プリンス ・オブ・ウェールズ・チェック |
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真っ白なシャツに袖を通し、新品のネクタイを締めると、気持ちのいい絹の鳴る音がした。 だが、鏡の中の顔は、自分の誕生日だというのに、浮かない表情を浮かべている。 思わず苦笑してしまったが、このままの顔で人前に出るわけにもいかない。 意識して顔を引き締め、鏡の中を確認する。 やっぱり自分に嘘はつけないのか、憂鬱そうな表情は、ほとんど変わらなかった。 国光は、半分諦めた気分で、ドアノブを捻った。 「よくお似合いです」 リビングに控えていた乾は、スーツを着込んだ国光の姿を見て、穏やかに微笑んだ。 今日、国光が締めているネクタイは、乾からの贈り物だ。 シルバーとブルーのグレンチェックのタイは、絹独特の光沢が美しい。 おめでとうございますという言葉とともに、乾から贈られたそのタイは、見た瞬間に気に入った。 本当は、こんな気分のときに締めたくなかった。 でも、似合うと言ってもらえること自体は、照れくさいけれどやっぱり嬉しい。 このネクタイは、今朝、乾から贈られたものだ。 「良ければ、今夜のお食事のときに、つけていただけると嬉しいのですが」 「ありがとう。そうさせてもらう」 乾の暖かい笑顔に誘われ、自分も笑みを返した。 だが、どこかぎこちないものになっていそうな気がした。 乾の言う『食事』が、この家の中での話なら良かったのに。 去年のように、ふたりきりならもっといい。 だが、国光の願いとは程遠く、今夜の食事はひたすら気が重いものだった。 国光が大学を卒業するまで、あと一年と数ヶ月。 はっきりとそう言われたことはないが、卒業後は父の経営する会社に入ることが、ほぼ決まっている。 少なくとも、父は国光に後を継がせようと考えているのは間違いない。 卒業が近づくにつれ、少しずつ具体的な行動を取るようになってきた。 そして、今年の自分の誕生日には、いつもなら家族だけで行われる食事会に、会社の一部の幹部も招待しようと言い出したのだ。 父は、祖父が、それを望んでいるのだと強調した。 身内が両親だけなら、まだ理由をつけて断ることも出来たのだが、誰よりも自分を可愛がってくれる祖父の頼みならそうはいかない。 父も、そのあたりのことは、よくわかっているのだと思う。 しかたなく承諾はしたものの、正直あまり気は進まない。 去年の10月7日は良かった。 実家には、少し顔を見せただけで、この部屋で乾とふたりきりで過ごせた。 甘いものが、それほど得意ではない国光のために作ってくれた林檎のケーキの味を、今でもよく覚えている。 とても静かで心地よい時間を、乾が作ってくれた。 豪華な料理も、大勢からの祝いの言葉も、国光は望んでなどいないのだ。 乾が運転する車の中で、国光は無意識に、ため息を繰り返していた。 「どうなさいました?国光様」 聞きなれた声に、ふと我に返る。 「なんだ?」 「さっきから、何度もため息をついていらっしゃいますよ」 ああ、と国光は声を洩らした。 「すまない。外で食事というのが億劫でな」 「お気持ちはわかりますが……」 乾にしては珍しく語尾を濁しているのは、父と国光の両方に気遣ったからだろう。 大人気ない態度の自分を恥ずかしく思った。 だが、あと15分ほどで、この車が予約してあるレストランに着くと思うと、やはりため息しか出てこないのだ。 乾には話していないが、父は今夜の場に、乾も呼ぼうとしていた。 迷った末に、別の機会にすることにしたらしい。 父は会社の幹部に、乾を紹介したいと思っている。 元々、乾を執事にすることに反対だった。 本当は、自分の、そして将来的には国光の秘書にしたいと考えているのだ。 乾がまだ大学生の頃、長い休みの時期に、社会勉強だと言って、父の会社でアルバイトのようなものをさせたことがある。 実際に乾の仕事ぶりをみて、執事にするの惜しいと何度か口にしていた。 確かに乾なら、有能な秘書になるだろうと思う。 秘書と執事の仕事には、重なる部分も多い。 いつの日か、自分が父の後を継いだとき、乾が仕事上で自分をフォローしてくれたら、とても心強い。 だが、それ以上に、乾が与えてくれる穏やかな時間を失うことは、国光には考えらない。 祖父や母がどう考えているかわからないが、父は国光が会社を継ぐものと信じ込んでいる。 自分もそれなりの覚悟はしているつもりだ。 でも、本当に父の望むことを、自分が出来るのかどうかわからない。 それ以前に、自分がやりたいことさえ見えてない気がする。 国光が黙っている間、乾もまた沈黙を守っていた。 だが、車が信号待ちで止まったとき、不意に乾が口を開いた。 「「国光様。私はいつでも国光様の見方ですから」 どきりとした。 今まで、ぐるぐると考え続けていたことを、見透かされたような気がしたのだ。 「なんだ。急に」 乾は、それには答えず、ダッシュボードから何かを取り出し、手塚の方に差し出した。 「これを国光様に」 「え?」 「どうぞ」 よくわからないが、早く受け取らないと信号が変わってしまいそうだ。 