Weak point(R16)
どうやら乾は、家の中で厚着をするのが好きではないらしい。それは、一緒に暮らすようになって知った事のひとつだ。
乾の日常的な基本スタイルは、上がTシャツで、下はジーンズもしくはジャージ。
季節に合わせて半袖になったり、生地が厚手だったりはするけれど、服を何枚も重ね着をすることは殆どない。
とにかく楽な格好が好みらしく、寝るときも、パジャマを着るのは稀だ。
大体は半袖のTシャツと、薄手のスウェットや短パンで済ませてしまう。
真夏になると、それさえ嫌なのか、上半身は裸で寝ることも珍しくはなかった。
一緒に暮らすまで、裸で寝るのは、情事のあとだけだと思っていた。
付き合いが長くても、手塚が知らない部分や、勝手な思い込みというのは、まだまだ残っているようだ。
入浴を終えた手塚がベッドルームのドアを開けると、乾はベッドの上に仰向けに寝転がり、本を読んでいた。
両手で書店のカバーのかかった本を支え、長い足を組んでいる。
そんな姿勢で本を読んで苦しくはないのだろうか。
しかも、上半身は裸だ。
いくら今夜が五月にしては気温が高めとはいえ、寒くはないのだろうか。
そもそも服を着ないで読書をするなんて、手塚には考えられない。
手塚は、かわき切らない髪にタオルをかけたまま、ベッドの端に腰を下ろした。
ベッドが僅かに音を立てたが、乾の集中力はそれくらいでは、途切れないらしい。
半分感心して、残り半分は呆れながら、乾の顔を覗きこんだ。
多分、手塚がいることには、気づいているだろう。
だが、読書を止めるほどには、それを気にかけていないのだ。
乾は手塚のことを、マイペースだと言うが、発言した本人だって相当なものだ。
なんとなく面白くなってきて、手塚はそのまま乾を観察してみることにした。
幸い、明日は土曜日だ。
寝るのが少々遅くなっても、どうということはない。
手塚はベッドに片手をついて、やや上体を捻って乾を見下ろした。
まずは、半分本で隠れた顔を上から眺める。
短い髪の毛は、まだ少し湿った色をしていた。
濡れたまま枕に頭を乗せたりしたら、寝癖がついてしまうだろうに。
乾らしいと思いつつ、視線を少しずつ頭から足の方に移動させていく。
じろじろと不躾な視線を向けているのに、乾は全然気づいていないようだ。
首から胸、胸から腹にかけて、筋肉の流れがくっきりと浮き上がっているのが印象的だ。
テニスは趣味程度にしか続けていないのに、腹筋などは綺麗に割れている。
一体いつどこで鍛えているのか知らないが、よくこの身体を保っていられるものだ。
気をつけていないと、すぐに体重や筋肉が落ちてしまう体質の手塚には、羨ましいばかりだ。
今の体型を維持するのだって、そう簡単じゃない。
何をやったらこんな体型でいられるのか、教えて欲しいくらいだ。
乾のことだから、頼み込めばいくらでも答えてくれるだろうが。
手塚はつきあいが長いから、驚きはしないが、大学生になってからの乾しか知らない人間が見たら、意外に思うのではないか。
色白でインテリ風の外見からは、実はこんなに鍛えられた身体の持ち主だとは、想像できないだろう。
この綺麗な筋肉が、どうしなやかに動くかなんて、知っている人間の方が少ないはずだ。
頭から足の先までを、一通り観察したが、まだ乾は本から目を離さない。
少しだけ身体を乾の側に倒すと、かすかに残るボディソープの香りが鼻をくすぐった。
手塚も同じものを使っているが、薄荷のようなこの香りは、乾のほうが似合う。
暫らく、残り香を楽しんでから顔を上げると、視線の先に乾の腹部があった。
ひと際、硬くしまった筋肉がついている。
そこに、ぽつんと存在する丸い窪みに、ふと目が留まった。
――臍だな、と当たり前のことを思う。
乾の臍は、こんな形だったろうか。
考えてみれば、あまり乾の臍をしげしごと見たことはなかった。
そもそも、他人の臍の形なんて、殆ど意識したことはない。
じっと見ていると、ここに臍があること自体が不思議な気もする。
