Rose syrup

Roses are red,
Violets are blue,
Sugar is sweet
And so are you.


3月14日が、あと一時間ほどで終わる。
ボスの家に着いたときには、そんな時刻になっていた。
少々、風は強いが、空気は暖かい夜だ。

本当は、もっと早い時間に来るつもりだった。
今夜の訪問は、必ず来いというボス直々の命令で、今日ではなければいけないという、その意味もわかっている。

一ヶ月前のバレンタインデーに、乾は、白い薔薇とホワイトチョコレートを手塚に贈った。
赤い薔薇は何度も贈ったから、たまには違うものにしようと思ったのだ。
だが、手塚の真っ白な部屋に、白い薔薇では、寂しすぎたのではないか。
そう気がついたのは、実際にボスの部屋に飾られたところを目にした後でのことだった。

「白い薔薇では、少し寂しいですね」
「いや、そんなことはない。とても綺麗だ」
白一色の部屋の中で、ボスはそう言って微笑んだ。
どんな鮮やかな花にも負けない、艶やかな顔だった。
何色の薔薇を贈ろうと、関係ない。
それを知った夜だった。

「遅くなってすみませんでした」
「気にするな。間に合ったんだからもういい」
手塚はテーブルの向こう側で、静かに笑っていた。
今、目の前には、湯気の立つ紅茶と、パウンドケーキの乗った皿がある。
当然のように、カップも皿もすべて真っ白だ。
パウンドケーキさえ、細いリボンのような砂糖衣をまとっている。
ただ、その砂糖は、ほんのりと薄紅色に染まっていた。

遅い時刻にボスの部屋を訪れたことは、何度もある。
アルコールではなく、紅茶やコーヒーを出されるのも珍しくはない。
だが、そこにケーキの類がついてきたのは、初めてだった。

ボスは、最初から、この紅茶とケーキを出すと決めていたのだと思う。
乾が部屋に通された直後に、テーブルがセットされ、深夜のティータイムが始まった。
どこか有機的な白さを持つティーカップに、濃い紅茶の色が良く映えていた。
華奢な銀製のフォークでつついたケーキは、ふわりと甘い匂いがした。
「このケーキは、変わった味がしますね」
ケーキなんてめったに口にしないから、よくわからないのだが、今まで味わったことのない風味がした。

「これには、薔薇のシロップが入っている」
手塚は、そう聞かれるのを、多分待っていたのだろう。
わずかに目を細め、柔らかい表情で答えた。

「ああ、なるほど。確かに薔薇の香りがします」
「だろう?上のアイシングにも同じシロップを入れてあるんだ」
「だから、ピンク色なんですね」
薔薇を味わうのは初めての経験だが、繊細な香りと複雑な甘さが印象的だ。

「少女趣味だな」
ボスは、くすりと笑った。
どう返事をしていいものか迷い、結局何も答えなかった。
「少女趣味ついでに、もうひとつ」
手塚は、笑顔のままで、そう言った。

「薔薇は紅い 菫は蒼い お砂糖は甘い」
静かな、囁くような声だった。

「マザーグース、ですか?」
「そうだ。お前が知っているとは意外だな」
「たまたま、ですよ」
今度は、とても楽しそうに笑った。
ボスがそんな風に微笑むのは、珍しい。

「たまには、薔薇を味わうのもいいかと思ったんだ」
「ええ。たまになら」

そう答えるのがやっとだった。
口の中に、淡く解けていく薔薇の香り。
くすぐったい甘さが、今は少し苦しい。
男二人で味わうには、儚く柔らかすぎて。

こんな時間のすごしかたを、ずっと知らずに生きてきた。
これから先もそうだろうと思っていた。
だが、手塚とふたりきりで過ごす時間は、驚くほど静かで美しい。
今この瞬間でさえ、結晶のように、純化していく。
いつ失ってもおかしくない、砂糖菓子みたいに淡くて、甘い時間だ。

胸の奥が痛い。
でも、その痛みは、決して苦痛ばかりではない。
どこか愛しくて、貴いものに思えた。

「今夜は暖かいな」
「ええ、本当に」
「紅茶のおかわりはどうだ?」
「いただきます」
手塚は、白いティーポットを自ら持ち上げ、乾のカップに紅茶を注ぐ。
ふわりと豊かな香りが立ち上る。

さっき手塚が諳んじたマザーグースの一節には、続きがある。

薔薇は紅い 
菫は蒼い
お砂糖は甘い
そして君も

今夜、甘いのは誰だろう。

薄紅の砂糖衣が、口の中で、ふわりと溶けた。


2010.03.14

マフィア短文。甘い甘い夜の話。

マザーグースは、一度使ってみたいと思ってた。もう一本、中学生話で使うつもりです。
色んな方が日本語に訳してますが、私が引用したのは、多分「谷川」バージョン。