Alcohol is talking

手塚の携帯電話が、深夜に鳴ることは滅多にない。
仕事場ならともかく、自宅でくつろいでいるときなら、尚更だ。
その滅多にないで出来事に、手塚はかなり驚いていた。
しかも液晶に表示された名前は、乾なのだ。
こんな時間にメールではなく電話をかけてきたのは、多分初めてだ。
何か不測の事態でも起きたのだろうか。
時計の針は、あと5分ほどで0時を刺そうとしていた。

緊張しながら電話に出ると、「乾です」という低めの声が聞こえてきた。
「夜分遅くすみません。まだお仕事中ですか?」
少なくとも声音に、深刻さは感じられない。
とりあえずは、心配しなくても良さそうだ。

「いや。今は自宅だ」
「そうですか。じゃあ、順調なんですね」
これは、仕事の進行具合のことを言っているのだろう。
続く言葉を待っていたが、乾は中々先を言おうとしない。
電話での会話に間が空くのが苦手なので、手塚の方から先に切り出した。

「何か、あったのか」
乾は何か言ったようだが、少し音が聞き取りにくい。
それに、どうも呂律が回っていないような話し方だ。
もしかしたら、という考えが頭をよぎる。

「今、外か?」
「ええ」
「酔っているのか」
「わかりますか?」
電話の向こうで、乾は笑ったような気配がした。

緊張して背筋を伸ばしていた手塚だが、やっと肩から力が抜けた。
ソファの背にもたれ、軽く足を組む。
――なるほど。
乾は酔っ払って電話をよこしたわけか。
自然と、手塚も笑いが浮かんできてしまう。

「仕事絡みか?」
「そんな感じです」
乾は、勝手に笑い出し、勝手に大きなため息をついた。
「すみません。声が聞きたくなっちゃって」
悪戯を告白する子どものような口調だった。

「そうか。珍しいな」
「いつもは我慢しているんです。本当は、毎晩聞きたいくらいだ」
少し舌足らずな喋り方は、甘ったれているようにも聞こえる。
酔って本音が出たのか。
それとも、調子のいいことを言っているだけなのか。

酔って醜態を晒すのは、嫌いだが、今夜の場合は新鮮で面白い。
もちろん、相手が乾でだからつきあっているのであって、他の人間ならとっくに切っている。
「なにか、話してください」
なかなか手の内を見せない男に、こんな風に甘えられるのは、きっとそうあることじゃない。

頭が切れて、いつも冷静で、仕事ができる男。
乾を評価するなら、こんな言葉が並ぶ。
もし、個人的なつきあいをしていなかったら、それしか知らずにいただろう。
酔っ払った勢いで電話をする相手は、恐らく自分ひとりなのだ。
案外、可愛いところがあるじゃないか。
そう言ってやったら、乾はなんて答えるのだろう。

気の済むまで相手をしてやりたい気もするが、お互いに明日の仕事に差し支える。
どんどん意味のわからないことを言い始めた乾をなんとか宥めて、手塚は電話を切った。
素面に戻った乾は、今夜のことをどの程度覚えているだろう。
それを楽しみにしながら、ベッドに潜り込んだ。

翌朝、手塚が仕事場についてすぐのタイミングで、乾から電話がかかってきた。
電話に出たとたん、ものすごい勢いで詫びの言葉を繰り返す。
どうやら、寝て起きたら、夕べのことを思い出したらしい。
いくら手塚が気にするなといっても、耳には届いてないようだ。
しばらく謝罪を続けていたが、それだけでは足りないと思ったのか。
夜になってから、手土産を持って直接謝りにやってきた。
必死に詫びを言いながら何度も頭を下げる姿は、理由が理由なだけに、乾には申し訳ないが、ちょっと面白い。

「本当にすみませんでした。どうかしてました」
「いや。もういいから頭を上げてくれ」
「しかし、あんなご迷惑をおかけして」
また延々謝罪の言葉が続きそうだったので、手塚は笑いながら首を横に振った。

「本当に気にしないでくれ。むしろ、楽しかったくらいだ」
乾は立ったままで少し眉を顰め、不安げな表情を浮かべている。
「あの……僕はどんなことを言ったんでしょう」
「なんだ。覚えてないのか?」
「……ええ。ほとんど」

困った顔を乾を見ていると、夕べの甘えた声が思い出されてくる。
声を出して笑いたいのをこらえて、手塚は静かに微笑む程度に留めた。
「そうか。じゃあ、言わずにおこう」
乾は、ますます心配そうに顔を曇らせ固まってしまった。

「もしかして、怒っていらっしゃいます?」
「いや。ちっとも」
安心させてやるために、今度ははっきりと笑ってやった。

「ところで、これの中身はなんだ?」
手渡された紙袋を持ち上げて、乾に聞いてみた。
「スコーンとマフィンです」
「夜食にいいな。じゃあ、紅茶でも淹れてくれるか。それで、水に流そう」
「わかりました。すぐに用意します」
やっと安心したように笑顔を浮かべて、乾は紅茶を入れにキッチンへと向かった。
その背中を見ながら手塚がくすくす笑っていたことに、気づいてはいないだろう。

乾の淹れた紅茶は、いつもより少し濃い目だった。
どれだけうろたえていたかを物語るようで、おかしかった。
もっとも、当の本人はそれすら気づいていないようだ。
喉が渇いているのか、あっという間に自分の紅茶を飲み干していた。

「本当に、怒ってませんか?」
空になったティーカップを手にしたまま、恐る恐る話しかけてくる。
「同じことを何度もされたら怒るかもしれないな」
「二度としません、誓います」
恐ろしくまじめな顔で言うと、ごめんなさいと頭を下げた。
その頭をなでてやりたい衝動に駆られる。

たった今、何度もしたら怒ると言ったけれど、もう一回くらいなら同じようなことがあってもいい。
乾の淹れた濃い紅茶は、結構美味しかった。

乾が持っていったのは、Afternoon teaのスコーンとマフィンをイメージ。
あ、しまった。また何か食べるシーンを入れてしまった。
もういいや。日本一食事シーンが多い乾塚サイトを目指してやる。なんの意味があるのかわからないけど。