がついた。
朝食を食べながら言うことか。
一時的に忘れていたあれこれを、また思い出してしまう。
動揺する手塚と比べ、乾はやけに落ち着いていた。

「嫌ですか?今夜は」
余裕を感じさせる笑みを浮かべ、正面から堂々と手塚を見つめて言う。
「駄目なら駄目と、ちゃんと言ってくださいね」
もし駄目なら、そう口に出すのは難しくない。
駄目じゃないから、言いにくい。
きっと、それを承知で聞いているのだ。

嫌な奴だと思ったのは、初対面の時だ。
その印象は、今でも変わらない。
嫌な奴だけれど、そこがいい。
意地の悪い男を好きになった自分を恨むしかない。

「駄目じゃない」
ぽつりと言うと、乾はふっと息を吐くように笑った。
「ありがとう」
昨日から今日にかけて、何度微笑みかけられたろう。
その度に、困らせられたり、嬉しくなったり、切ない気持ちになったりした。
これが、振り回されているという状態なのだろうか。

それでもいいと思ってしまうほど、自分はこの男が好きなようだ。
今また自分に幸せそうな笑顔を向けられて、どうしようもなく胸が苦しくなる。
こんな調子で、今日は仕事になるのだろうかと、不安になった。



2008.11.03
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終わりました。長かった。ここまでお付き合いくださった方、お疲れ様でした。このままだと読みにくそうなので、落ち着いたら一本にまとめなおしたい。