griddl scone
朝に飲むのはコーヒーで、午後3時頃に飲むのは紅茶。そんな習慣ができて、かれこれ三年くらいが経つ。
きっかけは、俺が手塚に似合うティーセットを買ったことだった。
手塚が俺のために紅茶を淹れてくれるのを見たいという、わがままな理由で買ったのだ。
俺の勝手な言い分に、一応文句はつけたものの、なんだかんだでちゃんと使ってくれている。
案外、手塚はお人よしなのだった。
生真面目な手塚らしく、とても丁寧に扱ってくれるので、三年経っても、ティーセットは綺麗な状態を保っている。
定番商品だから割れても補充できるのだが、さすがボーンチャイナだけあって、今のところヒビも欠けもない。
綺麗に使っているといっても、新品のときとは、やっぱり違う。
買った当初のよそよそしさがなくなり、どことなく角が取れてな味が出てきたように思う。
今の方が、より手塚に似合っている。
午後のお茶を楽しむのは、平日はさすがに無理があり、もっぱら休日の楽しみになっていた。
自分の中では、目を覚ましたいとき、エンジンをかけ直したい時はコーヒー。
ゆったりとした時間を味わいたいときは紅茶がいい。
今では、紅茶に合う菓子も欠かさない。
ショートブレッドやビスケットのような日持ちのするものが多いが、スコーンやマフィンがテーブルに載ることもある。
甘さが控えめな焼き菓子が、手塚の好みらしい。
今日のお茶菓子は、スコーンだった。
味はプレーン。
ブルーベリーのジャムを添えている。
この店のスコーンは、小ぶりでざっくりと歯ごたえがあるのが特徴だ。
都内のあちこちに店があるので、手に入れやすいのもいい。
たっぷりとジャムを塗り、一つ目を平らげたところで、向かいに座る手塚が徐に口を開いた。
「スコーンは、たいていこういう形だな」
「ん?まあそうだね。店によって、多少の違いはあるけど」
今日のスコーンは、小さめで硬く、狼の口と呼ばれる亀裂が少ない。
店によっては、もっとボリュームがあって、狼の口がぱっくり開いているものもある。
だが、形自体は、大抵は一見してスコーンとわかるものが殆どだ。
まだ手をつけていないスコーンを、手塚はじっと見つめている。
なにか気になることでもあるのだろうか。
「なんで?」
「いや、ずっと前に違う形のを食べた気がして」
「ああ、そういえば三角のもあるな」
「三角?あるのか?」
急に、手塚が顔を上げた。
「あるよ。スタバとか三角っぽい」
「そうか」
手塚は、なにかほっとしたような表情をしている。
「三角のが食べたかったのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが。思いだしたら、なんとなく気になって」
手塚が自分から、なにかを食べたいと言い出すことは、あまりない。
気になるだけと言っても、少しでもそれを食べたいと考えているなら、ぜひそうしてやりたいと思ってしまう。
「いいよ。スタバでいいなら、買ってこようか?」
「いいのか?」
「お安い御用。近いうちに仕事帰りに買ってくる」
ありがとうと笑う手塚は、少し照れているようだった。
そんな顔を見せてくれるなら、スコーンくらいいくらだって買ってやる。
と、思ったけどとりあえず口には出さずに残った紅茶を飲み干したのだった。
それから三日後。
早めに仕事を終えることができたので、約束通りに三角のスコーンを買ってみた。
平日だったが、やっぱり紅茶の方が気分が出るので、寝る少し前に紅茶を淹れてもらった。
普段より、やや薄めにしてあるのは、遅い時間だからだろう。
軽く暖めたブルーベリーのスコーンを、何も付けないで食べてみた。
生地は、しっとりとしたタイプで、味も甘めに感じた。
どちらかと言えば、さくさくしたタイプの方が好みだが、これはこれで悪くない。
しかし、俺の感想はどうでもいい。
肝心の手塚の反応を伺うと、どうにも複雑な顔をしていた。
外したか?と不安になる。
「どう?前に食べたのと同じかな」
「ちょっと、違う気がする」
ああ、やっぱり。
がっかりしたところを見せると、手塚が気にする。
「そっか。違ったか」
気落ちしているのを悟られないよう、出来るだけ軽く言ってみた。
「いや、違うけれど、これも美味しい」
手塚はそう言ってくれたけれど、俺のもやもやは収まらない。
もちろん、手塚に対してでなく、自分自身に対してだ。
手塚の様子を見れば、嘘じゃないのもわかる。
だが、期待に応じられなかったという事実が変わるわけでもない。
この俺が、手塚の望みを叶えてやれないなんて。
はっきり言って、非常に悔しい。
手塚は、なにも贅沢な話をしているわけじゃない。
こうなったら、何がなんでも、手塚の記憶にあるスコーンを探し出してやる。
俺のプライドにかけて。