なんとなく乾の臍を、人差し指の先で、つんと突いてみた。
「…わ!」
突然、がばっと勢いよく乾が起き上がった。
手にしていた本を放り出すくらいの勢いだ。
驚いたのは乾だけじゃない。
乾の突然の反応にびっくりしたはずみで、手塚はつい立ち上がってしまった。
「なに、いきなり!」
乾は目を大きく開けて、手塚を見上げていた。
いつもやけに落ち着いている男が、こんなに驚いた顔をするのは、久しぶりだ。
「それは、こっちが言いたい」
手塚は一度肩で息をして、またベッドの端に座りなおした。
足元に畳んであったタオルケットが、ぐちゃぐちゃになっている。
きっと乾が起き上がったときに、蹴ってしまったのだろう。
「だって、手塚が急に臍なんか触るから」
小学生のような言い訳に、少し呆れる。
「ちょっと軽く突いただけだろう。大袈裟な」
「でも、突然触るのは止めて欲しいなあ」
乾は自分の腹を撫でながら、不満げに眉を顰めた。
「お前、そこを触れるのが嫌いなのか?」
「そんなことはないと思うけど」
そういいながら、乾はまだ自分の腹を手で押さえている。
その様子を見ていたら、少し意地悪をしたくなってきた。
意地が悪いのは乾の専売特許だが、たまには手塚だってそんな気にもなる。
「じゃあ、もう一度触らせてみろ」
「え?今?」
手塚を見上げる目が、泳いでいる。
それを無視して、わざと大きく頷いた。
乾は、少しだけ迷ったようだが、両肘で身体を支え、手塚の前に腹を晒した。
一度否定した手前、嫌とは言えないのだ。
乾の白い腹部は、やや緊張しているように思われる。
表情もどこか落ち着かず、嫌そうな様子が伺える。
手塚は、さっきのように、指の先だけで、ごくごく軽く突いてみた。
途端に、腹筋がぎゅっと硬く締まる。
「あ。駄目だ。やっぱり触らないで」
乾は身体を捩じらせながら、ぎゅっと目をつぶっていた。
こんな反応は、本当に珍しい。
笑い出したいのをこらえて、手塚はできる限り冷静な声を出して聞いてみた。
「なんだ?くすぐったいのか?」
「くすぐったいっていうか、いや、うまく言えないけど、とにかく駄目だ」
腹を大きな手で押さえて隠そうとしているのが、すごくおかしい。
乾にこんな弱点があったとは、まったく知らなかった。
これは、ちょっと、いやかなり面白い展開だ。
「もう一回だ」
手塚が身を乗り出すと、乾は露骨に嫌な顔をする。
「勘弁してくれないかな」
「俺が嫌だと言って、お前が聞いてくれたことがあったか?」
自覚があるのか、乾は低く呻いただけで、反論はしなかった。
そして、渋々といった様子で、腹に乗せた手をどけた。
さっきは軽くつついただけだったが、今度は臍のふちに沿って、指をくるりと滑らせてみた。
「……あー」
「ん?」
乾は目を閉じて、少し肩を竦めていた。
「ざわざわする。鳥肌がたちそうだ」
シーツを握る手には相当力が入っているようだから、これは嘘ではないだろう。
無防備に弱点を晒す乾なんて、滅多にお目にかかれるものではない。
手塚は膝をついて体を倒し、体重をかけて乾を両手で押さえ込んだ。
そうやって動けないようにしておいて、臍をぺろりと舌で舐めてみた。
「う」
びくっと乾の腹が痙攣する。
「気持ちが悪いか?」
「ちょっと、ね」
眉を寄せながらも、ここで、にやりと唇を持ち上げるのが乾らしい。
もっとそんな顔をさせたくなって、手塚はさらに舌と唇を滑らせる。
臍だけではなく、その周りや、わき腹も丹念に湿らせてやった。
そのうち、痙攣するような動きは止まり、かわりに熱い吐息が聞こえてきた。
「手塚」
乾の声には、いつもの艶と余裕が戻っているようだ。
「なんだ」
手塚の呼吸も、少し乱れた。
「もうちょっと下の方まで、舐めてくれてもいいんだけど」
笑いを含んだ声は、どこか挑発的だった。
「調子に乗るな」
顔を上げると、予想通りの表情で乾は笑う。
「でも、乗せたのは、手塚だ」
「俺は、ここを舐めただけだ」
手塚の左手は、乾の腹筋を静かに撫でる。
「まさか、無視を決め込むつもりなのかな」
