「可愛い」の謎

乾と初めて会ったのは、中学の部活だった。
その頃、乾という人間は、つかみ所がないというか、よくわからない奴という印象だった。
話をしても、まともに噛み合ったためしがない。
そもそも顔を見ても何を考えているかさっぱり読めない。
自分が、あまり察しがいい方じゃないことはわかっていた。
だから、そんな風に感じるのは、こちら側に問題があるのだろうと思っていた。

だが、必ずしも自分の側にだけ原因があるとは限らないのではないか。
思いがけず長い付き合いになって、やっとそれが見えてきた。
今なら言える。
乾は、根本的に、少し変わっているのだと思う。

たとえば、乾はこんなことを時々口にする。
「手塚のへそって、可愛いな」とか「手塚のつむじは、つい突付きたくなるほど可愛い」と。
何を言っているのかと、手塚は思う。
可愛いへそとはなんだ。
つむじなんて、単なる毛の流れの中心ではないか。

「どうして、そんなものが可愛いと思うんだ?」
手塚が聞くと、乾はへらへらとした笑顔を浮かべて答える。
「だって、実際に可愛いじゃないか」
まったく答えになっていない。

「では、可愛いと可愛くないへその違いを説明してみろ」
「可愛いのは手塚の。可愛くないって例は難しいな。しいて言えば、手塚以外の人間のは、どうでもいへそだという感じだな」
恐らく、可愛いつむじとは何かを聞いても同じような答えが帰ってくるのだろう。

「乾。それは、好意を持つ相手なら、どこでもなんでもよく見えるというだけのことで、特別に美醜があるというわけではないのではないか?」
「まあ、そういう部分があることは否定しないけどね。でも、だからといって、今まで好意を持った人間全ての人間のへそやつむじを可愛いと思ったわけじゃないよ」
乾はどうしても自分の主張を曲げるつもりはないらしい。

「お前が可愛いと感じる基準が、俺にはさっぱりわからない」
「そう言われてもな」
お互い、顔を見つめあいながら首を傾げた。

「手塚は、俺に対して可愛いと思うことはあるか?」
「まあ、なくはない」
180センチを越す長身の男が言う台詞ではないと思いつつ、同じくらい薄ら寒い返事をしてしまった。

「じゃあ、例としてひとつ挙げてみてくれ」
「例、か」
少しの間、腕組をして考える。
ふと、何をやっているのかという疑問が生じるが、それはひとまず棚上げしておく。

「この間、実家から桜餅と鶯餅を持ってきたときのことを憶えているか?」
「ああ。あれ、旨かったな」
一週間ほど前に、実家に戻ったとき、乾と食べろと桜餅と鶯餅を二つずつ持たされたのだ。

「お前、あのときどちらから先に食べようか、30秒くらい考え込んでいただろう?」
「そうだったか?」
「ああ。あのとき、ちょっと可愛いなと思った」
皿に載せた桜餅と鶯餅を前にして、本気で迷っている乾の姿は、図体だけがでかい子供みたいに見えた。
可愛いところもあるのだなと、実はこっそり笑っていたのだが、乾はそれに気づいてはいないのだろう。

「そんなことが可愛いと感じるのか?」
乾は、意外そうに目を瞠っていた。
「…手塚は、変わっているな」
「お前にだけは、言われたくないぞ」
「え?どうしてだ」
「変わっているのはお前だろう」

不毛な会話がしばらく続いた。
そのうち、乾がふと何かに気づいたという顔で口を開いた。

「さっきの話だけど」
「ん?どれだ?」
「桜餅と鶯餅の話」
「それがどうした」
「迷う俺を可愛いと思った手塚が可愛い」

にっこりと笑う乾を見て、手塚は大きく息を吐いた。
「この話題はもう止めだ。きりがないし、余計混乱してくる」
「…自分から始めたくせに」

乾は少しの間ぶつぶつ言っていたが、テーブルの上に置きっぱなしにしていたコーヒーカップに手を伸ばした。
とっくに冷めたであろうコーヒーを一気に飲み干すと、そのままの姿勢でソファに持たれて、やがてくすくすと笑い出した。
その声を聞きながら、手塚は温くて苦いコーヒーを、時間をかけて啜っていた。

コーヒーブレイク中に交わされる会話は、大抵の場合、こんなどうでもいい内容だったりする。

2008.03.01

どっちもどっちだと思う。

あ、ちなみに同棲大学生です。