テディベア

4、5歳くらいの頃だったろうか。
あるとき母が、テディベアのぬいぐるみを買ってくれた。
子どもの目には大きく見えたが、多分20センチかそこらだったと思う。
兄弟のいない俺が寂しくないようにと、考えたのだろうか。
今日から、この子と一緒に寝なさいみたいなことを、言われたような記憶がある。
でも、子どもながらにも、ぬいぐるみを抱いて寝るのには、多少の抵抗があった。
しかし、せっかく自分のために選んでくれたものを、いらないとは言えない。
実際、ぬいぐるみ自体は愛嬌のある顔立ちで、ひと目で気に入ったのだった。

どうしようか、子どもなりに真剣に考えた。
結局そのぬいぐるみは、抱いて寝るのではなく、枕元に置くことにした。
丸くて黒い目が、自分の眠りを見守ってくれる。
そう思いながら寝るのは、案外と楽しいものだった。
あのぬいぐるみは、多分今でも実家のどこかにあるはずだ。
きっと今も、あのひとなつこい黒い目で、世界をやさしく見つめているのだろう。


自分の部屋のドアが、いつもの何倍も重く感じるほど、疲れてきっていた。
もう少しだからと自分を宥めながら、やっとの思いで玄関で靴を脱いだ。
当たり前だが、自分以外に誰もいない部屋は真っ暗で、冷え切っていた。
灯りはつけてもエアコンを入れる気力もなく、荷物や着替えは適当に放り出し、まっすぐにバスルームへと向かった。
本当は、バスタブにたっぷり湯を張って、ゆっくりと浸かって疲れを取ったほうがいい。
頭ではわかっていても、今はそんなことを考える余裕がなかった。
とりあえず熱いシャワーで汗を流したら、さっさと眠ってしまいたい。

歯磨きもバスルームで済ませ、脱ぎ散らかしたものもそのままに、ベッドルームへと引き上げた。
手にしているのは、500ミリのゲロルシュタイナーと携帯電話だけだ。
裸のまま冷たい水を、ごくごくと飲む。
硬度の高いミネラルウォーターだが、発泡性なので喉越しがいい。
水分補給が済んだら、身体が冷えないうち寝てしまおう。

裸のままでベッドに入ろうかとも考えたが、疲れがたまっている状態では、風邪を引きかねない。
下着とパジャマをもたもたと身につけ、ベッドに潜り込んだ。
素足に触れたシーツや、ひんやりとしていた。
裸で寝なくて、正解だったかもしれない。
冷えたベッドに入ると、より自分が疲労をためていることを意識する。
ため息をひとつつき、目を閉じた。

だが、日課を忘れていることに気づいて、目を開いた。
すぐにべッドライトを点け、枕元に置いてある携帯電話を手に取り、メールをチェックする。
日課とはいえ、眠くて仕方ないときは、あきらめて翌朝に回すこともよくある。
だが、どうしても、今しなきゃいけないような気がした。
手が覚えているから、何も考えなくても、あっという間に作業を終えられた。

ああ、やっぱり──。

予感は、間違いではなかった。
手塚からの新しいメールが一通、俺の携帯電話に届いていた。
時間を確かめると、送信されてから30分も経っていない。
手塚がこれを打ち込んだのは、恐らく俺がシャワーを浴びていた頃だ。
俺は、身体を起こして眼鏡をかけ、届いたばかりのメールを読んだ。

メールは、いつもと変わらない、ごく普通の内容だった。
寒い日が続いているようだが、風邪を引いたりしていないかとか、自分は元気だとか、そんな感の言葉が続く。
そして、来月には帰れそうだという言葉で、メールは締めくくられていた。

早く会いたいとか、嘘でもいいから書いてくれればいいのに。
俺は、声を出さずに笑って、メール画面を閉じた。
そして、携帯を手に握ったまま、早く眠りにつくため、すぐにベッドに潜り込む。
早く眠れば、早く朝が来る。
そして手塚が帰ってくる日が、少しでも早く近づけばいい。

片手で毛布を肩まで引き上げ、子どもの頃のように背中を丸める。
利き手には、遠く離れたところにいる手塚からの言葉がしまい込まれた携帯電話を、しっかりと握り込んで──。

今の俺の眠りを守ってくれるのに、この小さな機械。
つぶらな目をした熊のぬいぐるみのように、一晩中俺の眠りを見守ってくれるだろう。
どこにいても、どんなときでも、手塚が俺を救ってくれる。

どうして、こんなに手塚を好きでいられるのだろう。
出会った頃よりも、今の方がずっとずっと手塚を好きになっている。
どれだけ好きになっても、まだ足りない。
きっと今日よりも明日、明日よりも明後日の方が、手塚を好きになっているだろう。

どうしてだろう。
こんなに好きでいられることが、不思議で不思議でしょうがない。
携帯を握ったまま、一所懸命考えたら、答えはみつかるだろうか――。



目を閉じてまもなく、俺は深い眠りに落ちてしまったので、やっぱり答えは見つからなかった。


2012.01.22(2012.03.19一部修正)

乾は社会人、手塚はプロという設定。おセンチ乾。
ゲロルシュタイナーは硬度1400。硬度が高くても、スパークリングタイプなので、とても飲みやすいですぞ。