お茶の時間

今、俺の目の前に、箱がひとつある。
中身はチョコレートだ。
今日、2月14日のために買ったものだ。

茶色に金の文字の入った包装紙。
リボンも金色だ。
今は出してしまっているが、専用の小さな紙袋もある。
なんというか、特別に高価でもないチョコレートを、ここまできちんと包装する必要があるのだろうか。
多分、あるんだろう。
男にはわかりにくいが、バレンタイン商戦のメインターゲットである若い女性に尋ねれば、きっと教えてくれるだろう。

だが、これを贈るのは俺自身であり、贈る相手は手塚国光だ。
正直に告白すると、ちょっと恥ずかしい。
バレンタインを意識して買っておいて、それ用の包装が恥ずかしいと言う方がおかしい。
そこらへんは、自分でもわかっている。
でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだからしょうがない。

いっそ、包装をとっぱらって、剥き出しで渡してしまおうかとも思ったが、逆にわざとらしい気もする。
なんというか、わざわざ用意したんじゃなく、美味しそうだから買ってみたんだよというさりげない感じで渡したいのだ。
馬鹿だなと、思う。
さりげなくしたいなら、どこにでも売っているような板チョコでもいいのだ。
そうしないのは、やっぱり多少の見栄は張りたいからなのだから、われながら矛盾している。

せめて、渡し方を工夫して、さりげなさを演出できないだろうか。
そんなことを考えながら、かれこれ30分ほどチョコレートの箱を眺めている。
チョコが溶けないように、わざわざ部屋の温度を下げて──。
冷静に考えれば、相当恥ずかしい行動だが、今日は一種のお祭りみたいなものだからこれでいいことにしてしまおう。
運良く、今日は手塚の方が帰りが遅いようだ。
だから、もう少しだけ、悪あがきをしてみることにした。

そんなことをしている間に、すっかり部屋が冷え切ってしまった。
仕方ないので、チョコレートを冷蔵庫に入れて、室温を上げてみる。
テレビをつけ、ニュース番組を入れると、今夜は今年一番の大雪になるなんてことを言っている。
そりゃ寒いはずだ。
コーヒーでも淹れようかと立ち上がったところで、手塚が帰ってきた。

ただいまと言う手塚の頬が、少し赤い。
「外、寒かったか?」
「ああ、日が落ちたら、ぐっと冷え込んだみたいだ」
明るい部屋の中で、よく見ると、頬だけでなく鼻の頭も赤かった。
ちょっとかわいい。
もう少し見ていたかったのだが、手塚はさっさと着替えに行ってしまった。

だが、外が寒かったというのは、俺にはいい情報だった。
例の物を、さりげなく渡すチャンスが巡ってきた。
着替えを済ませ、戻ってきた手塚に、さっそく切り出してみる。

「手塚」
「ん?」
「なにか温かいものでも飲むか」
「飲みたい。頼んでいいのか?」
よし、いい流れだ。

「もちろん。コーヒーでいいかな」
俺は、わざとらしくならないよう細心の注意を払って、その先を口にする。
「チョコレートがあるんだけど、それもどう?」
手塚は俺の顔を見て、ごく軽く微笑んだ。
「ああ、いいな」

完璧だ。
できるものなら、ガッツポーズのひとつでもかましたいところだが、それを堪える。
早速、コーヒーとチョコレートを用意しようと、キッチンに向かう俺に、手塚が声をかけてきた。
「これも一緒に食べないか」
「え?」
振り向くと、手塚が小さめの紙袋を持って、立っていた。

「パウンドケーキだ。二人分ある」
「あ、うん。じゃあ、それも一緒に食べようか」
「お前は、コーヒーを頼む。食器は俺が用意する」
なぜ手塚が指示を出すのかわからないが、つい従ってしまうのは、元部長と平部員の差の現れだろうか。
俺は、そのパウンドケーキの意味するところを考えながら、黙ってコーヒーを淹れた。
挽きたてのコーヒー豆は、とてもいい香りがした。

テーブルの上には、白いコーヒーカップと皿が、ふたつずつ並べられていた。
皿の上には、既に小ぶりのパウンドケーキが乗っている。
ひとつは濃い目の茶色で、もうひとつは緑がかっていた。
そして、空のカップに淹れたてのコーヒーを注いだ。

