三日月夜*
実家で猫を飼い始めたらしい。生後三ヶ月の子猫だそうだ。
ひとり息子である俺が家を出て、手のかかる存在がいなくなったから、母がものたりなくなったのかもしれない。
ちょっとした用があって実家に電話したら、飼い始めたばかりの猫がどれほど可愛いかを、30分以上も聞かされる羽目になった。
母の話によれば、あまり動物全般に関心のなかった父でさえ、メロメロになっているのだそうだ。
子猫という生き物は、それほどに可愛いものなのか。
ちょっと興味を惹かれたので、用事を済ますついでに子猫を見せてもらうことにした。
それから数日後。
休日を利用して実家に帰った俺の前に、母は自慢げな顔で子猫を抱いて連れてきたのだった。
件の猫はアビシニアンという種類らしい。
名前は知っていたが、間近に見るのは初めてだ。
ほっそりとした足に小さな頭。
まだほんの子どもなのに、動作がしなやかで気品さえ感じられた。
そのくせとても人懐こく、初対面の俺にでも喜んで甘えてくる。
なるほど、これは可愛い。
両親が骨抜きにされるのも、納得がいく。
子猫が望むままにしばらく遊び相手になっていたが、遊びつかれたのか俺の手を枕にして眠ってしまった。
小さな頭は、びっくりするほど軽い。
起こすのが可愛そうで、ついそのまま姿勢で、子猫の寝顔を見続けた。
気持ちよさそうな顔を見ていて、俺はあることに気づいた。
猫の眠る顔は、ちょっと手塚に似ている。
特に閉じた目の感じが、なんとなく手塚を思い出させるのだ。
これは楽しい発見だった。
後から比較するために、猫の眠る顔を携帯電話のカメラで撮影しようかと思った。
しかし、猫が枕にしているのは俺の利き手だ。
まあ、携帯の操作くらいは左手でも出来るが、身動きをしたり音を立てたりしたら、猫が起きてしまいそうなのでやめたほうがいいだろう。
そのかわり、しっかりと目に焼き付けておくことにした。
後から、頭の中で比較すればいい。
そんなことを考えながら、子猫の枕に徹するのも、なかなか楽しい経験だった。
大人になってからの手塚の寝顔を知っている人間は、おそらくそんなに多くはない。
もちろん、俺はそれを知っている。
手塚の閉じた瞼が描く曲線は、特別な名前をつけたいくらい綺麗だ。
実際にやったら、手塚に気持ち悪がられるだけなので、心の中で呼ぶしかないが。
その綺麗な瞼曲線を一番見る場所は、ベッドの中だ。
手塚は俺と一緒にベッドの中にいるときは、ほとんど目を閉じたままだからだ。
眠っているときは当然として、起きていたとしても目を開かない。
理由は聞かなくてもわかる。
手塚が俺と一緒にベッドにいて、なおかつ眠っていない状況というのは、やることをやっているときと考えていい。
半分眠って半分起きているようなときも、あるにはあるが、時間としては長くない。
性的なことに晩生な手塚は、最中に目を開けているのが恥ずかしいらしい。
気持ちはわかるが、いつも硬く目を閉じていられると、たまにはこっちを見てほしくなるのが人情だろう。
ベッドでやることは、睡眠かセックスの二択しかないわけではなく、眠くなるまでゆったりと会話をすることもある。
話ならいくらでも昼間にできるが、ベッドの中では、なんとなく話題や雰囲気も違うのが楽しいのだと思う。
今夜もそんな感じの夜だった。
明かりを消した部屋でも、目が慣れると、相手の顔くらいはちゃんと判断できる。
行儀良く仰向けに寝ている手塚の顔をこちらに向けさせ、唇を触れさせるだけのキスをしてみた。
短いキスが終わっても、手塚はなにも言わないし、表情も変わらない。
おやすみの挨拶程度だと思っているのだろう。
「手塚って、キスするとき絶対目を閉じるよな」
「知らん」
「今も閉じてた。暗いんだからあけててもいいだろうに」
「反射的に瞑ったんだろう」
「そうか?キスだけじゃなくて、やっている最中も、ずっと目を閉じてるだろ」
ずっと無表情なままだった手塚が、ほんの少し眉間に皺を寄せた。
怒ったというより、困っているように見えた。
この話題に触れてほしくないのだろうか。
そんな顔をしたら、俺がますます喜ぶということが、わかっていないようだ。
「恥ずかしいのは理解できるけれど、いい加減もう慣れてもいい頃だと思うんだけどな」
手塚は顔を背けるような真似はしなかったが、微妙に視線を外した。
「いつもいつも恥ずかしがっているわけじゃない」
「じゃ、なんで?」
手塚は、しばらく黙っていたが、諦めたように口を開いた。
視線は乾から外したままだ。
「お前の顔を見ていると、すぐにいきそうになるから」
「見たこと、あったんだ」
「……ある」
どんな顔だったかは、聞かないほうがいいだろう。
聞けば、こっちも意識してしまいそうだ。
でも、理由の方は聞かなかったことにはできない。
すぐいきそうになるということは、少なくとも悪い影響ではないはずだ。
「試してみてって言ったら、手塚は怒る?」
「え?今?」
そこまで考えてはいなかったが、もちろん今でもかまわない。
というか、そう言われてしまったら、ぜひ今すぐにお願いしたくなるというものだ。
「うん。今。駄目かな」
「いや、駄目というわけではないが」
「嫌?」
「そうじゃなくて、できるかどうか自信がない」
煽るつもりで言っているわけじゃないのは、声を聞けばわかる。
