toi toi toi

八月も、残り一週間ほどになった日、ドイツにいる手塚から葉書が届いた。
晴れた空を背景に、紙飛行機が浮かんでいる写真入りの絵葉書だった。
真っ青な空の色と、白い紙飛行機のコントラストが、とても綺麗だ。

文面は「残暑お見舞い申し上げます」で始まり、夏休みもそろそろ終わる頃だなとか、暑さはまだ厳しいだろうから体調管理に気をつけろなんてことが、几帳面な字で綴られていた。
つい数日前、母方の祖母からかかってきた電話の内容と、ほとんど同じだ。
この文章を、わざわざドイツから送ってよこすのが、いかにも手塚らしい。
どこにいても、手塚は手塚だということだ。
届いた葉書を数回読み返したが、その度に笑ってしまった。

残暑見舞いの文は、綺麗なブルーブラックのインクで書かれている。
だが、最後の一行だけが、別の色のインクが使われていた。
その一行は、ごく短く、鮮やかな緑色だった。

toi toi toi

この言葉は、「頑張れ」とか「幸運を祈る」という意味のドイツ語だ。
英語で言うところの、Good luckみたいなものだ。
もともとは、悪霊の嫉妬を避ける護身のまじないで、toi toi toiと唱えて、机や木を叩くのだそうだ。

実は、最初にこれを手紙に書いたのは、俺の方だった。
たまたま雑誌のコラムか何かでこの言葉を知り、その軽快な音の響きが気に入ったから、手塚宛の手紙の最後に書いてみたのだ。
手塚ならきっとわかるだろうと思い、何の説明もしなかった。

それからしばらくして届いた手塚からの返信には、やっぱり最後に同じ言葉が書かれていた。
『俺からも同じ言葉を送る」と添えて──。

その後、この言葉は俺と手塚の合言葉みたいなものになった。
手紙や葉書だけでなく、Eメールにも必ず使った。

「頑張れ」
「幸運を祈る」

その思いは、何度も日本とドイツの間を往復した。

本当は、俺が祈らなくたって、手塚なら自力で幸運を引き寄せられるだろう。
それに、手塚は自分の進むべきを道を見つけたなら、運などあてにしなくても、多少の嵐などものともせずに、まっすぐに突き進んでいくだろう。
それくらいの強さを、手塚は持っている。

でも、だからこそ俺は、手塚の幸福を願わずにはいられない。
後ろを振り返ることを知らず、孤独を孤独とも思わないような手塚が、いつも幸福であるように、この小さな島国から願い続けるのだ。

大事にしまってある絵葉書の中から、青い海の写真を選んだ。
サンゴ礁の美しい、白保の海の葉書だ。
もちろん、手塚に出すためのものだ。
手塚からの葉書が空だったから、俺は海にしたかった。
ドイツからは、遥かに遠い東の海だ。

俺は、手塚の真似をして、ブルーブラックのインクで返事を書いた。
元気でいるよ、夏バテなんかしてないよ。
そんな、ごくありふれた文面だ。
そして、いつものように、最後に toi toi toi と書き込んだ。

手塚が、幸せでありますように。
そして、次に会える日を楽しみにしているという願いを込めて。

全部の文字を綴ってから、俺は三回、机を叩いた。
軽快な音が、俺の耳にはとても心地よかった。
この小さな振動も、いつか手塚に届く気がした。

2011.09.01(9.14一部修正)

0655の新しいおはようソング「toi toi toi」を聞いたら、こんなのが浮かびました。
高校一年生くらい?

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