酒に強い手塚の話
手塚は、あんな見た目だけど、ものすごく酒に強い。日本酒、ウイスキー、焼酎、ビールと、アルコールならまんべんなく強い。
それなりの量を飲んでも、顔にはまったく出ないし、ほとんど普段と様子が変わらない。
まあ、少しだけ口が軽くなったりするが、それは付き合いの長い人間だからわかるきことで、初対面であれば無口だと判断するだろう。
でも、不思議なことにワインだけは別だ。
あんなに酒に強いのに、ワインだけは酔っ払う。
初めて、それを知ったときは驚いた。
あれは、何年前だったろうか。
確か、どこかのイタリアンの店だったかで、一緒に食事をしていたときだったと思う。
何を飲んでも、けろりとしている手塚が、たったグラス一杯のワインで、顔を赤くしているのだ。
そんな手塚を見たことがなかったので、俺は驚いた。
「手塚、顔赤いよ」
「だろうな。ちょっと顔が熱い」
「まさか、酔ってる?」
「多分。俺は、どうもワインに弱いらしい」
既に、手塚にはワインに酔いやすいという自覚はあったようだ。
といっても、ぐてんぐてんに酔うわけではない。
少し顔が赤くなって、目がとろんとする。
口調がゆっくりになって、表情が柔らかくなるくらいだ。
そんな手塚には、なかなかお目にかかれないので、当時の俺は、かなり驚いた。
と同時に、いいものを見られたとも思った。
だって、酔っ払った手塚は、色っぽくて可愛かったのだ。
あれから、ときどき手塚にわざとワインを勧めることがある。
いいことがあったときや特別な日を選んで、上等なワインを奮発して買ってくる。
そして、いつもより少し手の込んだ料理も作る。
美味しい食事とワインを、自宅でゆっくり楽しむのがいい。
そういう状況だと、手塚も安心して味わってくれるようだ。
俺の下心には気づいていても、見てみぬふりをしているのかもしれない。
今日はクリスマスイブだから、特別な日と言っていいだろう。
しかも、三連休の真ん中だ。
これ以上はないくらい、ゆっくりと過ごせるはずだ。
夕食のメニューは、三日前から決めてあった。
シーフードたっぷりのパエリアとローストチキン、それにモッツアレラとトマトのサラダに、玉ねぎと生ハムのマリネも添えた。
あくまでも、主役は手塚の好物であるパエリアなので、チキンは手羽元を使った簡単なものにした。
ケーキはないが、かわりにシャーベットをデザートとして用意した。
でも、そこまでたどりつかないかもしれない。
料理をすべてテーブルの上に並べてから、最後に、たまにしか使わない一番いいワイングラスを置いた。
今日のワインは、パエリアに合わせて白にした。
手塚が、特に白を好むからでもある。
軽く乾杯をして、夕食が始まった。
男二人のクリスマスイブには、今日という日を演出する華やかなものは何もない。
テーブルの上に置かれた、小さなガラス細工のツリーと、天使が閉じ込められたスノードームだけが、かろうじてクリスマスらしい雰囲気を作っていた。
数年前に、互い贈りあったものだが、それ以来こうしてイブの夜だけ飾っている。
さすがに何日も目に付くところに置くと、気恥ずかしくなるのだ。
特別な日は、短いから粋なのだろう。
パエリアもチキンも、我ながら上手くできたと思う。
手塚も気に入ってくれたようで、美味しいという言葉を何度も口にしている。
もちろん、用意したワインも、ちゃんと味わってくれていた。
「旨いワインだ」
「口に合ったなら嬉しいよ」
事前に、あれこれリサーチした甲斐があるというものだ。
10代の頃から比べると、食べる量は目に見えて減った。
その分、一回毎の食事を大事にするようになってきた気がする。
今は、一緒に食べる相手が手塚だから、とくに食事の時間をゆっくりと楽しみたいという思いもある。
手塚の誕生日は、自分にとっては、間違いなく特別な日だ。
それに比べれば、クリスマスイブの本来の意味は、個人的にはあまり関係ない。