本気で言っているからこそ、効き目が強いのだ。
「できるだけでいいから。ね?」
「いや、でも」
「俺のこと、見て」
手塚が俺の言葉に従わなければいけない理由はない。
もし命令だったなら、迷わず断られたはずだ。
でも、これがお願いとなると、無碍にできない性格なのだ。
何度か同じ言葉を口にして、とうとう頷かせることに成功した。
われながら焦りすぎだろうと思うが、手塚の返事を確認すると、すぐにパジャマを脱ぎ捨てた。
手塚も、俺ほどで素早くはないが、ためらわずに裸になった。
決断してからは行動を起こすのが早いのは、ベッドの中でも外でも変わらない。
手を伸ばし、スタンドのあかりをつける。
せっかく手塚が目を開けたままでいてくれるのに、部屋が暗かったら意味がない。
手塚は一瞬だけ眉を顰めたが、俺がキスするために顔を近づけても、嫌な顔をせず目を開けていた。
ああ、と声が出そうになった。
唇が触れそうになるそのときまで、手塚が目を閉じないなんて、多分初めてだ。
なんだかよくわからないが、首の裏側がぞくぞくする。
唇を重ねても、手塚は少しだけ目を細めただけで、閉じてしまうことはなかった。
ずっと目を開いたままでいるのは、手塚には難しいことらしい。
快感に飲まれそうになると、反射的に閉じてしまうようだ。
胸の先を舐めると、きゅっと目を閉じた。
「目はつぶらない約束だよ」
「わかってる」
手塚は機嫌の悪そうな表情で、俺をにらみつけた。
照れ隠しなのはわかっているから、まったく気にならない。
むしろ、そういう反応を、もっと見たいと思ってしまう。
さっきとは反対側の胸の先端を指先で撫で、ついでに耳朶も軽く噛んでやった。
どちらも手塚の弱い部分だ。
「あ」
短い声を上げ、手塚がまた目をつぶる。
「ほら、またつぶった」
笑いながら言うと、さっきよりも強く俺をにらんだ。
「……お前は、声もいやらしいんだ。耳元で言うな」
「手塚だって、エロいよ。自分でわかってないんだ」
息を乱し肌を熱くしながらも、燃えるような視線で俺を射抜く。
強さと弱さのバランスがその時々に傾いて、危うい色気を作り出している。
「今、どんな顔をしているか言ってやろうか?」
わざと耳に息がかかるように言ってみる。
手塚は、目を細めはしたが、ぎりぎりのところで堪えたようだ。
シーツをつかんでいた手を離し、俺の身体を強引に引き寄せた。
「も…、わかったから、黙れ」
乱暴なキスは、それでも甘い。
薄く開いた目は、今まで見たことがないくらい熱っぽかった。
その目を見た瞬間、頭の中で何かが焼ききれたような気がした。
俺を見る手塚の威力は、想像以上だ。
ぞくぞくするとか、そういうレベルじゃない。
一瞬で全身の血液が沸騰し、それが勢いよく下半身に流れ込んでいくようだ。
じっくり味わっている余裕はなく、普段の半分も時間をかけずに手塚に入れてしまった。
無理をさせていないか少し不安になったが、手塚が苦痛を感じているようには見えない。
シーツを固く握りしめ、胸を上下させているのは、別の理由からだ。
「手塚」
手塚は何度か荒い呼吸をしてから、黙って乾の顔を見上げた。
「気持ち、いい?」
「……見れば……わかるだろう」
手塚は低い声で言い、挑発するように顎を上げた。
いや、間違いなく手塚はそのつもりなのだ。
白い喉をわずかに捻り、斜めからの視線を乾に向けた。
嫌と言うほど、わかった。
なるほど、すぐにいきそうってのは、こういうことか。
気づいたときはもう遅い。
欲望が破裂しそうに膨れ上がった。
そこから先は、自分が何をして、手塚がどう反応したのかもよくわからない。
ただひたすら快感を追うことに没頭した。
熱い波のような快楽に溺れ、俺と手塚は、おそらく過去最速の時間で達してしまった。
手塚も俺も、しばらくの間、言葉もなくただベッドの上に四肢を投げ出していた。
呼吸がある程度収まってから、手塚に気になっていたことを聞いてみた。
「今、目、閉じてなかったか」
「……さあ。覚えてない」
お前はどうなのだと問いかけられているような視線を向けられたので、にっこりと笑い返してみた。
「実は俺もだ」
そうか、と手塚もかすかに微笑んだ。
「俺のわがままにつきあってくれてありがとう」
「ああ。でもこれきりにしてくれ」
それはもったいないと思ったが、めったにないことだからいいのかもしれないと考え直した。
「わかったよ。気が向いたらつきあってくれればいいから」
手塚はそれには答えず、少し眠そうに目を瞬かせた。
その眠そうな目のまま、俺の頬にそっと指先で触れる。
「俺は、眠っているときのお前の顔も好きだ」
「なんでそういうこと、言っちゃうかな」
「お前が言うな」
笑う手塚に唇が軽く触れるだけのキスをした。
それから、手を伸ばし、スタンドの明かりを消して、目も閉じてからもう一度キスをした。
多分、手塚も目を閉じていたと思う。
眠る前のキスは、これでいい。
唇を離してから、ゆっくりと目を開く。
手塚は目を閉じたままだ。
きっとこのまま眠ってしまうだろう。
目を閉じた手塚の顔は、遊びつかれて眠る実家の子猫に、やっぱり似ているような気がした。
2013.07.25(2014.01.16一部修正)
大人設定。多分、一緒に暮らしています。
子猫の寝顔はかわいいですよね。手塚の寝顔もかわいいはず。