風を集めて

その朝は、特別気持ちのいい天気だった。

日差しは柔らかく、少し開けた窓から入る風が暖かい。
きらきらと輝く目の前の深緑に、不二はまぶしそうに目を細めた。

新学期が始まり、またいつもの朝練の日々が始まった。
昨日は、目覚し時計の針を、30分早くセットしてから眠りについた。
それなのに、予定よりも、さらに一時間も早く目が覚めてしまった。
カーテンの隙間から差し込む、日光のせいだろうか。

不二は、ぼんやりと自分の家の庭の木々を眺めてるうちに、外を歩いてみたくなった。
窓越しではない朝の光と、さわやかな風を受けて歩くのは、気持ちがよさそうだ。
京みたいな日は、きっと散りかけの桜が綺麗だろうと思う。

そう決めたら、少しの時間も惜しくなった。
手早く準備を済ませると、すぐに自分の部屋を出た。

「あら、ずいぶん早く起きたのね」
すでに起きていた母親が、不二の姿を見つけて驚いている。
「うん、あんまり天気がよくて、寝てるのがもったいなくてさ」
不二の言葉に笑いながら、朝食の支度をしてくれた。
「行ってきます」
笑顔で母にそう告げて、家を出た。

通い慣れた道なのに、なんだかわくわくする。
このまま真っ直ぐ学校に行っても、どうせ鍵は開いていない。
ゆっくりと景色を楽しみながら、いつもの時間につけばいい。
不二は、ふわりとした春の空気を味わいながら、静かに歩き出した。

普段より空いていた電車を降りて、学校へ続く道を一人歩く。
公園や住宅街のあちこちに色々な花が咲いていて、かすかに甘い香りが流れてくる。
不二が見たかった桜の木は、はらはらと惜しげもなく薄桃色の花びらを散らしていく。
行き交う人もほとんどいない、この時間は、とても贅沢だと感じた。

この先をもう少し歩けば、桜並木がある。
通学路から、ちょっとわき道に入るけれど、時間にはまだ余裕がある。
どうせなら、そこも見ておきたい。
今日を逃すと、おそらく桜はもう終わってしまうだろう。
不二は、一本道を外れてみた。
風が髪を揺らして、少しくすぐったい。

もうじき桜が見える──。
そう思ったときに、ずっと先に見覚えのある人影が目に入った。

乾だ。

顔が判別できる距離ではないが、見間違えるほど短いつきあいでもない相手だ。
声をかけるには、遠すぎる。
こんなときに大声をあげるのも、ためらわれた。
ここから、わざわざ走っていくというのもな──。

桜並木の下で、乾は立ち止まって桜を見上げている。

どうしようか考えながら、不二はゆっくり歩いていた。
やっぱり声をかけてみようかと思ったとき、乾の近くにもう一人、誰かが歩いてきた。


あ。
かけようとした言葉を、飲み込んだ。

──手塚だ。

乾は、軽く手を上げて手塚のそばに近づいていく。
多分、笑っているのだと思う。
一瞬二人の足が止まったが、そのまま肩を並べて歩き出した。


不二は、ふたりと距離を保ったまま、その後ろを歩いていく。
朝連に出るには、時間は十分すぎる。
きっと二人は、わざわざこの時間に待ち合わせてきたのだろう。

かわいいなあ。
二人とも。

不二は、つい笑ってしまった。
もちろん、声を出したりはしない。
前を歩く二人は時々立ち止まっては、桜を見上げている。
ひらひら舞い散る花びらの中、肩も触れないような距離を保ったままだ。

不二と、前の二人の距離は少しずつ近づいている。
でもまだ、声はかけない。
もう少し、二人きりにしておいてあげよう。
自然と、不二は微笑んでいた。


柔らかい風に乗って、桜の花びらが、ひらりと二人の上に舞い落ちる。
手塚の髪に落ちた花びらを、そっと乾が払い落とす。
乾の眼鏡に降った花びらは、手塚が指でつまんでいる。

彼らは、視線を合わせて、かすかに笑っていた。
ただそれだけのことが、とても幸せそうに見えた。


いいなあ。
二人とも。

くすりと笑ったとき、やっと乾が不二の存在に気がついた。
「あれ?不二?」
不二は手を振りながら、乾達のところに歩いていく。
「おはよう」
「おはよう、不二」
不二の笑顔に釣られたように、乾も笑顔を返す。

「ずいぶん早いな」
冷静な声の手塚は、笑っていない。
これはいつものこと。

「君達だって早いじゃん」
不二の意味ありげなセリフに、乾がくすっと笑った。
「そういうことも、たまにはあるんじゃない?」

手塚は、ただ不機嫌そうな顔をしていた。
だが、かすかに顔が赤い。
「先にいくぞ」
そういい残すと、手塚は一人でさっさと歩いていってしまった。

「邪魔しちゃったかな?」
不二がそう聞いても、乾は平然としている。
「いいよ、別に。今日だけじゃないんだし」
「え?」
「あ、気づいてなかったんだ」
「何を?」
乾の歩調に合わせながら、そう尋ねてみた。

「俺達、最近ずっと朝一緒だよ」
「あ、そう」
正直、全然気づかなかった。
「朝だと確実でしょ?」
「なるほどね」
しらっとした顔で言う乾を見て、不二はくすくすと笑い出す。

僕は僕の時間を過ごしていたときに、君達は君達の時間を過ごしていたわけだ。
それはあたりまえのことなんだけど。
それでも、やっぱり君達が少しだけ、うらやましい──。


優しく頬をなでる春の風が、不二の記憶を蘇らせる。

出会いは春だったね。
明日もう一度早起きして、彼を誘って桜を見に来ようか。
極端に朝に弱い彼をどうやって、起こそう。

それを思うと、また笑ってしまう。
不思議そうな顔をする乾に、ひとつ質問を投げかけた。
「ねえ、乾。明日も晴れるかな」
不二の唐突な質問に、乾は冷静に答えてくれた。

「晴れるよ。90%保証する」
「100%にしてよ」
「それは不二の努力次第」
「努力って何?」
「てるてる坊主でも作ったら?」



暖かい風が、不二の明るい笑い声をさらっていった。





2003.4.13(初出)
2010.10.15(一部修正加筆)
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タイトル元ネタ
はっぴいえんど「風をあつめて」
別に矢野顕子バージョンでもかまわないんですが。気持ちのいい曲だよね。

相変わらず、この3人しか出てこない話です。話じゃないか。ただの情景描写だ。まあ、幸せな人たちを書きたかっただけです。ほんと、ただそれだけ。
(2003.4.13当時のコメント)

この話にご質問を頂いたので、サルベージしてみました。
これを公開したのは前サイトでした。二人サイトで、私が乾塚オンリーのA館を管理に、当時の相棒がリョ不二リョオンリーのB館を管理というスタイルでした。この話はそのB館に置いていたんですよ。不二様視点乾塚+ほんのりリョ不二だったので。
当時、自分なりに気に入ってた一本だったんだけど、読み返してみたら顔から火が出た。なので、ちょこちょこ手直してみました。それでもまだ恥ずかしい。