Q and A
誕生日から二ヶ月ほどが過ぎた。あれから、乾とは何度か夜を過ごした。
もちろん、仕事場として使っているマンションでの話だ。
誕生日に乾に宣言した『仕事場では寝ない主義』は、あっけなく撤回することとなってしまった。
だが、後悔はしていない。
仕事上のパートナーとしても、プライベートでも、乾には安心して自分を任せられる。
乾が、泊まっていくのは、やはり休みの前日が多い。
手塚のスケジュールを、ほぼ完璧に把握しているので、ちょうどいいタイミングで連絡をよこす。
金曜の今日は、ひとつ仕事が片付く予定になっいてたから、きっと電話かメールがくるだろうとは思っていた。
案の定、正午を少し回った頃に、今夜泊まりに来ていいかを尋ねるメールが、携帯電話に届いた。
手塚は最後の仕上げの手を止め、少しだけ笑ってから、返事を送ったのだった。
プライベートでも、乾は時間に正確だ。
約束した夜の九時ぴったりに、手塚のマンションに到着した。
仕事はすでに終えて、夕食の準備を始めていたところだった。
そこからは、乾が手伝ってくれたので、あっというまに出来上がった。
泊まっていくと知っているから、普段よりもゆっくりと時間をかけて夕食を楽しんだ。
ひとりの食事を嫌だと思うことはないが、こうやって好意を持つ相手と会話をしながらでは、やっぱり美味しさが違うと感じる。
食後のコーヒーまで、じっくりと味わってから、交代で風呂に入った。
乾の入浴が終わってから、二人で寝室に向かう。
ベッドの中でやることはひとつ。
後は寝るだけだ。
だけど、同じ言葉でも意味は二通りある。
今夜は、ひとりでは出来ない方の、『寝る』だった。
心地よい疲労感が、全身を包んでいた。
乾の長い両腕に、緩く抱かれたまま、目を閉じていいると、このまま眠ってしまいそうだ。
それでも構わないのだが、今夜は、なぜだかもう少し話をしていた気分だった。
「聞きたいことがあるんだが、いいか」
「なんでしょう?」
乾は閉じかけていた目を開いて、微かに微笑んだ。
ベッドの中では、敬語禁止にしていたのだが、どうしても直らないようなので、最近は好きにしろと言っている。
「君は、いつから、俺とこうなってもいいと思っていたんだ?」
「恋愛感情を持ったのはいつ頃ってことですか?それとも、もっと突っ込んだ意味でしょうか」
「後の方だ」
乾から好きだと言われたときのことは、はっきり覚えている。
もしあんな風に告白されなかったら、もしかした今こうなってはいなかったかもしれない。
ただ、同性に恋愛感情を持っても、肉体的には受け付けない人間もいる。
それを知っているから、乾に対して、踏み出せなかった部分が確かにあった。
でも、手塚の予想を、乾はいい意味で裏切ってくれた。
初めて寝た夜を含めても、自分に不安を抱かせるような態度を一度も取らなかった。
それで、乾はいつから望んでくれていたのが、ふと気になったのだった。
乾は、少しの間、考えるような素振りを見せたが、すぐに笑顔に戻った。
「最初に、こちらにご挨拶に伺ったときですね」
「え?」
「初めて、先生とお会いした瞬間に思ったんですよ。俺は、この人なら抱けるって」
「冗談だろう?」
「本当ですよ」
「そんな素振りは」
――見えなかったと言う前に、乾が声を上げて笑った。
「そりゃそうでしょう。普通、初対面で、そんなことを言う奴はいませんよ」
もっともな発言だが、だからと言って、手塚も一緒に笑う気にはなれなかった。
避けられるよりは、遥かに良いが、ストレートの男を好きになったことを長く思い悩んでいただけに、どうにも複雑な気分だ。
そんな手塚をよそに、乾は優しく微笑み、抱く腕に少しだけ力を込めた。
「いつのまにか、『抱ける』が『抱きたい』に変わって、最終的には、『今すぐ、抱きたい』になってしまいました」
「あの日のことか」
小さく頷いてから、乾は、遠い目をしてくすりと笑った。
「強引でしたよね」
「そう…だな」
手塚も軽く笑い、乾の肩に体重を預けた。
結果的には、あれで良かったのだろう。
