好き嫌い好き
12月は、とにかく慌しい。乾は月の初めから連日の残業だったし、手塚もそれなりに忙しくなった。
この時期は、どうしても生活が不規則になりがちだが、朝晩の食事はできる限り自宅でとるようにしていた。
大抵の場合、乾の方が帰宅が遅く、日によっては深夜になってしまう。
そういうときは気を使わずに先に食べろと乾は言うが、毎日ひとりで食事をするのはあまり好きではない。
ひとりきりで食べると、どうにも味気なくなるのが嫌なのだ。
なので、互いの負担にならない程度に、時間を合わせるようにしていた。
そんな日々も、乾の仕事納めで、ようやくひとくぎりついた。
後回しにしていた大掃除や年賀状書きがあったから、すぐに暇ができたわけではないが、ふたりでゆっくりと食事をする時間くらいは確保できていた。
やっぱり、ひとりで食べるよりも、誰かとふたりで食べる夕食は美味しい。
乾の作った豚バラと大根の煮物を頬張りながら、手塚はそう実感していた。
「われながら、いい出来だ」
飴色になった大根を箸でつまみあげ、乾は満足げに微笑んでいた。
ちょっと行儀は悪いが、自画自賛したくなる気持ちはわかる。
乾が作った今日の煮物は、本当に美味しいのだ。
厚みのあるバラ肉は、とろけるように柔らかく、大根はしっかりと芯まで味が染み込んでいる。
見た目も味も、初めて作ったにしては上出来だろう。
乾はこのところ、煮込み料理に凝っている。
冬のボーナスで買ったばかりの、高価な圧力鍋を使いたくてしょうがないようだ。
高価と言っても、手塚は実際の値段は聞いていない。
乾いわく「それなりの値段」なのだそうだ。
具体的に金額を言わないところを見ると、手塚の想像よりは高いのだろう。
豚バラの煮物は、圧力鍋を手に入れたら、絶対作ろうと決めていたのだと乾は言う。
それが美味しくできたのが、よほど嬉しいのか、かなり上機嫌だ。
「さすが圧力鍋だな。思い切って奮発して正解だった」
「鍋の力なのか?」
手塚の言葉に、乾は当然という顔で頷いた。
料理の腕でなく、鍋の性能を自慢するところが乾らしい。
「手塚はどうなんだ」
「なにが」
「この煮物だよ。口に合わない?」
「いや、そんなことはない。すごく旨い」
「そうか。手塚がそう言うなら自信を持っていいな」
乾は、こちらが驚くほど嬉しそうな顔で笑って見せた。
こんなに素直に感情を出すのは、この男にしては珍しい。
豚バラ肉の味を褒めたくらいでここまで喜ばれたら、なんだか申し訳ないような気がしてきた。
「お前の作るものは、大抵俺の口には合っているぞ。中学のころの、おかしな汁は別として」
「そうか。元々、食べ物の好みが近いからな」
どうも会話が微妙に噛み合っていない感じだが、乾の機嫌がいいようなので、指摘はしなかった。
食事時に、面倒くさい話をする気にならない。
「前から思っていたんだが、一緒に暮らす相手とは、食べ物とテレビ番組の好みが近いってことが大事だな」
乾は、飴色の豚肉を箸でふたつに切りながら、そんなことを言った。
「まあ、遠いよりは近い方がいいだろうな」
「いや、身体の相性と同じくらい重要だと思う」
「え?」
思わず手を止め、乾の顔を見る。
「ん?」
乾の方も、やや驚いた表情で、手塚の顔を見ていた。
「お前は、なにを言っているんだ」
「だから、食べ物の好みは身体の相性と同じくらい」
手塚は空いた方の手を上げて、乾が全部を言い切るのを止めた。
「その話はいいから」
「どうして?大事な話だろう」
腑に落ちないという様子で、乾は首を傾げいている。
「時と場合を考えろ」
「なにか問題があるか?」
きょとんとした乾の顔を見たら、手塚の方が何も言えなくなった。
乾の中では、食事時にいきなりベッド中の話を持ち出すのは、普通のことらしい。
確かに食欲も性欲も、人の基本的な欲求のひとつだから、一緒くたに扱ってもおかしくはない。
だが、それを夕餉のひと時の話題に選ぶのは、どうなんだ。
ついさっきまで、美味しい煮物ができたと無邪気に喜んでいたと思ったら、その数分後にセックスの話を持ち出してくる。
乾という男は、これだけ長く一緒にいるというのに、いまだによくわからない。
よくわからないからこそ惹かれているのは、自分でよくわかっているが。
黙り込んだ手塚を、乾はまだ不思議そうに見つめていた。
「もういい。俺の言ったことは忘れてくれ」
どうせ手塚の説明では、乾を納得させるのは不可能だ。
ゆっくりと食事を楽しんでいるときに、面倒なことはしないに限る。
「いいのか?」
「ああ」
乾は納得したのかしないのか、ふーんと小さく呟いて、おとなしく食事を再開した。
だが、気を悪くした様子はない。
乾のこういうところは、楽でいい。
少しの間、お互い黙って箸を進めていたが、ふと思いついたことがあって、手塚が先に口を開いた。
「さっきの話だが」
乾が、なんだ?という表情をこちらに向けた。
「多少、好みが違っても、一緒に暮らすうちにだんだん近くなっていくこともあるんじゃないか」
「ああ、それは当然あるだろうな。実際、俺と手塚もそうだろう?」
「そうだな。お前の好きなものは、大体俺も好きになったし」
「最初は無理だと思うようなことも、案外慣れるものだよな」
乾は、なぜだか食事時には不似合いに、にやりと唇の端を上げて微笑んだ。
「なんの話をしている?乾」
「手塚は、なんだと思ったんだ?」
「俺は食べ物の好みの話をしているんだが」
「俺もそうだよ」
乾は、まだ笑っていた。
「ならいい」
ここで、過剰に反応でもしたら、乾を喜ばせてしまう。
そうそう乾の好きなようにはしてやらない。
うまくかわしたつもりだが、乾が残念がる様子はなかった。
それどころか、もっと嬉しそうに笑みを深くした。
「手塚の好きなものなら、俺も好きになるよ」
乾が、切れ長の目を細めて笑うと、とても幸せそうに見える。
この男は、いつもそうだ。
どうしてこんなタイミングで、そういう顔を見せるのだろう。
「俺の嫌いなものは?」
「それは、嫌いとは限らないな」
乾は、いつのまにか箸を置いていて、自由になった右手で、そっと眼鏡を押し上げた。
「今の手塚が嫌いなものって、なんだ?」
「お前のそういうものの言い方だ」
乾は、なるほどと言って、白い歯を見せて笑った。
結局、手塚のやることなんてこの程度だ。
好きも嫌いも、あったもんじゃない。
手塚が褒めようが憎まれ口を叩こうが、結果は同じ。
どうしたって、乾は自分の楽しみたいように楽しむのだ。
好きなだけ笑った後で、乾は一言付け加えるのを忘れなかった。
「食べるものの話じゃなかったっけ?」
悔しかったので、その夜はベッドの中で、乾の肩口を思い切り噛んでやったのだった。
2012.01.29(2012.03.21一部修正)
仮タイトルは「今年最後の晩餐」でした。最初は大晦日の話にするつもりだったから。大晦日に豚バラ食べるかなあ?と疑問に思ったので、こんなタイトルに。ちょっと恥ずかしい。