switchback
毎日それなりに忙しくしているが、たまに何かの罠に嵌ったみたいに、すぽんと暇な時間ができることがある。今日はとても天気のいい日曜日で、気分がいいせいか、朝からなんだか張り切ってしまった。
掃除も洗濯も午前中に片付け、いつもよりちょっと手の込んだ昼食も作った。
その後、買出しも済ませて、勢いで夕食のカレーまでも仕込んでしまった。
いよいよ、もうやることがない。
時間はまだ午後5時。
暇だ。
絵に描いたように暇だ。
そんなわけで、さっきからなにをするでもなく、リビングでぼんやりと時間を過ごしていた。
本当はその気にさえなれば、やることは沢山ある。
でも、なぜだかわからないが、今日はそのやる気がまったく起きないのだ。
朝から張り切りすぎた反動かとも考えたが、単にだらだらするのが心地よいだけだろう。
だらだらしているのは、俺だけではない。
手塚もずっとソファに寝そべるように座って、雑誌をぺらぺらとめくっていた。
いつもはきちんと背筋を伸ばして座るのに、今は肘掛を背もたれがわりにしてくつろいでいる。
俺はと言えば、ソファの端っこに、どうにか座っている状態だった。
そして、やることと言えば、ただぼんやりするだけ。
それが楽しいかと言えば、不思議と楽しいのだ。
だが、暇すぎるときに考え付くことは、やっぱりろくなことじゃない。
「手塚」
「なんだ」
一応返事はしてくれたが、視線は手元の雑誌に向けられたままだ。
こっちも、それを無視して話を続ける。
「手塚は、どんなときにスイッチが入るんだ?」
「スイッチ?」
「えーと、あれだよ。エロい気分になるスイッチ」
「そんなスイッチはない」
「え?手塚、性欲ないのか?」
「あるに決まっているだろう。お前は馬鹿か」
「でも、スイッチはないって」
「そういう明確なものはないという意味だ」
「ああ、なるほど」
手塚の表情は、話しかける前と少しも変わっていなかった。
ページをめくる動きにも変化はない。
だが、反応の速度を考えると、一応はこちらの言うことに耳は傾けてくれているようだ。
なので、このまま話を続けることにした。
「じゃあ、言い方を変えよう。やりたい気分になるってのは、どんなときだ?」
「しばらくやってないときだな」
「当たり前じゃないか?」
「悪いか」
「いや、悪くないけどさ」
少しの間、沈黙が続いた。
念のために、気になったことを手塚に聞いてみた。
「もしかして、俺たちの会話、微妙に噛み合ってない?」
「俺も、今そう思っていた」
俺と手塚の会話が、かみ合っているようで実は少しずれているというのは、中学時代からよくあったので、今さら驚きはしない。
手塚の表情からも、同じようなことを考えているのが読み取れた。
というか、俺の質問なんてどうでもいいと思っているのが、見え見えだった。
まあ、これもいつも通りと言えるか。
このまま無視されるかと思ったら、手塚がふっと顔を上げた。
心なしか、口元が笑っているように見えた。
「さっきの話だが」
「ん?どの話?」
「しばらくやってないと、やりたくなるって話だ」
「ああ、うん」
「実は最近はそうでもなくなってきた」
「へ?」
「やらなきゃやらないでも平気になってきた気がする。間が空くと、よりそんな感じになるな」
「寂しいこと言うなよ」
思わずそう返したが、正直なところ、手塚の言い分もわからなくはない。
さすがに、10年前のような体力や性欲も、今の俺たちにはなくなっている。
疲れがたまってくると、そっちの方よりも、睡眠を優先してしまう。
セックス抜きでも、毎晩同じベッドで体温を感じながら眠れるだけで、そこそこ満足できてしまうのだ。
枯れてきたと言ってしまうと寂しいが、満ち足りていると言い換えればなんとなく幸せな感じもしてくる。
ものは言いようだと、しみじみ思う。
「でもな」
複雑な気分になっていた俺に、手塚が軽く笑いかけた。
なんだか、声のトーンも変化したようだ。
気のせいでなければ、少し艶のある感じに──。
「お前が、俺をその気にさせようとあれこれするのは、好きだ」
「はい?」
「さっきの言い方を借りれば、お前が俺のスイッチを入れようとしているってことだな」
今度は、気のせいかと疑うまでもない挑発的な顔で、俺に笑って見せた。
薄い唇の描く浅い曲線は、悔しいくらいに艶かしい。
「性悪」
「どっちが」
手にしていた雑誌を、手塚は床の上にばさりと落とし、自由になった利き手で眼鏡を直す。
十分に俺の視線を意識しての行動だ。
わかっていても目が離せない。
「そういえば、お前のスイッチを聞いてないな」
俺の目を見つめたまま、手塚は尚も澄ました顔で微笑んだ。
「誘ってるのかな、それ」
「どうとでも」
手塚のつま先が、俺の腰のあたりを軽くつつく。
多分、今日の俺のスイッチは、まさにそこにあったらしい。
俺自身には見えないものが、手塚には見えているようだ。
「答えは?」
「今、オンになったよ」
「だろうな」
腰を半分浮かせると、待っていたように手塚の足が伸びてくる。
手塚がソファに身体を横たわらせるのと、俺が覆いかぶさるのは、ほぼ同時だった。
背中に回された手塚の指が、そっと俺の背骨をなでる。
まだ、他のスイッチを探しているのだろうか。
お返しに、俺も手塚の耳たぶを軽く噛んでやった。
ふっと吐き出した手塚の息が熱い。
一度スイッチが入れば、あとは連鎖して、次々といろんな回路が開いていく。
暇で暇でしかたない時間は、肉体労働の時間に変わってしまいそうだ。
暇つぶしと呼ぶには、ちょっと濃すぎるような気もするが、気持ちが良ければそれでいい。
2012.03.03(2012.03.26一部修正)
最初は短い会話だけの文だったんだけど、なぜか増えた。
むしろこの後のシーンを書くべきだと思うのだが。