8時間 |
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「誕生日おめでとう」と送ったメールに、「ありがとう」と返事が届いた。 自分が贈った短い言葉に対し、もっと短い言葉が返ってきた。 あまりに手塚らしくて、携帯の液晶を見ながら、くすりと笑った。 手の中に収まる手塚からのメッセージが、ただ嬉しい。 授業が始まるギリギリまで、ドットの文字を繰り返し読んだ。 教室の窓の向こうには、真っ青の空が広がっている。 手塚が住んでいるドイツと、乾が住んでいる日本の時差は約8時間。 日付が変わるくらいのタイミングで、携帯から送ったメールだった。 いつもは、読むほうが嫌になるくらいの長文のメールを送っている。 伝えたいことが沢山あって、どうしてもそうなってしまうのだ。 でも、遠く離れたところにいる手塚の誕生日を祝う言葉を、どうつづっていいのかわからなかった。 去年までは、手塚はすぐ近くにいて、直接おめでとうを言えた。 その気になりさえすれば、簡単に手が届く距離だ。 薄い背中に、骨ばった肩に、間接が目立つ手首──。 触れたくて触れたくて、仕方なかったくせに、どうしても手を伸ばせなかった。 でも、乾の葛藤とは無関係に、手塚は確かにそこに居て、腕組なんかしてこっちを見ていた。 おめでとうと、自分でも気恥ずかしくなるような震える声で告げた言葉に、手塚はほんの少しだけ微笑んで答えてくれた。 ありがとう──。 あの声が、まだ耳に残っている。 今は、遠い空の下にいる手塚に、どんな文章を送ればいいのか。 考えてもわからなかったから、「誕生日おめでとう」とだけ送った。 今の自分の気持ちをどう修飾しようとも、本当に伝えたいのは、その言葉に集約されると思ったからだ。 どこに手塚が居ようとも、その存在の大きさは、なにも変わることはない。 どんな土地であっても、天を仰げばそこに空があるように。 日付が変わる頃にメールを送ったのは、ただ自分がそうしたかっただけで、手塚がいつそれを読んでもかまわなかった。 日本にいた頃、あまり夜更かしはしない手塚だったから、気づくのはきっと朝になってからだろうと思った。 返事が欲しくて送った言葉じゃない。 手塚が、自分と同じ世界にいてくれることに感謝したかったのだ。 でも、乾の予想を裏切って、返信はすぐに届いた。 普段の手塚のメールでの反応と比べても、驚くほどの早さだった。 手塚がどんな風にメールを読み、どんな気持ちで返事をよこしたのか。 考えると、胸が疼く。 たった五文字で、自分をここまで揺さぶる人間なんて、手塚以外にはいない。 乾が「誕生日おめでとう」としか打てなかったのと、手塚が「ありがとう」としか答えられなかったのは、同じ理由なのかもしれない。 そして、もしかしたら、今年一番早く手塚におめでとうを伝えられたのは、自分かもしれないと思った。 手塚。 今日の、そっちの天気は、どうだい? 10月7日の東京の空は、晴天だ。 泣きたくなるほど、綺麗な青空だよ。 授業が始まるまで、あと5分。 長くて短い5分間を、乾は目を閉じて過ごした。 瞼の裏にに焼きついた「ありがとう」の文字が、目にしみた。 2010.11.20 ------------------------------------------------------------ 原作一年後設定。遠距離恋愛のふたりです。 |