乾は少し足を開いて、手塚の視線を誘導する。
そこが反応していることは、さっきから気づいていた。
軽く目をやっただけで、はっきりとそれを確認できる。
柔らかい生地の上から、そっと手を這わせてみた。
案の定、硬く張り詰めた感触と皮膚の熱さが伝わってきた。
そんなつもりで始めたことではないが、途中からは確かに意識していた。
乾の反応を承知の上で、続けていたことは否定はしない。
ベッドに上がり、乾の身体を跨ぐようにして、ウエストの紐をするりと解いた。
「期待していいのかな」
「責任はとって身体をやろう」
下着ごと穿いていたものをずり下げて、咥えようとしたら、乾が異議を唱えた。
「どうせなら、ちゃんと脱がせてくれよ」
「注文のうるさい奴だな」
くくっと喉の奥で笑う乾の足から、スウェット地のパンツを脱がせてやる。
さっきまでの、情けない顔とはうってかわって、今はいつもの底意地の悪そうな笑いを浮かべていた。
そろそろ乾のペースになりつつあるのかもしれない。
だが、まだまだ主導権を渡す気はないことを、教えてやることにした。
乾の足の間に体を滑り込ませ、立ち上がったものを口に含む。
ん、と低い声が頭上から降ってきた。
背筋がぞくりとする。
普段から乾はいい声だと思っているが、こういうときの声は数倍色気がある。
硬くなったものを目にするよりも、声に反応してしまう自分に笑ってしまった。
乾ほどは得意ではないが、自分の身体に教え込まれたやり方を真似てみる。
結果的に、何をされるのが好きかを乾に教えてしまうことになるかもしれないが、構いはしない。
気持ちがいいことをされるのに、お互いに文句はないはずだ。
手塚のぎこちない行為に対して、乾は顕著な反応を返してくる。
ときには自分から腰の位置を変えて、催促しているようにも思えた。
自分が立てる湿った音と、乾の荒い息遣いを聞いていると、どんどん自分が高ぶっていくのがわかる。
わざと乾の顔を見ないようにしているが、視線は痛いくらいに感じていた。
「いい眺めだ」
馬鹿なことを――と言ってやろうと思ったが、口を離すのは躊躇われた。
もう少しで、乾が達しそうなことは、わかっている。
休まず舌を動かし続けた。
「…手塚、もう止めていいよ」
咥え込んだまま顔を上げると、乾は薄く笑って頷いた。
「どうしてだ。まだなのに」
唇を離し尋ねると、乾はくすりと笑う。
「挿れたい」
顔を見た瞬間に、おそらくそう言うんだろうと予想していた。
そのとき既に、主導権はこの男のものになっていたのかもしれない。
手塚は自分の手の甲で唇を拭い、上半身を起こした。
「好きにしろ」
自分はもう、十分好きにさせてもらったから、この後は乾に任せてもいい。
楽しそうに笑う男の顔には、自信と余裕が戻っている。
きっと、手塚が偶然に見つけた弱点は、もう克服してしまったのだろう。
次に、同じ場所に触れたとしても、それはただの前戯みたいなものになってしまいそうだ。
それはそれでいいのだけれど、せっかく見つけた弱みがなくなるのは、少々つまらない。
新たな弱点を見つけるのは、乾相手だと難しそうだ。
にやりと笑いながら、手際よく自分を裸にしていく男を前に、手塚も笑ってしまう。
「手強いな」
無意識な呟きに、乾は「そっくり返すよ」と耳元で囁いた。
そのついでに、耳朶を噛むのを忘れない。
そういう奴だからこそ、自分は乾を好きになったのだ。
手塚は目を閉じ、力を抜いて身体を預けた。
主導権は、もう、この男のものだから。
乾の弱点が、ピンスポットだとだしたら、手塚の弱点は全身なのかもしれない。
この男の手にかかれば、自然とそうなってしまうのだから仕方ない。
身体を這う乾の手に喘ぎながら、手塚は、自分が間違っていないことを確信した。
2008.05.11
同棲大学生。「乾の臍」って響きが、かわいいじゃないかと思ったのがきっかけになって書きました。
最初はもっと短いものになるはずだったのですが。ねちねち書いてたら、長くなった。
(※一本にまとめなおしました)