乾が好意を寄せてくれているのをわかっていても、あのままだったら、手塚の方からは踏み出すことはなかったように思う。
もしかしたら、強引な方法でなければ、手塚が本心をさらけ出せないことを、乾はわかっていたのかもしれない。
乾ならば、それくらい見透かしていても不思議はない。
「俺も、聞きたいことがあるんですけど、いいですか」
黙って手塚を支えていた乾が、低い声で話しかけてきた。
少しうとうとしかけていたが、頑張って目を開く。
「俺に、答えられることなら」
「なんというか…ちょっと言いにくいんですが、」
「遠慮しないで、はっきり言ってくれ」
ついさっき、かなり恥ずかしいことを言い合ったばかりなのに、何をいまさら。
そう言ってやると、乾は笑いながら口を開いた。
「じゃあ、聞かせていただきますね」
乾は、少しだけ口元を引き締め、やや声のトーンを落とした。
「いつも俺が、抱く側でいいのかなって、気になっていたんです」
「今の、この関係を不自然に感じているか?」
「いえ。まったく」
言いにくいなんて言葉を吐いておきながら、乾の答えはきっぱりとしたものだった。
手塚も負けずに、同じように答えた。
「俺もそうだ。だからこのままでいい」
「わかりました」
ふっと乾が吐いた息が、手塚の頬を掠めた。
「ほっとした顔だな」
「え?」
「やっぱり逆は抵抗があるのか」
これは責めているわけじゃなく、なかなか弱みを見せない相手をを、少しだけ困らせてやりたくなっただけだ。
手塚の希望通り、乾はちょっと困った顔をしたが、それも一瞬で消え、すぐにいつもの余裕たっぷりの笑顔になった。
「嫌ではないですよ。興味もあります。でも、正直に言えば、自分があなたに抱かれるところが想像できませんね」
「俺も、できないな」
乾とは逆に、この男には、抱かれたいとしか考えられなかった。
「じゃあ、このままで構いませんか」
少し細めた乾の黒い目は、探るようにも笑っているように見えた。
「だから、さっきから、そう言っているじゃないか」
「面白い方ですね。あなたは」
「それはこっちの台詞だ」
乾は短く声を上げて笑い、長い両腕の中に手塚を閉じ込めてしまう。
暖かいその場所に身体を預けるのも、すっかり慣れてしまった。
「今日で何度目だったかな」
「やった回数ですか?」
半分、ひとりごとのような呟きに、予想外の答えが返ってきた。
「違う!君が泊まった回数だ」
確かにその解答は、殆ど同じかもしれないが。
「覚えてないんですか?俺は日にちも全部覚えてますよ」
「本当に?」
「ええ。やった回数もね。なんなら、今、答えましょうか」
照れもせず、平然とそんなことを言えるなら、さっきの戸惑いながらの質問はなんだったのか。
どうにも、よくわからない男だ。
「いや、それはいい」
「そうですか。残念だな」
「まさか、キスの回数まで数えているんじゃないだろうな」
「それは、ちょっと自信がない」
ということは、やった回数の方は自信があるのか。
「ちょっとというのは?」
「どこまでを一回とカウントするかがね。難しい」
手塚は乾の腕の中で顔を上げ、じっと切れ長の瞳を見つめてみた。
一見すると、ただ優しそうに見えるけれど、この状況をどこか面白がっているような、油断のならない表情だ。
手塚は、薄くて少し意地悪そうな乾の唇に、自分の唇を押し当てた。
ん、と低い声がしたけれど、そんなのは無視してしまう。
唇が完全に離れてしまわないように気をつけながら、何度も角度を変えたり、軽く噛んだりを繰り返す。
息が苦しくなってきたところで、唇を離し、そのまま乾の首筋から鎖骨に短いキスを繰り返した。
「これは何回だ?」
問いかける手塚の呼吸は、少しだけ乱れいてた。
「難しいことを、訊かないでください」
微笑む乾は、声が掠れていた。
「じゃあ、もっと難しい問題をやろう」
「お手柔らかに」
どんなに甘い声で懇願されようと、それに従う気はない。
回数を数える余裕なんて、与えてやらない。
答えが見つからないほうがいいことも、この世界には沢山あるのだ。
2008.12.27
いちゃいちゃらぶらぶ。ただそれだけの話です。