猫めくり
「待たせたね」
俺が声をかけたとき、手塚は自分の席に着いて、文庫本をぱらぱらと捲っていた。
手塚のクラスメイトは全員引き上げたらしく、教室の中には他に誰もいなかった。
今日は部活が休みなので、俺との約束がなければ、手塚もとっくに帰っていたかもしれない。

手塚は何も言わず、ぱたんと本を閉じ俺の顔を見上げる。
昨日のうちに、「明日、渡したいものがある」と告げてあった。
きっと、もうそれが何かは薄々予想がついているんだろう。
何も言わないのは、少し照れているからだろう。

俺は手塚の隣の席の椅子を引き寄せ、そこに腰掛けた。
そして、少々勿体をつけて、鞄の中から、さほど大きくない紙袋を取り出した。
クラフト紙製の袋だったので、少し皺が寄ってしまった。
それを指で伸ばしてから、手塚の前に差し出した。

「誕生日おめでとう」
「…ありがとう」
手塚は、一度軽く頭を下げてから、ゆっくりと微笑んだ。
そして、紙袋を手に取って俺に向かって、小さく首を傾げた。
「今、開けていいか」
「もちろん」

プレゼントといっても、綺麗にラッピングしてあるわけじゃない。
リボンもかかっていない簡単な包装だから、中身はすぐに取り出せる。
A5版の横長で、黒い表紙がついている。
そこには何も印刷されていないが、形でカレンダーだと想像がつく。
手塚はすぐに表紙を捲り、中身を確かめた。
僅かに目が細められ、口元に微かな笑みが浮かんだ。

「本当に作ってくれたんだな」
「約束だから」
「ありがとう」
同じ言葉をもう一度言って、手塚はじっと手元のカレンダーを見詰めていた。

実は、この約束を交わしたのは、一年前の今日のことだった。
10月7日は手塚の誕生日。
その年のプレゼントに選んだのは、日めくりのカレンダーだった。
毎日めくるカレンダーのすべてに、違う猫の写真が入っている。
猫好きだが、家庭の事情で飼うことが出来ない手塚なら、きっと喜んでくれると思ったのだ。

確かに手塚は、カレンダーを見たとたん、嬉しそうな顔を見せた。
だが、ぱらぱらと、一通り中を捲ったあとで、ぽつりと呟いた。
「どの猫も可愛いが、お前の家の猫がいないのは寂しいな」
手塚は我が家の猫を気に入っているようで、遊びに来たときは、とてもかわいがってくれていた。

「作ろうと思えば作れるけどね。でも、うちの猫のカレンダーなんか欲しいか?」
「欲しい」
真剣な顔で即答されて、俺の方が驚いてしまった。
「え?本当に?」
「ああ」

どうやら手塚は本気のようだ。
簡単なものでいいかと聞くと、構わないと言う。
では来年こそ、それを送ると約束したら、手塚は満足そうに頷いていた。

それから一年。
俺は、暇があればデジタルカメラで我が家の猫の写真を撮り続けた。
室内飼いしているので、年間を通しても中々写真に変化を出せない。
少しでも季節感を出すために苦労した。

そうやって、撮りためた画像データは膨大な数に昇る。
子猫時代の写真も含めてから、出来の良さそうなものを絞り込んだ。
俺が選んだ市販のキットは12ヶ月用のものだったので、写真も12点。
日めくりはさすがに無理だが、せっかく沢山撮影したのだから、オマケとばかりに、写真入の手帳用リフィルも用意してみた。
我ながら甲斐甲斐しい働きぶりじゃないだろうか。

手塚は俺の作ったカレンダーを何度も繰り返し眺めている。
「すごいな。売り物みたいだ」
「キットを使えば、誰が作っても上手くできるんだ」
「いや、俺ならこうは出来ない」
手塚は俺の方に向きなり、もう一度笑いかけた。

「ありがとう。大事に使う」
手塚が喜ぶ顔を見ると、贈った俺も幸せな気分になる。
しかし、我が家の猫に対して、ここまで嬉しそうな顔をされると、ついつい余計なことも考えてしまうのだ。
聞けば後悔することは経験的にわかっているのに――。

「参考までに聞きたいんだけど」
手塚は、閉じたカレンダーに手を置いて、黙って俺の顔を見た。
「もし、俺のカレンダーがあったら欲しい?」
「いらん」
躊躇することなく手塚は答えた。

「ここは、迷うふりくらいするところじゃないか?」
「いらないものは、いらない」
「そうやって俺の傷口を広げるようなことを言うわけか」
「聞くお前が悪い」
手塚はあくまで冷静だった。

予想していたとはいえ、それが現実になると、やはり多少のダメージがある。
せめて、『本当は欲しいけれど照れくさいから、わざといらないと言っている』演技くらいしてくれてもいいと思う。
いや、手塚にそんなことを要求しても無駄だということは、承知しているつもりなのだが。

「わかってないな、お前は」
肩を落とす俺に向かって、手塚は片方の眉を持ち上げ冷たく笑って見せた。
手塚には、こういう表情が、本当に良く似合う。
馬鹿にされているのに、その顔に見とれてしまうのだから、我ながらどうしようもない。
そんな俺にはお構いなしに、手塚は静かな声で先を続ける。

「俺が、このカレンダーを欲しがっていたのは、お前の猫には好きなときに会えないからだ」
左手の人差し指で、手塚は俺の作ったカレンダーを示した。
「なかなか会えないから、代わりに写真で我慢しようということだ」
手塚は顔を上げて、じっと俺の目を見て言った。
「お前には、いつでも会える。我慢する必要はない」

今の言葉には、写真では代わりにならないという意味を含んでいる。
同時に、我慢なんかしないという意思が込められていたようにも思う。
手塚はいつだって、俺に関しては、遠慮も我慢もする気はないのだ。
俺は、手塚にとって、そんな気遣いが必要のない相手のなのだ。
それくらい、俺は手塚の近いところにいるってことだ。

猫と自分を比べるなんて、馬鹿馬鹿しいことを考えたものだ。
俺はただ笑って、頷いた。
言いたいことはわかったよと告げたつもりだった。

「ところで」
「ん?」
「今日、お前の家に行ってもいいだろうか」
「ああ、もちろんだよ」
最初から手塚を誘うつもりだったから、それは全然構わない。
だが、手塚がずっと手元のカレンダーを見ているのがなんとなく引っかかる。

「これを見ていたら、会いたくなった」
「猫、ですか」
「そうだが?」
予想通りの言葉が、あっさりと返ってきた。
嬉しいのか悲しいのか、複雑な気分だ。

「何か、手土産を買わなくちゃな」
手塚はカレンダーを慎重な手つきで紙袋に入れ直していた。
「気を使わなくていいよ」
「お前にじゃないぞ。猫用だ」

そう言うと、鞄を手に持ち、すっと立ち上がった。
「早く支度しろ。時間が惜しい」
手塚は俺に落ち込む暇も与えてくれないらしい。
やっぱり、猫の方が愛されているんじゃないだろうか。

それを手塚に尋ねる勇気は、俺にはなかった。


2008.10.07
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誕生日祭に何度か書いている「猫」のシリーズ。猫好きな手塚に萌えるんです。