言われるまま、乾の差し出したものを受け取った。 乾がくれたものは、布のカバーのかかった文庫サイズの本だった。 「乾。このカバー」 「お気づきですか」 ハンドルを握る乾の顔は見えないが、声の調子で、微笑んでいるのがなんとなくわかる。 「実は、そのカバーはネクタイとお揃いで作らせたものなんです」 車内が暗くてはっきりとはわからないが、確かにカバーの柄は、今身に着けているネクタイと同じように見える。 「実は、カバーと一緒にお贈りしたい本があったんですが、取り寄せになってしまって間に合わなかったんです。それで今朝渡しそびれてしまって」 「ではこの本は?」 「すみません。中身は、私が持っていた同じ本です。もうボロボロでお恥ずかしいんですが」 「開いてみてもいいか」 「ええ、もちろん」 開いてみると、確かにページの端が何箇所も折られていた。 気に入ったページの端を折るのは、乾の癖だ。 国光にとっては、新品よりも、ずっと価値がある。 「本ごと貰っていいのか」 「そんな古いものでよろしければ」 「ありがとう」 受け取った本は、新品のよそよそしさがなく、どこか温かい感じがした。 「どうして、今これを、くれる気になったんだ?」 そう国光が問いかけたときに信号が変わり、車が動き出した。 通り過ぎる車のライトで、ハンドルを握る乾のシルエットが浮かぶ。 やや間が相手から、乾の静かな声が聞こえてきた。 「さきほども言いましたが、私はいつでも国光様の味方です」 それは、子どものころから、よく知っている。 「でも、今夜は国光様のおそばには居られません。ですから、せめてその本を私の代わりに傍に置いていただきたかったんです」 いくら乾であっても、国光が朝から考え続けていたことを、見透かせるわけはない。 でも、きっとその中心にあるものくらいは、ぼんやりとでも見えているのだと思う。 そうでなければ、こんな言葉は出てこない。 「ありがとう。お守りがわりに持っていく」 受け取った本を、上着の内ポケットに滑らせる。 そう大きくない本だから、きちんと収まった。 「お邪魔じゃありませんか?」 「いや、大丈夫だ」 そこが本来の居場所かのように、馴染んでいた。 たった一冊の本が、こんなにも心強く感じるものだろうか。 不思議な暖かさに、やっと肩の力が抜けてきた気がする。 そんなことを考えているうちに、車は目的の場所に到着した。 乾は静かに車を止め、ゆっくりと国光の方に振り返った。 「いってらっしゃいませ」 「ありがとう。いってくる」 ドアを開けようとしたとき、急に乾が振り返った。 「国光様」 「ん?なんだ」 「お贈りしたネクタイの柄の名前を、ご存知ですか?」 「グレンチェック、ではなかったか」 あまりそういうことには詳しくないが、確かそういう名前だったと記憶している。 「ええ、その通りです。でも別な名前もあるんですよ」 乾は、小さな子どもに聞かせるように、やけにやさしい口調で言った。 「別な名前?」 乾は、小さく頷いた。 目が笑っている。 「この柄は、プリンス・オブ・ウェールズ・チェックとも言うんです」 それは初耳だ。 だが、なぜそんな話を今するのか。 国光がそんな疑問を持つことも、想定済みだったのか、乾はますます嬉しそうに笑う。 「今夜の国光様には、ぴったりでしょう?」 「俺に?」 「ええ。スーツ姿の国光様は、どこかの国に皇太子みたいです」 「なにを言っているんだ」 「思ったことを、そのまま申し上げただけですよ」 にっこりと微笑む顔を見たら、さらに力が抜けてきた。 これも、計算のうちなら尊敬に値する。 「とにかく行ってくる」 「後で、お迎えにあがります」 「頼む」 「かしこまりました」 乾は丁寧に頭を下げた。 車から降りて、ドアを閉めた。 目の前には、予約してあるレストランがある。 やっぱり今夜の食事を楽しみとは思えない。 今の自分には、重たいものが待ち構えている事実には変わらない。 でも、きっと大丈夫だ。 自分には、とても頼りになる味方がついている。 胸の上に手を置き、乾からもらった本を確かめてみた。 あまり厚くない本だけれど、しっかりとした存在感がある。 食事を終えて、乾と暮らすあの部屋に戻ったら、コーヒーを淹れてもらおう。 乾のことだから、きっとケーキくらい用意しているだろう。 おそらく、去年国光が喜んだ、あの林檎のケーキだ。 あのケーキを食べながら、ゆっくり乾と話をしよう。 それが自分にとって一番嬉しい誕生日祝いなのだ。 そう乾に伝えたい。 2010.12.01 ------------------------------------------------------------ 終わりました!数年間放置していたので、完結できて嬉しい。色々細かい点が気になるので、あとからまた手を入れたい。でもひとまず終わり。よかったよかった。 といいつつ、まだ終わってない話があるので、後日こそこそアップします。 誕生日祭は今日で終了です。今回は中断もあり、いつもより長い間おつきあいいただいて、どうもありがとうございました。見てくださった全ての方に心から感謝いたします。 手塚大好き!お誕生日おめでとう!また来年もお祝いさせてね! |