ホットミルク

手塚はここのところ、コーヒーを自分で淹れることに凝っている。
きっかけは、少し前に乾が買ってきたコーヒー豆が、とて手塚の好みだったこと。
乾は昔からコーヒーを煎れるのがとても上手で、頼めば喜んで旨いコーヒーを飲ませてくれる。
だが、乾のいない時間には、それを味わうことが出来ない。
乾と同じようには無理だとしても、なんとか自分でもそれなりのコーヒーを淹れられるようになりたい。
せっかくの美味しいコーヒーがあるのだからと、手塚は頑張ってみることにした。

「手塚はこれを使うといい」
乾が、仕事帰りに買ってきたと言って、手塚に白い箱を手渡したのが、練習を始めて三日目のことだった。
「コーヒーサーバーだよ」
乾が指差すそれは、透明なガラスが銀色のフレーム中に嵌ったシックなデザインのもの。
「これは紅茶用じゃないのか?」
手塚の認識では、これはティーサーバーだ。
ガラスのカプセル部分に茶葉を入れて、葉が開いたらストレーナを押し下げて漉す。
そうやって使うものだと思っていた。

「うん。紅茶にも使えるよ。両用タイプ」
乾はにっこりと笑うと、箱を開けたばかりのサーバーをキッチンで洗い始めた。
「これだと簡単に美味しいコーヒーが淹れられるから、使ってみてくれよ」
「わざわざ俺のために買ってきたのか」
「んー。そういうわけでもないんだけど。ドリップよりこれで淹れる方が旨いって言う人もいるからね。そのうち買おうと思ってたんだ」
乾は手塚に背を向けたまま、軽い口調で答えた。

勿論、今の言葉をそのまま鵜呑みにすることなど出来ない。
乾が手塚のためを思って買ってきてくれたのは、わかりきっている。
いつも乾はそんな風に、手塚のために細やかな気を使ってくれるのだ。
ありがとうと真面目な顔で礼を言えば、かえって乾の気遣いに水を差しそうだ。
「使い方を教えてくれ」とだけ言うと、振り向いた乾はとても嬉しそうな顔で頷いた。


「お前も飲むか?」
以前は手塚が自分で入れるのは緑茶だけだったが、乾がくれたサーバーにすっかり馴染んだので、最近では食後にコーヒーを飲むのが日課になっている。
夕食の後片付けを終えて、ソファに座って夕刊を読んでいた乾は、ぱっと顔を上げた。
「うん。飲む」
早速お湯を沸かそうと立ち上がった手塚に、何かを思い出したように乾が声を掛けた。

「ちょっと待った。手塚、今日はコーヒーを何杯飲んだ?」
いきなりなんだと思いながら、手塚は朝から飲んだ回数を心の中で数える。
「…四杯くらいか」
「ちょっと飲みすぎだよ。胃に悪い」
新聞を畳んで立ち上がった乾は、手塚の前を横切り冷蔵庫を開けた。

手塚は普段、冷たい飲み物を、あまり好まない。
机に向かうときや本を読むときに暖かいものを飲むのは、昔からの習慣だ。
だから確かに乾の言うように、お茶やコーヒーをついつい飲みすぎてしまうことは、珍しくはなかった。

「俺が暖かいもの入れるから、手塚は座って待っててくれ」
「でも」
「いいからいいから」
ちょっと楽しげな口調に促されて、仕方なく、さっきまで乾が座っていた場所に腰を下ろした。
乾の体温でクッションが少し温まっていた。



「はい。ホットミルク」
15分後に手塚に手渡された卵色のマグカップからは、甘い香りが漂っていた。
「なんだ?いい匂いがする」
「ダークラムを落としてある」
受け取ったカップはとても暖かく、立ち上る湯気は、確かにアルコール特有の香りがある。
「温まるよ」
笑う乾の右手にも、やはり同じようなマグカップがあった。

「あ、いいものがあるんだ。ちょっと待ってて」
乾は一旦カップをテーブルの上に置くと、自分の部屋から紙の袋を持ってきた。
そして、ガサガサと袋を開けて、中味を取り出した。
それは厚みのある丸いクッキーだった。

「会社で貰ったのを忘れてた」
「会社で?これをか?」
「昨日、バレンタインだったからね。これは一応チョコチップ入りなんだ」
はい、と渡されたクッキーからは、乾の言う通りゴロゴロと丸いチョコが覗いている。
「基本的に、義理チョコを配ったりはしない会社なんだけどね。これは同じ部署の子が夜食がわりにくれたんだ」
乾は、もう一枚を取り出し、手塚の隣りでそれを一口齧る。

「美味しいよ。食べてみて」
言われて手塚も一口食べてみる。
少し固めのクッキーは懐かしい味がした。

「貰い物で悪いけど、一応これもチョコレートだから」
「しかも一日遅れだ」
乾は小さく声を上げて笑ってから、触れるだけのキスをひとつ手塚に贈った。
甘いミルクの味のするキスなんて、ちょっとくすぐったいなと手塚は思っていた。


2005.02.15

オフリミバレンタイン。いい年をして何をやっているのか。

ホットミルクにダークラムを落とすのは私。暖めた牛乳の匂いが苦手なんです。だからそのためだけに「マイヤーズ」のダークラムを買ってます。