Rall's Janett

手塚が、彩菜さんお手製のアップルパイと、沢山の林檎を持って帰ってきたのは、寒いけれど良く晴れた土曜の夕方のことだった。
ドアを開けたとき、冷たい風とともに、いかにも林檎らしい酸っぱい香りが部屋の中に流れ込んできた。
真っ赤な実を覗かせた半透明の袋を受け取ると、ずっしりと重い。

「すごい数だな。重かったろう?」
「家を出たときは、あまり気にならなかったんだがな。歩いているうちに、だんだん効いてきた」
手塚は笑いながら俺に両手を広げて見せる。
持ち手が食い込んだらしく、掌にはくっきりと赤いあとがついていた。

部屋に入って数えてみると、手塚が持ち帰った林檎は10個。
切りのいい数字なのは、恐らくちゃんと数えて詰めたからだろう。
偶数にしてあるところが、彩菜さんらしいと思う。

とりあえず、林檎は涼しいところに置いて、今は焼きたてのアップルパイを先に頂くことにした。
林檎には、コーヒーよりも紅茶の方が合いそうだ。
この部屋には、紅茶の葉もなければポットもない。
そもそもティーカップなんて持ってない。
もらい物のティーバッグとマグカップで間に合わせたが、それでも香りだけは、ちゃんと紅茶らしい。

四等分では一切れが大きすぎるので、パイは六つに切り分けた。
綺麗な焼き色のパイ皮から、たっぷりの林檎が顔を見せる。
それを白い皿に乗せ、湯気の立つ紅茶とともにテーブルに並べた。
小さな食卓に向かい合わせに座り、いただきますと手塚に倣って手を合わせる。

「ホームメイドのアップルパイなんて何年ぶりかな」
「そうか。口に合うといいんだが」
「美味しいよ。手塚のお母さんは本当に料理が上手だな」
全体的に甘さが控えめで、林檎には、まだしゃきっとした歯ごたえが残っている。
それが特に気に入ったと伝えると、手塚は少しだけ照れたように微笑んだ。

「俺の好みに合わせてくれたんだと思う」
「手塚は生の風味が残っているのが好きなのか」
「ああ。子どもの頃からそうだった」
「うん。ちょうどいい歯ごたえだよ」
軽く頷きながら、頭の中でノートを開き、貴重なデータとして記録する。

「もしかして、このパイはあの林檎と同じ種類のを使ったのかな」
冷蔵庫に入りきらず、今は日の当たらない場所に置かれた林檎を、視線で示す。
「そうだ。紅玉という林檎らしい」
確かに鮮やかな赤い色をした林檎だった。

「生で食べるよりも調理して食べるのに向いていると、母が言っていた」
「そうか」
二つ目のパイを皿に取り分け、フォークを刺す。
一切れでやめておくつもりだったのだが、あまりに美味しくて、ついもうひとつ手が出てしまった。
手塚は家でも食べてきたからと、二個目には手をつけず、紅茶だけをおかわりした。

「どうする?あの林檎」
「どうするって、食べるしかないだろう」
当たり前だという顔をして、手塚は白いマグカップを傾けた。
「でも、俺、林檎を使った料理なんて作ったことがないよ」
「俺だってない。あ、いや、あったか。小学生のとき、キャンプで焼き林檎を作ったな」
「焼き林檎か。それならどうにか出来そうだ」
少なくとも、パイ生地がない分、俺でもなんとかなりそうな気がする。

「そういえば、手塚と同じ名前の林檎がなかったか?」
「あるな。読み方は違うが」
手塚と同じ国光という字を書くが、読み方は確か「こっこう」だ。
林檎にはあまりこだわりがないせいか、食べたことがあるかどうか、よくわからない。

「手塚は、食べたことがあるが?」
「ずっと昔に」
「共食いって言われなかった?」
「誰にだ」
「さあ」
軽く眉を寄せた手塚に、俺は笑って見せたが、それに対する反応はない。

だが、少しの間、静かに紅茶を味わっていた手塚が、ゆっくりと口を開いた。
「紅玉もそうだが、国光も硬めで酸味の強い林檎だ」
「ふうん。なるほどね」
「何が言いたい」
左手にカップを持った手塚が、じっと俺の顔を見る。

「別に。ただ、いい名前だなと思ってね」
「紅玉は生産量が少ないらしいが、国光は殆ど出回らないらしいな。以前、母がそんなことを言っていた」
「そうか。貴重なんだ」
パイをひとかけ、フォークで切り取り口に運ぶ。
さくさくとしたパイと、酸味の強い林檎の相性は抜群だ。

「俺は、きっと、その林檎が好きだと思うよ」
フォークを手から離し、俺はテーブルに頬杖をついて、手塚に笑いかけた。
「食べたいな」
手塚は黙って俺の顔を見ていたが、急に俺のフォークを取り上げ、残っていたパイに突き刺すと無造作に俺の口に押し込んだ。

「今はこれで我慢しろ」
はい、と答えたかったけど、口いっぱいに頬張ったパイが邪魔をして、何も言えなかった。
そんな状態でも、手塚家のパイはやっぱり美味しかった。

2008.11.19

いつかやるだろうと自分でも思ってましたが、やりました。
最近、焼き林檎にはまっていて、つい林檎ネタを書きたくなりました。書いている間、口の中が酸っぱくなったよ。
タイトルは「国光(こっこう)」の原名。