なんてことを考えながら、俺がブルーベリーのスコーンに噛り付いていたのを、手塚が知る由もない。
それから約二週間後、名誉挽回のチャンスがやってきた。
手がかりは、インターネットで、あっさりと見つかった。
IT社会万歳だ。
ひそかに準備を進めながら、休日が来るのを待った。
楽しみは、あとに伸ばした方が楽しい。
そこそこ忙しい平日をやり過ごし、やっと待ちに待った休日がやってきた。
窓の向こうには、朝から綺麗な青空が広がっている。
もしスコーン日和と言うのがあるなら、それは今日のような日だろう。
深い意味は、まったくない。
とりあず昼過ぎまでは、いつもの休日と同じように過ごした。
普段よりも時間をかけた食事をとり、たまった洗濯物を片付たりと、まったく普段通りだ。
しかし、その間も、ずっとスコーンを忘れたりはしない。
手塚に切り出すタイミングを、ずっと伺っていた。
そうこうしているうち、いつもならあと30分くらいで、ティータイムという時刻になった。
そろそろ良いだろうと、ソファで雑誌をめくっていた手塚に、声をかけた。
休日でも、きっちりとアイロンのかかったシャツを着ているのが、いかにも手塚らしい。
「手塚。この間のスコーンの話なんだけど」
ん?と手塚が顔を上げた。
「あれ、もしかしたら、食べさせてやれるかもしれない」
「え?三角のスコーンのことか?」
手塚は詠みかけの雑誌を手に、きょとんとした顔をしている。
「それらしいレシピを見つけたんだ。これから作ってみるから、少し待ってくれるか」
「それは、かまわないが」
「じゃ、手塚はお茶の用意をして待ってて。準備が出来たら言うから」
「わかった」
頷いたものの、手塚はまだ良く事情が飲み込めていない様子だった。
なんの説明もしていないのだから、当然の反応だろう。
それでも、普通に対応してくれるのは、俺という人間をよくわかっているからだと思う。
早い話が、俺の唐突さに慣れているのだ。
背後に手塚の気配を感じながら、ばれないように小さく笑った。
さあ、あまり待たせないように、スコーン作りに集中しよう。
使う材料も道具も、殆どが家にあるもので賄える。
今日のために買ったのは、バターミルクとベーキングパウダーだけだ。
バターミルクは手に入りにくいらしいので、粉末のもので代用している。
材料をすべてボールにいれ、さっくりと混ぜる。
それから、打ち粉をして一まとめにして、手でこねる。
作るのは初めてだが、迷うほどの手順ではない。
本格的なスコーンに比べれば、あっけないほど簡単だ。
15回ほどこねたら、生地を丸く伸ばし十文字に切り分け、あとは焼くだけ。
ここからは、普通のスコーンと大きな違いがある。
一般的なスコーンは、オーブンで焼き上げるが、このスコーンは油を引かないフライパンで焼くのだ。
熱したフライパンに切り分けた生地に並べ、蓋をして弱火でじっくりと火を通す。
ベーキングパウダーが入っているから、面白いくらいに生地が膨らむ。
同時に香ばしい香りがしてきた。
15分ほどで片面が焼けるので、ひっくり返す前に手塚に声をかけた。
「手塚、あと15分くらいで焼きあがる。そろそろお茶を入れてくれるか」
「了解だ」
振り返ると、すでに手塚は立ち上がり、紅茶を入れる準備を始めていた。
手塚の方も、すっかりお茶を入れる手順が板についている。
このスコーンが、手塚の望むものだという確立は90パーセントくらいだろうと分析している。
しかし、これが正解じゃなかったとしても、今日のお茶の時間は楽しいものになりそうだ。
お湯の沸く音を聞きながら、そう確信した。
白いカップには湯気の立つ紅茶。
そして揃いの皿の上には焼きたてのスコーン。
ふたつが、行儀良くテーブルの上に並んでいた。
俺と手塚は向かい合わせで、席に着いた。
こんがりと綺麗な焼き目のついたスコーンを、手塚はじっと見ていた。
「さて、いかがなものでしょう?」
「見た目はそっくりだ」
丸く伸ばした記事を四等分しているので、形は三角に近い。
ベーキングパウダーのせいで、全体はふっくらと膨らみ、いわゆるスコーンらしくは見えない。
どちらかといえば、チャパタやフォカッチャに似ている。
「じゃ、さっそく食べてみて」
今日は、バターと蜂蜜を用意した。
シンプルに味わう方が、美味しそうに思えたからだ。
手塚はスコーンを半分に割り、まずバターの塊を乗せ、さらに少しだけ蜂蜜をかけた。
まだ熱々なので、じわじわとバターが溶けていく。
蜂蜜がこぼれないよう気をつけている仕草で、白い左手がスコーンを口に運んだ。
一口をゆっくりと噛みしめてから、手塚はにっこり微笑んだ。
「ああ、これだ」
「本当?」
反射的にそう聞いてしまったが、声を聞けば嘘じゃないことくらいわかる。
手塚は笑顔のまま、小さくうなずいた。
「間違いない」
「よかった。美味しいかな」
