薔薇密室(R15)
開きかけの薔薇のつぼみは、迷路に似ている。うかつに覗くと、甘い香りと艶やかな色に惑わされ、小さな迷宮に閉じ込められるのだ。
息苦しさと軽い眩暈で、目の前が揺らいでいた。
手を伸ばせば、直ぐに抱きしめられる距離にいる人の表情さえ、良く見えない。
眼鏡をかければ、少しはましなのだろうが、どこに置いたのかも、わからなくなってしまった。
思考能力は、殆ど麻痺している。
手塚のベッドルームのドアを開いてから、どれくらいの時間が経ったのか。
腕時計は取り上げられてしまったし、目に付くところには時計がないので、正確な時間はわからない。
ゆうに48時間くらいは経っていると思うが、もしかしたら、その倍くらいは過ぎているのかもしれない。
病室のような部屋の、眩しい白が眼に焼きついて、瞼を閉じても光が点滅していた。
でも、この人は間違いなく、微笑んでいる。
見えなくても、それがわかるのが怖かった。
いぬい、と囁く声は、ただ甘い。
手塚の誕生日に薔薇を贈ったあと、その薔薇が枯れるころを見計らって、また新しい花を届けた。
笑顔で受け取ってくれたのが嬉しくて、それからずっと、薔薇を切らさないようにしている。
ここに閉じ込められたのは、手塚に何度目かの薔薇を届けたときだった。
何の気まぐれなのかは、乾にはわからない。
手塚に誘われるままに入った寝室から、勝手に出ることを許されなかった。
それから長い時間の殆どを、ベッドの上で過ごしている。
ここから降りたのは、食事と入浴と排泄のときだけだ。
「俺が良いと言うまで、帰るな」
その命令に、乾は静かに頷いた。
逆らえないのは、ボスだからじゃない。
逆らうという選択肢を、とうに捨ててしまったからだ。
身体を繋いで、離して、また繋ぐ。
その何倍も繰り返し交わされるキス。
疲れたら眠り、眠ることに飽きたら、また抱き合う。
正気を保つのは不可能だという予感がした。
実際、まともな思考は働かなくなっている。
死ぬほど恐ろしく、同時に、死んでもいいほど幸福な時間だった。
「何を考えているか、言ってみろ」
少しだけ掠れた声が、溺れかけた乾の意識を浮上させる。
だが、本当にこれは現実なのだろうかと、不安が過ぎった。
「今は何も、考えられない」
「そんな風には見えないな」
ベッドの上に、しなやかな手足を投げ出し、手塚は笑っていた。
惜しげもなく晒された白い肌には、情交の痕が点々と散らばっている。
付けたのは自分だということも忘れ、目が奪われる。
匂い立つような肢体だった。
何度抱いても、目の当たりにしてしまうと、浅ましいほどに求めてしまう。
絡みつく腕に導かれて、何回達したののか、もう覚えてはいない。
そのくせ、乾に向けられる綺麗過ぎる顔からは、少しも潔癖さは消えることがない。
その気高さが切なく、愛しい。
「貴方を見ていると、胸が苦しくなる」
「辛いか?」
「いいえ」
首を横に振ると、手塚は目を細めて微笑んだ。
「俺はお前を見るのが、好きだ」
長い腕が、ゆっくりと持ち上がり、乾に向かって差し伸べられる。
「だから、もっと近くに来い。顔をよく見せろ」
その腕を手に取り、横たわる身体に覆いかぶさるように、顔を近づけた。
色の薄い瞳には、乾だけが映っている。
「逃げ出したいなら、そうしてもいい」
「ここに、います」
逃げ場所など、どこにもないことを、この人は知っているのだ。
声を出さずに笑った手塚は、ゆっくりと瞼を伏せた。
自らドアを開けた迷宮に閉じ込められるなら、本望だ。
この命を、手塚がどんな風に使おうと、構わない。
初めて会った瞬間から、引き返すことの出来ない場所に、足を踏み入れていたのだから。
手塚を後ろから抱いているときに、ふと花瓶に生けられた薔薇が目に入った。
持ってきたときにはまだ蕾だったはずの薔薇は、今は完全に花開いていた。
2007.12.12
マフィア乾塚。
描写し損ねましたが、乾が手塚に贈ったのは、外側が淡いグリーンで内側がほんのりピンクの「デザート」という薔薇をイメージしてます。
手塚のベッドルームが真っ白なのは、実は暗闇が嫌いだからだったらどうしよう。ひー。