でも、日々の暮らしの中に、ちょっとした楽しみをプラスできる日としては、ちょうどいい。
神様には、少し後ろめたいが。
「ご馳走様。全部、美味しかった」
フォークを置いた手塚が、俺に向かって笑いかけた。
やっぱり普段よりも口調がゆっくりだ。
「やっぱりデザートまでは行き着かなかったな」
「悪くなるわけじゃないからな。明日にでも食べればいい」
デザートをシャーベットにしたのは正解だったようだ。
食事を終えても、ワインはまだ残っていた。
残すのももったいないので、リビングに移動して、くつろぎながら味わうことにした。
「簡単に片付けておくから、先に行っててくれ」
俺が空いた食器を持って立ち上がると、手塚は自分も手伝うと言い出した。
「いいよ。今の手塚だと皿を割りそうだ」
「そんなに酔ってない」
「酔っ払いはみんな、そう言うんだ」
手塚は、ぴくりと片方の眉を持ち上げたが、ワインボトルとグラスを手に持ち、素直にソファの方に歩いていった。
一応は、酔っ払いという自覚があるのだろう。
少し遅れてリビングに行くと、手塚はおとなしく一人でグラスを傾けていた。
俺を見上げる目元が、少しだけ赤い。
さっきは、酔っ払い扱いしたが、今日の手塚はそんなに酔ってはいないように見えた。
「今日は、あまり酔ってないんだな」
「酔うのは、これからだ」
隣に腰をおろすと、すぐに手塚がワインのボトルを持ち上げた。
「飲め」
わかりやすい台詞に、つい頬が緩む。
それから二度目の乾杯をして、一口味わった。
ワインクーラーに入れておいたから、まだきりっと冷えている。
華奢な作りのグラスは、ただ飾っておくよりも、ワインが注がれている方が綺麗に見えた。
「そういえば、今日は越前の誕生日だな」
手塚が、ふと顔を上げて言った。
「へえ、覚えているんだ」
「クリスマスイブだからな。忘れない」
いつもなら、馬鹿にするなと文句のひとつも言うところだが、今日は機嫌がいいらしい。
これもワイン効果のひとつだろうか。
「越前と不二の誕生日は、忘れないよな」
俺の言葉に、手塚も頷いた。
「そうだな。お前の誕生日も、すぐ覚えたがな」
「俺だって手塚の誕生日は、一度で覚えたよ」
グラスを手に笑う手塚の顔は、とても楽しそうだ。
今、話題にされた越前や不二は、手塚のこんな顔を見たことはないだろう。
俺だけが知る、ゆるくほどけた手塚の顔だ。
「なんだ、乾。お前、さっきから全然飲んでないじゃないか」
手塚が、中身がなかなか減らないグラスを持ち上げて、文句をつけた。
「ちゃんと飲んでるよ」
「いや、全然減ってない。ぬるくなるぞ、早く飲め」
「俺のことは気にしないで」
「だめだ。いいから飲め」
酔っ払いの見本のような台詞に、つい笑ってしまった。
笑うなと言い返す手塚も、やっぱり目が笑っている。
「俺はこっちの方がいい」
とろりとした視線を向ける手塚の唇を、俺の唇で塞いでやった。
ん、とくぐもった声がしたが、すぐに聞こえなくなった。
唇を重ねたまま、手塚の左手から滑り落ちる前に、ワイングラスを取り上げた。
大切なグラスを割られては、かなわない。
いったん唇を離すと、手塚は熱い吐息をもらした。
とても情熱的な吐息だ。
「いい味だ」
俺の言葉に、手塚は、少しだけ呼吸を乱しながら微笑んだ。
「酔いそうか?」
「うん。手塚は?」
「俺は、とっくに酔っている」
手塚は上気した顔で笑い、俺の胸の辺りに手を伸ばした。
そして胸倉を掴んだたかと思うと、自分の方に強く引き寄せ、そのままソファに倒れこんだ。
「もっと酔わせろ」
俺の耳元でささやく声は、甘く掠れていた。
「腰が立たなくなるくらい?」
「そうだ」
手塚の足が、俺の脚に絡みつく。
性質の悪い酔っ払いだけれど、俺には最高だ。
酒に強いはずの手塚はワインには弱い。
そして俺は、いついかなるときにも手塚に弱い。
2011.12.24
Happy Holiday!
酔っ払っていちゃいちゃするだけのクリスマス。それでいいの、幸せなら。