あふれる

手塚のテニスを見ているとき、時々自分が泣きそうになっていることに気づく。
悔しいとか悲しいとか、ネガティブな気持ちからくるものではない。
うまく説明はできないけれど、一番近いのは感謝であり、感動なのだろうと思う。

地面を蹴る足の動きや、しなやかに反る背中。
力強いスイングと、ぶれることのない真っ直ぐな視線。
テニスをしているときの手塚は、本当に綺麗だ。
多分、それを間近で見られることに、俺は感動しているのだろう。

もし、数ヶ月、俺が生まれるのが早かったら。
俺と手塚のどちらからが、東京に住んでいなかったら。
テニスというスポーツを選ばなかったから。
ほんの少し違っていたた、俺は今こうして手塚のそばにいることも、時間を共有することもできなかった。

同じ時間を同じ場所で過ごし、同じ夢を追いかけられる。
そして、俺の理想が、そのまま形になったような存在が、ここにいること。
その奇跡に、俺は感動し、感謝する。

俺は、ありとあらゆる感情を、手塚を通して体験する。
何度も心を打たれ、気恥ずかしいくらいときめき、ときには恐れさえする。
見ているのが怖いと感じたことも一度や二度じゃない。
ここまで俺に影響を与える人間は他にはいない。
そんなに激しく揺さぶられたら、俺の中の何かが溢れてしまう。
コップの中の水が、あふれるように。

ああ。
そうか。
手塚を見ていると泣きたくなるのは、きっとそのせいだ。

いっそ全部ひっくり返してもらったら、そこに新しい水がたまっていくのかもしれない。

2009.04.11

泣きたくなる理由は、それだけじゃないってことに、そのうち気づくのだろう。

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