ホットケーキ小話
普段の行動パターンから、容易に予想できたことだが、ここしばらく乾がホットケーキ作りに凝っている。去年のクリスマスに、手塚がリクエストしたのが、きっかけだったのは間違いない。
最初は、市販のホットケーキミックスを次々と買ってきて、食べ比べてみるところから始まった。
手塚は子供の頃から馴染みのあるM社のものしか知らなかったが、乾の話によると、実は色んなメーカーのものが出回っているらしい。
確かにスーパーやデパートに行けば、見たこともないような商品が並んでいる。
それを片っ端から試した後は、乾の興味はパンケーキミックスにまで範囲が広がった。
当然のように、手塚はそんなものがあることを知らなかった。
パンケーキ自体は食べたことがあるが、家で作るものというイメージがない。
乾の説明で、そもそもホットケーキとは和製英語であり、パンケーキの一種だということもわかった。
作るだけじゃ飽き足らず、何かうんちくを語らずにいられないのがあの男なのだ。
乾にとって料理を作ることは、趣味に近い。
特にお菓子作りは、科学の実験に良く似ていると言う。
同じ材料を同じ分量だけ使っているのに、手順や温度を少し間違えただけで、まったく違った反応を見せるのが面白いのだそうだ。
乾の説明によれば、ホットケーキは、お菓子作りの初心者に向いているらしい。
材料や道具も、特別なものは必要としない。
卵と牛乳とフライパンがあれば、とりあえずなんとかなる。
だが、ちょっとした工夫でバリエーションは無限に広がっていく。
乾には、そこが楽しいらしい。
それに、市販のミックスをベースにしておけば、大きな失敗はない。
専用のフライパンまで買い込むほど入れ込み、乾は、すっかり腕を上げた。
今では、乾の作るホットケーキやパンケーキは、店に出してもはずかしくない仕上がりだった。
まったく同じ大きさの、厚くてふわふわのケーキを二枚重ねて、四角く切ったバターを載せる。
絵に描いたようなホットケーキが、手塚の前で湯気を立てていた。
一口分をナイフで切り取り、フォークで口に運ぶ。
今日は、ベーシックにメイプルシロップをかけた。
独特のこくのある甘さと、バターの塩味の相性は最高にいい。
どこにでもあるホットケーキミックスを使っているのに、どうしてこんなに美味しいのか。
そう思っていたのが顔に出たのか、手塚の正面でケーキをつついていた乾がふっと笑う。
「うまく焼けたと思って良さそうだな」
「ああ。いい焼き加減だ」
乾がホットケーキを焼く間に、自分で淹れた紅茶を一口味わった。
目の前のホットケーキは、綺麗な卵色の断面を見せている。
上下二枚とも、まったく同じ大きさと厚さなのが、すごい。
そうするには、普通は専用の枠を使うらしいが、乾は小さめのフライパンを使って再現しているようだ。
例え枠を使ったとしても、手塚には、こんな風に均一の厚さに焼くことは不可能だろう。
「お前は、本当に器用だな」
パッケージ写真にしたいようなケーキを見ていたら、自然とそんな言葉が出てきた。
「よく言われるけど、俺は特別、器用ってわけじゃないよ」
「そんなことはないだろう?」
こんなホットケーキを焼ける人間が何を言うのか。
「いや、本当。不器用とは言わないけど、自慢するほど器用でもない」
表情を見ている限り、乾は本気でそう考えているようだ。
だが、手塚にはどうしても納得がいかない。
乾を器用と呼ばないなら、誰をそう呼んだらいいのだ。
手塚が言いたいことを先回りするように、口を開く。
「生まれつき器用じゃなくても、自分が気が済むまで何度も繰り返すから、自然と身につくだけだ」
「でも、繰り返しただけじゃ身につかないことだってあるだろう」
人には誰でも得手不得手がある。
繰り返しただけでマスターできるなら、誰も苦労はしない。
もし乾がそれを出来るなら、やはり人より器用ということになるのではないか。
そう反論したら、乾はにやりと笑った。
「そう言われると思ったよ。でも少し違うんだ。俺は、ただ闇雲に繰り返すんじゃなく、まず理解するところから始めるんだ」
「理解、か」
「そう。理屈がわかれば、方向性が見えてくるだろう?」
ああ、と手塚は小さく声を上げた。
それは確かに乾らしいやり方だ。
「だからね。なぜこうなるか、どうすればもっとよくなるか。それを理解できないものは、いつまで経っても習得できないんだ」
「好奇心と分析力の結果、か」
「そいういうことだな」
乾は満足そうに頷いて、紅茶のカップを傾けた。
「でも、お前がケーキを焼くのを失敗したところを見た覚えがないが」
まさか、手塚の見ていないところで秘密の特訓をしたわけでもないだろう。
「事前に頭の中で、しっかりシミュレーションしておくからな」
好奇心、分析力、そして想像力。
どれも、乾の得意分野であることは、間違いない。
なるほどと思えることの幾つかが、頭を過ぎる。
「……手塚、今なにを想像した?」
白いカップを片手に、乾が意味ありげに微笑んだ。
「どういう意味だ」
「一瞬、色っぽい顔になったようですが」
どきりとした。
だが、それを顔に出さずにおくのことは、長い付き合いの中でどうにか身につけた。
繰り返すことで何かを身につけられるのは、乾だけじゃない。
「考えすぎだ」
なるべく冷静な態度を保ち、まだ暖かいホットケーキを口に運ぶ。
分析力に優れた男の前では、うかつな想像もできないようだ。
それでも、乾の焼いたケーキは確かに美味しかった。
2008.09.11
クリスマスに書いたホットケーキ話の続き。
言うまでもなく、手塚の頭に浮かんだのは、えっちなことです。