クリスマスカクタス2

心地よい眠りを妨げたのは、朝っぱらからかかってきた一本の電話だった。

なんの予定もない休日は、目覚まし時計をセットせずに気の済むまで眠っている。
慢性的な睡眠不足の自分にとって、それが週に一度か二度の贅沢なのだ。
その貴重な睡眠を妨げる携帯電話を、ベッドの中から手だけを伸ばしてつかみ、半分寝ぼけたままで液晶画面を確かめた。
出たら、文句のひとつも言ってやろうと思いながら。

手塚?

買い換えたばかりの携帯の液晶には、間違いなく『手塚』という文字が表示されている。
乾はあわてて身体を起こし、通話ボタンを押した。
「もしもし」
「ああ、俺だ」
やっぱり手塚だ。
しっかりとして落ち着きのある、乾の好きな声だ。
確認した途端、一気に目が覚めた気がする。

「寝てたのか?起こして悪かったな」
もしもしとしか言ってないのに、どうやら声でバレたらしい。
よっぽど腑抜けた声だったのか。
「いや、いいんだ。それより、これどこからかけてる?」
「実家からだ。実は昨日の夜、こっちに戻ってきた。遅い時間だったから連絡しなかったんだ」
手塚らしい気遣いだ。
どちらかと言えば、乾の場合は夜の方が確実なのだが、常識的にはそうなるだろう。

「今日は、仕事関係の予定が入っている。おそらく午後までかかるが、そう遅くはならないと思う。確実に夜には身体が空く。お前の方はなにか予定があるか?」
きっと電話をかける前から、どう説明するかを練っていたに違いない。
手塚は、途中でつかえることもなく、ごく滑らかなに言い切った。

「俺の方は特に予定はない。何時でも空いているよ」
「そうか。じゃあ、そっちに行っていいか?」
「もちろん」
「わかった。予定がはっきりしたら、また連絡する」
「了解。またあとで」
手塚は用件を済ませて安心したのか、乾におかえりも言わせないままに、電話を切ってしまった。

乾は、少しの間、ぼんやりと自分の携帯を見つめていた。
──びっくりした。

この前、手塚に会ったのは10月の半ば。
手塚自身の誕生日に合わせての帰国だった。
一緒に居られた日数は三日間だけ。
それでも乾にとっては貴重な時間だ。
次に会えるのは、いつかなるかわからない。
うまくいけば年末に戻れるかもしれないと、手塚は言っていた。

それは、クリスマスには会えないことを意味していた。
子どもじゃないのだから、さほど残念だとは思わない。
もちろん会えるに越したことはないが、クリスマスに限った話じゃない。
今日会えないのも、クリスマスに会えないのも、同じように寂しい。
会えるなら、明日だって12月24日だって、同じように嬉しいのだ。
でも、クリスマスにかこつけて、プレゼントとカードを贈るのは、楽しそうだ。
そんな風に考えていたところだったのに、まさか11月中に、手塚に会えるなんて思ってもみなかった。

乾は、携帯電話を持ったまま、ベッドから降りた。
片手で寝室のカーテンを開くと、朝の光が部屋の中にたっぷりと注がれる。
冬の日差しは、夏のそれよりも優しく感じた。
それから隣のリビングに移動し、同じようにカーテンを開いて光を入れた。
窓際には、鉢植えが置いてあり、冬でも濃い緑色を見せてくれている。

乾は身体を屈めて、鉢植えを覗き込んだ。
特徴的な葉の先には、濃いピンク色の花が沢山ついている。
「手塚を呼んでくれたのか?」
乾が話しかけたものは、シャコバサボテンだった。
別名は、クリスマスカクタス。
クリスマスのころに花をつけることから、そう呼ばれるのだそうだ。

手塚の家で育てていたものから、さし芽で増やしたものだ。
それが初めて花を咲かせたのは、前の冬で、年が明けたころだった。
クリスマスには帰ってこられなかった手塚を待っていたかのようなタイミングで、この花は咲いたのだった。

今、このサボテンは沢山のつぼみがついている。
クリスマスを待たずに、少しずつほころびだし、昨日あたりからどんどん花が開いてきた。
おそらく、今日と明日あたりが一番きれいな時期だろう。
今度もまた、クリスマスカクタスの花を、手塚が見ることになるのだ。

偶然だと言ってしまえば、それだけのこと。
でも、乾はそう思いたくなかった。

クリスマスには咲かないクリスマスカクタス。
手塚家からやってきたこのサボテンは、きっと手塚を好きなのだろう。
この自分と同じように。

花が一番綺麗に見える角度に、鉢を置きなおし、乾はそっとつぶやいた。
「おかえり、手塚」
待っているのは、俺だけじゃないよ――。

朝日の中で、ピンク色の花びらが、少し照れたように揺れていた。


2011.01.15(2012.01.16一部修正)

これも一種の手塚ゾーンか?