逆夢

白い部屋の中で、時間の経過がわからなくなった。
というより、ここは、時間そのものが消えてしまう場所なのかもしれない。
起きてから何時間も経つのに、まだ夢から醒めていないような気分だ。
だから、つい言うつもりのなかったことを口にしてしまったのだと思う。

「貴方に殺される夢を見ました」

その人は、一輪の赤い薔薇を手にしたまま、静かに振り返る。
艶やかな唇が、花がほころぶように、ゆっくりと開いた。

「俺は、どうやってお前を殺した?」
「首を、絞められました」
それは――と小さく呟き、僅かに目を細める。
完全に身体をこちらに向け、白い窓枠に凭れかかった。
物騒な台詞を、こうまで優雅に言ってのける人間など、他にいない。

「お前は、抵抗しなかったのだろうな」
「ええ」
ボスは満足げに微笑み、最後の一輪を乳白色の花瓶に挿した。
血を思わせる色の薔薇が、白い部屋によく似合っている。

ボスの言う通りだった。
手塚の細く長い指が喉に絡みつき、じわじわと力を増していくのを、ただ受け入れた。
息がつまり視界が霞んでいく間、うっとりとさえしていたような気がする。
この人の手で死ねるのなら、それが最高の終わり方だ。
夢の中の自分は、そんな風に感じていた。

「今、俺が同じことをしたらどうする?」
乾に背中を向けたまま、彼は問いかけた。
密やかであっても、どこか凛とした声は、いつも乾を支配する。

「同じですよ。この命をどう使おうと貴方の自由だ」
「良い覚悟だ」
手塚は真っ直ぐに部屋を横切り、乾の前に立つ。
パールホワイトのシルクのシャツが、ふわりと揺れて、薔薇の移り香が仄かに漂った。

「乾」
色の薄い瞳で、じっと乾を見下ろした。
「はい」
「それは逆夢だ。俺はお前を絞め殺したりはしない」

彼は歯を見せずに唇だけで微笑み、夢と同じように細い指を乾の首に絡みつかせる。
そこに力は加わらず、ただゆっくりと皮膚の上を滑っていくだけだ。
だが、息が詰る感覚は、締められたときによく似ていた。
苦しくて、少しだけ甘い、あの夢に――。

きっと、自分は今、幸福そうな顔をしているのだろう。
ボスは乾のネクタイをするりと解き、ボタンをひとつひとつ外していく。
見上げた瞳は酷薄な色をしているのに、微笑む顔は優しい。
もしこの世に死神が存在するのなら、こんな顔をしているのかもしれない。

「お前は俺の物だ。簡単に死ねると思うな」
「わかっています」

この身は、血の一滴まで、全部が貴方の物だ。
言葉にしなくても、美しい死神には、きっと伝わった。

手塚は乾を真っ白なシーツの上に押し付けると、声を出さずに笑ってから、唇を押し当てた。
死よりもずっと冷たく、生よりも遥かに甘美な口付けに、軽い眩暈がした。

2008.08.26

ボス塚と部下乾。
今、マフィア文をちまちま打っているので、その予行練習。