泣きたい夜もある

最後に泣いたのは、いつだったかなと、突然そんなことが気になった。
これが、自分でも不思議なくらい思い出せない。
そんなに長い間、泣いていなかったのだろうか。

泣くと一口にいっても、涙が出てくる理由には色々ある。
悲しいとき、嬉しいとき、悔しいとき。
ああ、笑いすぎて出ることもあるなと、つい言葉に出してしまった。
手塚が不思議そうな顔で、俺の方を見ているので、なんでもないと笑い返した。
一瞬だけ細い眉を寄せたけれど、すぐにまた左手の文庫本に視線を落とした。

いつも冷静な手塚だけど、小説を読んで感動の涙を流したりするんだろうか。
ふとそんなことを考えた。
そういえば、自分はどうだったろう。
思い出そうとしたが、映画だろうが小説だろうが、フィクションでは泣いた覚えがない。
では、それが史実や体験記など、ノンフィクションならどうか。
それでも結果は同じことだった。

本当に小さな頃なら、間違いなく泣いたことはある。
鮮明な記憶ではないが、転んで膝をすりむいたり、親に叱られたりして、泣いたはずだ。
だが、そこまで遡る必要があるくらい、長いこと泣いていないんだろうか。
なんとなく、変な気分だった。

泣かない自分をおかしいとは思わない。
だけど、普段から泣きなれてないせいか、本当に泣きたい気持ちになったとき、俺という人間は、うまく泣けたためしがないないのだ。

そうだ。
泣きたい気持ちになったことは、何度かあるんだ。
そのどれも、俺はちゃんと記憶している。
なぜなら、泣きたい気持ちになったときの全部に、手塚が関わっているから。

今、俺の目の前には、静かに本のページを捲る手塚がいる。
手塚の横顔はとても綺麗だ。
長い睫が瞬きをする音さえ聞こえそうな、密やかな瞬間だった。

ねえ、手塚。
信じてもらえないかもしれないけれど。
今、俺は泣きたいくらいに幸せなんだ。

手塚が俺の隣にいてくれること。
そして、普通に息をして、普通に笑ってくれること。
それだけで、嬉しいんだ。

上手く泣けない俺の瞼の裏側が、焼け付くように痛い。
開けているのが辛くて、ぎゅっと目を瞑ると、手塚の両腕がふわりと俺の首を抱いた。
「お前は、馬鹿だな」
泣き方も知らないのか――。
囁くような低い声も、かすかに浮かべた笑顔も、とても優しい。
その二つに包まれて、俺はやっと泣くことが出来た。

頬を伝う涙の熱さを、俺は生まれて初めて知った気がした。

2008.03.02

ときどき乾を泣かせたくなる。

これも同棲大学生。