さあ、ここで冷蔵庫で待機している、例の物の出番だ。
俺は、ラッピングされたままのチョコレートを手塚の前に差し出した。
「はい、これ。俺から手塚に」
さりげなく言えたと、自分では思う。
だが、上には上がいるものだ。
「ありがとう。今、開けていいか」
手塚の方が、笑う顔も台詞も、俺の10倍くらい自然だった。

「もちろん。今食べてよ」
負けないよう、俺もなんとか余裕のあるふりをしてみる。
成功したかどうかはあやしいが。
手塚は、いつものようにリボンや包装紙を丁寧にはずし、そっと箱のふたを取った。
中は、八つに仕切られていて、二種類のチョコレートが整然と並んでいる。
ひとつは色を見れば、すぐに何のチョコかわかるはずだ。

「これは、抹茶入りか?」
手塚は緑色の方を指差した。
「そう。でももう一種類もお茶が入っている」
普通に茶色をしているから、見ただけではわからないだろう。
「こっちは玄米茶入り。どっちもお茶のチョコレートだ」

手塚は、俺の言葉を聞いて、ふっと目を細めて笑った。
大袈裟な笑い方ではないが、本当に嬉しそうなのが伝わってくる表情だった。
手塚は、やや濃い色をした方のパウンドケーキの方を、俺の前に差し出した。

「これは、母からお前に」
「ん?もうこっちって決まっているのか?」
「そうだ。これがお前用」
答える手塚の口元には、まだ笑みが残っている。

「もしかして手作りかな」
「そうだ。紅茶の葉とチョコチップが入っている」
顔を近づけ、匂いを確かめてみた。
「ああ、本当に紅茶の香りがするな」
「お前のチョコレートも、抹茶の香りがする」
手塚は、葉っぱの形のチョコレートを一枚手に取り、やはり香りを確かめていた。

「じゃあ、遠慮なくいただくよ」
「俺も」
お互いに贈りあった物を、無言で口に運んだ。
紅茶入りのパウンドケーキは、やや苦めのチョコチップと茶葉の風味がとても合っていて美味しかった。
甘さが控えめで、大人向けの味だと思う。

「美味しいな、このケーキ」
「お前のチョコレートも旨い」
「手塚、抹茶味が好きだから、口に合うかと思って」
普段から、好んで緑茶を飲む渋い趣味の手塚なら、気に入ってくれるのではないかと思ったのだ。

「そのケーキは、俺が選んだんだ」
手塚は、俺の食べているケーキを見て、そう言った。
「今日、母からパウンドケーキを焼いたから取りに来いと連絡があったんだ」
そう言われて、、去年もチョコレートをもらったことを思い出した。

「母は、ケーキを三種類作ったんだ。抹茶とチョコレートのマーブルと、ココア生地に胡桃が入ったもの。そして、紅茶とチョコチップ」
手塚の前に置かれたパウンドケーキは、緑色が混じった色をしている。
「まず、お前が、好みそうなのを選べと言われた」
三つのケーキを前にして、考え込む手塚の姿がなんとなく想像できるのがおかしい。

「お前なら、紅茶を選ぶと思ったんだ」
「うん。そうだな。自分でも紅茶を選んだと思う」
これは、嘘ではない。
飲むならコーヒーが一番好きなだが、紅茶の風味がするケーキやクッキーは大好きだ。

「お前も、俺と同じようなことを考えていたんだな」
手塚は、パウンドケーキとチョコレートを見比べながら、ふふっと小さく笑った。
「そうみたいだね」
俺も、同じように小さく笑う。

今さら、バレンタインのチョコレートに、特別な思いを込める必要はない。
俺は手塚を好きで、手塚もおそらく同じであることは、そんなことをしなくても十分わかっている。
でも、お祭り騒ぎに便乗してみるのも、年に一度ならいいだろう。

手塚が喜ぶものはなんだろう。
そう考える時間は、甘くて、くすぐったかった。
手塚の同じような時間を過ごしたのだろうか。
そうやって選んだものが、よく似ていたのは、ただの偶然ではないはずだ。

抹茶と紅茶と、熱いコーヒー。
手塚とのティータイムは、程よく甘くて温かい。

「お前も食べてみないか」
「ありがとう」勧められるまま、俺の贈ったチョコレートを一枚食べてみた。

甘いチョコレートと、抹茶のほろにがさは、癖になりそうな味だった。
手塚と同じだなと、俺は思った。


2011.02.20

手塚は抹茶味が好きだと、頑ななまでに信じている。