クリスマスカクタス

コートの内ポケットに入れておいた携帯電話が振動したのは、乗り込んだタクシーの運転手に、行き先を告げたときだった。
タクシーが発進してから、手塚はゆっくりと携帯を取り出す。
確認する前から、相手が乾だろうと思っていた。
ただの勘だが、当りだったようだ。
受信ボックスには、乾からのメールが届いていた。

手塚は一度、携帯電話から視線を外し、車のウインドウに目をやった。
今日は晴れているから、暮れかけた空が、ガラス越しにも綺麗に見えた。
いかにも寒そうな冬の空だ。
手塚が窓を見たりしている間も、運転手は何も言わない。
受け答えは丁寧だが、余計なお喋りをしない運転手は、正直ありがたい。
ふたたび携帯電話に目をやり、乾からのメールを読んでみた。

メールの件名は「クリスマスカクタス」だった。
なかなか咲かなかったサボテンの花が、やっと開いた。
手塚に、そう告げるメールだった。
添付された写真には、複雑な形をした花がアップで写っている。
その鮮やかな色彩が、薄暗いタクシーの車内では、眩しく見えた。

何色と言うのだろうか。
色の名前を、よく知らないので、手塚には濃いピンクとしか表現できない。
とても鮮やかで綺麗な色だ。
同時に懐かしくもある色合いだった。

乾がこの画像を手塚に送ってくる理由は、よくわかる。
今、乾の手元にあるのは、もともと手塚の家のサボテンから、挿し芽で増やしたものからだ。
祖父が育てていたサボテンから葉を数枚取り分け、小さな鉢に植えて、それを乾のところに持っていった。
乾がそうしてくれと望んだわけではなく、手塚自身の考えでもない。
簡単に増えるから分けてあげるといいと、母に勧められただけのことだった。

分ける相手を他に思いつかず、軽い気持ちで持っていった小さな鉢植えを、乾は意外なくらい喜んだ。
多肉植物が好きな不二に、わざわざ連絡を取り、育て方を聞いたほどだ。
滅多にしない電話の内容が、サボテンの育て方だったのには、不二も驚いていたらしい。
でも親切にアドバイスをくれたそうで、一桁の枚数だった葉は、いつのまにか数倍に増えた。
そして、今では沢山の花を咲かせるまでに、育っていた。

クリスマスの時期に咲くから、クリスマスカクタス。
その名前を教えてくれたのは、祖父でも母でもない。
手塚の家では、シャコバサボテンと読んでいた。
別名を教えてくれたのは、乾だ。
不二に聞いたのか、自分で調べたのか、手塚は知らない。

名前の通り、いつもは12月に咲いていたその花が、今年は時期がずれ、新年にやっと開いたという。
遅れて咲いたけれど、花はとても綺麗だと、乾のメールには書いてあった。
乾は、手塚がこの画像をどこで見ているか、知らないはずだ。
手塚が教えてないのだから、当然の話だ。

この冬は忙しくて、クリスマスには日本に戻れなかった。
乾にも早い時期に、連絡しておいた。
次に会えるのは、いつになるかわからないとも伝えた。
だから、当分は帰ってこないと考えているだろう。

クリスマスが過ぎ、年が改まって三日目。
ようやく時間が取れ、すぐに日本に飛んできたことを、乾はまだ知らない。
わざと連絡しなかった。
ぎりぎりまで予定が立たなかったからというのもあるけれど、乾の驚くか見たいからという理由も大きい。
乾からそれを指摘される度に、否定していたけれど、実は言う通りなのだ。

多分乾は、遠く離れた場所にいる手塚に、開花したことを教えたつもりでいる。
まさか、今、同じ空の下にいるとは思ってもいないだろう。
思い出の花が、この冬も綺麗に咲いたことを、ひとり外国で暮らす手塚に見せてやりたい。
乾なら、きっとそう考える。
あの、冷静そうにみえて、案外ロマンティストな男なら──。

さあ、乾への返信をどうしようか。
今日はまだ休暇中だろうから、家でのんびりしているかもしれない。
そんな男に出すメールの文章を、あれこれと考えていた。
それから、改めて携帯を持ち直し、短い文章を打ち込んだ。
面倒くさいメールなんて、自分の性に合わない。

「今すぐ実物を見に行くから、待っていろ」
それだけ打って、すぐに送信。
おそらく10分以内に、乾から電話がかかってくるだろう。
それくらいの予想は、手塚にだって可能なのだ。

乾の住むマンションに向かうタクシーの中で、手塚はこっそりと微笑んだ。


2011.01.15

「Lagrange point」の二人。我が家のクリスマスカクタスが、新年になってから咲いたんですよ。それを見て思いついた。
きっとサボテンの花は、手塚が帰ってくるのを待っていたんですね。