山のふもとで、まだ犬と暮らしている。 2
今日を入れて、あと三日を残すだけになった師走の空は、綺麗に晴れている。掃除でほこりっぽくなった空気を入れ替えるために、窓を開けると、冷たい風が吹き込んでいた。
汗をかいていたところだったので、その冷たさが心地良い。
休暇に入った翌日から、手塚の命令で大掃除にとりかかった。
古い木造の家なので、掃除にもそれなりに気を使う。
掃除機の使用は最低限にして、昔ながらの箒やハタキの出番が多くなる。
日本家屋で生まれ育った手塚は、慣れた手つきで柱を磨き上げていた。
共用部分の掃除は、既に片付き、あとは自分達の部屋だけだ。
朝食を取ってすぐに始めて、三時間。
そろそろ終りが見えてきた。
乾は、一度大きく澄んだ空気を吸い込み、また掃除を再開させた。
手塚と新年を迎えるのは、これで二度目だ。
正月の準備は、一週間くらい前から、少しずつ進めてきた。
去年のおせち料理は、大手デパートのものだったが、今年は地元で評判のいい和食の店に頼んでみた。
沢山ではないが、のし餅と鏡餅も、地元の和菓子屋から買い求めた。
自分も、本当にこの土地の住人になったのだなという実感がある。
実家にいたときならともかく、一人暮らしを始めてからは、年末年始は日常の延長でしかなかった。
友人と馬鹿騒ぎをしたことは一度くらいはあったはずだが、特にこれといった思い出も残ってはいない。
でも、初めて手塚と過ごした正月は、とても印象的だった。
大げさなことは何もしていない。
多分、一般的な家庭が普通にやっていることを、そのまま真似しただけだ。
だけど、それがとても楽しかった。
今年もまた同じように楽しく過ごせたらいい。
そう思いながら、新年の準備をしてきた。
真っ黒なラブラドールのジェットも、美容院でトリミングしてもらい、ぴかぴかの艶々だ。
今年の最初に、手塚とジェットとまた一緒に正月を迎えられればいいと願った。
その通りになったんだなと、改めて思う。
部屋の掃除というのは、やり出したらきりがないところがある。
細かいところが気になりだす前に、これでいいと割り切ることにした。
一休みしようと居間に行くと、手塚がエプロンをつけて立っていた。
「いいところにきた」
「ん?もしかして、昼飯つくるところ?」
「そうだ。うどんにしようかと思うんだが、どうだ」
「いいね。じゃあ、俺は葱でも刻もうかな」
「任せる」
手塚は麺類が結構好きで、昼にはうどんや蕎麦を食べることが多い。
それも同居するようになってから、知ったことだ。
二人で手分けして昼食の用意をするのも、すっかり慣れた。
冷蔵庫にあるものを、適当に入れただけだが、そこそこ美味そうなうどんができあがった。
うどんをすすりながらの会話は、自然と年末年始の話になる。
大晦日までにやることの確認やら、お互いの実家ではどうしていたかとか。
去年もこんな感じだったかなと、一年前を振り返る。
この一年、大きな変化はなかった。
小さかった犬が、今では立派な成犬になったくらいだろうか。
手塚は、これから自分が進む方向を、ようやく決めつつあるようだ。
その準備を、少しずつ始めているように見える。
だが、それに関して、一切口を出すことはしないと決めている。
必要を感じれば、手塚の方から言い出すだろう。
なぜだろう。
何の根拠もないのに、この静かな生活がずっと続いていく気がしてならない。
願望ではなく、予感だ。
それが自分でも不思議でならない。
偶然見かけた古い家に一目ぼれして、手に入れる決意をした。
その家での生活を始めたところで、手塚が日本に戻ってきた。
一緒に住もうとは言わなかった。
気に入ったのなら、好きなだけ居ればいい。
乾の言葉に、手塚は「そうさせてもらう」と笑って答えた。
そして、今の暮らしがある。
今、中学一年生の自分に会って、「お前は将来、手塚と一緒に暮らす」と言っても、絶対信じないだろう。
だが、それが中学三年生の自分だったら、納得するかもしれない。
手塚と自分の間で、何かが始まったのは、あの夏だから。
「いい年だったな」
うどんを食べ終えた手塚が、静かな声で言った。
「ああ、そうだな。いい年だった」
「来年もよろしく頼む」
手塚が軽く頭を下げたので、乾も同じようにした。
「こちらこそ」
庭にいる黒い犬が、わんと一声吠えた。
きっと、自分ことも忘れるなと言っているのだ。
どうかまた来年も、こんな静かな時間が続きますように。
がらにもなく、そんなことを祈ってみた。
2009.12.30
若いのに、老夫婦みたいな生活をする眼鏡達もいいもんだなーと思う。