「素朴で旨い」
手塚の返事を聞いてから、自分でも一口食べてみた。
いわゆるスコーンと比べると、もっとふわっとしている。
外側は焦げ目がつき、ぱりぱりしているので、食感の違いが面白い。
確かに素朴で、いかにも家庭で作るお菓子という感じだ。
おやつ、という呼び方がしっくりくる。
「手塚はこれ、どこで食べたの?」
「多分、イギリスの知人の家だと思う」
「そうか。これ、グリドルスコーンって言って、今のスコーンの原型らしいよ」
「グリドル?」
「ああ。グリドルって言うのは、ケルト民族の使う厚手の鉄鍋みたいなものらしい。それで焼くからグリドルスコーン」
「そうか。言われてみたら、そんな話を聞いたかもしれない」
手塚は、左手に持つスコーンを、じっと見ている。
「思い出の味、なのかな」
「いや。正直、すっかり忘れていた。このあいだ、不意に思い出したんだ」
笑う手塚は、どこか遠い目をしているように見える。
本当に、ずっと忘れいていたことを思い出しているのかもしれない。
俺の知らない、外国で暮らしていた日々を――。
思い出の味なのかと訊くとき、実はほんの少し緊張していた。
手塚が自分から言い出さない限り、離れて暮らしていた頃の話は尋ねないと決めていたからだ。
確かめたことはないが、おそらく手塚も同じような考えだったのだと思う。
なんとなく、ふたりの間では、過去には触れないというのが、暗黙のルールみたいになっていた。
でも、もうそんな気遣いはいらないのかもしれない。
手塚が、「イギリスの知人」といったときは、うんと遠い昔の出来事を語る口調だった。
過去は過去として、これからも変わらずに存在する。
だが、それももう思い出として片付けてしまってもいい時期なのだろう。
今、俺と手塚は同じ時間を共有し、それはこれからもずっと続いていく。
そう確信しているから、つまらない気遣いはもう必要ないのだ。
信じられる未来と同じように、今の手塚に至る過去の時間も共有できればいい。
まず手始めは、お茶に会うお菓子から。
そんなのも、いいじゃないか――。
俺も手塚も、すでにひとつめを食べ終えて、ふたつめに手をつけている。
まだ暖かい素朴な味は、とても紅茶に合う。
「これ、ものすごく簡単だから、食べたいならすぐ作れるよ」
「そんなに簡単なのか?」
「ああ、手塚でも作れるな」
「――でも?」
手塚はカップを持ち上げかけた手を止め、やや目を細めて俺を見た。
「あ、あ、ごめん。そういう意味じゃなくて」
「ほかにどんな意味がある」
「えーと、すみません。誰でも、に訂正します」
「あまり違いがないが」
「ごめんなさい」
頭を下げた俺を見て、手塚がくすりと笑ったようだ。
顔を上げたときには、楽しそうな表情に変わっていた。
「俺でも作れるなら、そのうち挑戦してみるか」
「あまりいじめないでくれよ」
皮肉を言いつつも機嫌のいい手塚に、俺は空になったカップを差し出した。
「手塚にしかできなことをお願いしたい」
「なんだ?」
「お茶のおかわり」
「どこが俺しかできないことだ」
「だって、自分で淹れたって美味しくないからね」
コーヒーならともかく、紅茶は自分で淹れるものじゃない。
白いカップを扱う手塚の指や、温度や濃さを確かめる真剣な眼差し。
そうやって、俺のためだけに手塚が淹れてくれるから、紅茶は何倍も美味しくなるのだ。
「ね?お願い」
手塚は無言で俺のカップを手に取り、自分の前に置いた。
そしてクリーム色のティーコゼをはずし、ポットに残っていた紅茶を、空になったティーカップに注ぐ。
文句を言った割には、その手つきは丁寧で上品だ。
カップを満たす紅茶のいい香りが、ゆったりと立ち上った。
「どうぞ」
「ありがとう」
二杯目の紅茶も、やっぱり美味しい。
手塚も、自分のカップに注いだ紅茶を味わっている。
「これと同じスコーンを食べたときの話、もう少し聞いてもいいかな」
「ああ」
手塚は軽く微笑み、静かに口を開いた。
「イギリスの郊外に古い別荘を持っている知人がいたんだ」
静かな声で、穏やかな口調で、紅茶とスコーンにまつわる話は続いた。
午後のひと時を、ゆったりと過ごすのに、ちょうど良かった。
懐かしい思い出と、紅茶は良く合うようだ。
それから、グリドルスコーンは何度もお茶の時間に登場した。
今のところ、作るのは俺だけれども、きっとそのうち手塚もやってみたいと言い出すだろう。
それまでに、もっと厚手の鉄のフライパンを手に入れようかと考えている。
2011.05.05
すぐに読み終わる短いものを書くつもりだったのに、こんなに時間がかかってしまった。なぜだ。
で、グリドルスコーンですが、わたくし作ったこともなければ食べたこともありません。すんません。
まったくの想像で書いてます。でも、美味しそうだから一度くらいは作ってみたい