ラズベリィ
黒っぽい赤い実が、ぷつっと唇の間でつぶれた。あふれ出した果汁で汚れた唇を、赤く染まった舌が舐める。
甘酸っぱい――。
唇を濡らしたまま、彼は笑った。
英語のラベルが貼られた壜に直接指を入れ、赤黒い実をひとつ取り出す。
艶々と光るそれを乾に見せ付ける。
とろりと粘性のある液体が、手塚の白い指に絡んでいた。
真っ白なシャツに、いつ染みをつけるのか。
それが気になって仕方なかった。
厚みのあるガラス瓶をテーブルに置くと、ごとりと重たそうな音がした。
白い部屋の中に存在する、たったひとつの赤に嫌でも視線が吸い寄せられる。
座るように命じられた椅子の上で、乾が自由にできるのは首から上くらいのものだ。
それさえも、手塚の意のままに操られている。
この部屋に来るたびに、同じことを感じていた。
「お前も食べてみるか」
「それは、ジャムですか?」
「正確に言えば、プリザーブだな」
どう違うのかと聞く前に、口を開けと命令された。
逆らうことは許されないし、どんな命令にも従うと決めている。
言われるままに口を開くと、濃い赤の果実を舌の上に乗せられた。
「噛んでみろ」
ボスは立ったまま、乾を見下ろし、唇の端だけを少し引き上げている。
それは、彼の機嫌のいいときの顔だ。
歯を立てるとやわらかい実は、口の中でぷつんとと弾けた。
途端に、甘酸っぱい風味が舌の上に広がる。
「どうだ?」
「思ったよりも甘くないんですね」
「ラズベリーだからな。食べたことがないのか?」
「記憶にはありません。意識せずに食べていたのかもしれませんが」
ジャムなんて大人になってから、殆ど口にしたことはない。
子供の頃に食べていたものは、こんな味ではなかったような気がする。
「旨いか」
「ええ」
「では、もっとやろう」
手塚は片手で椅子を引くと、乾と向かい合うように座った。
そして、壜の中に指を差し入れ、中身を掬う。
さっきよりも大粒の身を取り出し、再び乾の口の中に入れた。
噛んでしまうのが後ろめたいような、柔らかい実だった。
それを飲み込んでから、手塚に訊きたくてしかなかったことを尋ねてみる。
「貴方は、いつもこんな風に指で食べているんですか」
「いつもではないな。時々だ」
「どうして?」
「こうやって食べるのが一番旨いからだ」
手塚の目が、そうだろう?と問いかけていた。
「でも、そのままじゃ、服が汚れてしまいそうだ」
眩しいほどに白いシャツは、今は綺麗なままだ。
だが、とろりとした果汁が、いつ滴り落ちてもおかしくはない。
「ああ、そうだな」
手塚は、たった今気がついたとでも言うように、自分の指先を見つめた。
白く神経質そうな手は、濃厚な赤に染まっている。
その指を乾の口元に差し出して、艶やかに微笑んだ。
「お前が舐めて綺麗にしてくれ」
「わかりました」
唇を開くと、細い指が口腔に侵入する。
舌を絡ませると、くっと喉を鳴らして、彼は笑った。
彼の指先は、赤い実よりも、もっともっと甘く美味だった。
2008.03.25
マフィア乾塚。
以前、黒オリーブを食べる乾のことを書いたことがあります。その手塚版。
タイトルが「ラズベリィ」で文中が「ラズベリー」なのは、わざとです。