Q and A SECOND

土曜日には、なるべく予定は入れない。
まったく仕事をしないのは無理でも、夜はできる限り仕事をしないで済むようにスケジュールを組む。
最近の手塚の週末は、それが当たり前になっている。
今夜も、事前の調整で、仕事はなんとか午前中だけで終わらせることが出来た。
乾の方も、半日だけ出勤し、午後には手塚のマンションに顔を見せた。
近頃は、乾の顔を見ないと、土曜日が来たという感じがしない。
それほど、ふたりで過ごす時間が増えたというわけだ。

半年前では想像もできなかった状況だ。
手塚はベッドの上で、無意識のうちに笑ってしまったらしい。
バスルームから戻ってきたばかりの乾が、不思議そうな顔で手塚を見ていた。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「はあ」
乾には珍しく、間の抜けた返事だ。
風呂上りで、リラックスしているから、追及も甘いのかもしれない。

洗い立ての髪は、いつもより少しだけ毛先が落ち着いている。
まだ新しいパジャマを着て、ベッドの端に腰を下ろす乾は、スーツ姿と比べると二、三歳若く見えた。
身体を起こし、乾の髪に手を伸ばすと、水分はかなり飛んでいた。
「かわくのが早いんだな」
「短いですからね。丁寧にタオルを使えば、水滴は、ほとんど気にならなくなります」

眼鏡の奥の瞳が優しく細められる。
頭を撫でてやりたくなるような、のんびりした笑顔だ。
おそらく、乾のこんな表情を知っている人間は、少ないだろう。
勝手な思い込みかもしれないが、それでもかまわない。
自分から唇を近づけると、乾がふっと笑った。

目を閉じたのと同時に、暖かいものに包み込まれる感触。
ああ、抱きしめられたんだ──。
状況を理解したときには、唇が重なっていた。

少しも特別なキスじゃない。
呼吸をするのと同じくらいに自然だった。
今は、それが嬉しい。
身体がゆっくりと倒されるのも、当たり前に受け入れていた。

お互いの眼鏡を外し、部屋の照明を消し、ベッドサイドの灯りだけを点す。
乾とベッドに入ると、自然とこういう流れになる。
ただ、その先に決まった形はない。
今夜の場合、お互いに、すぐ裸になるような気分ではなかった。

多分、乾の方も、同じような気分だったのだろう。
ごく軽く身体が触れ合うくらいの位置で、乾は軽く微笑んだ。
「少し、話をしてもいいですか?」
「ああ」
わざわざ、このタイミングで切り出すのは、きっと理由があるはずだ。
乾の表情を見ている限り、悪い話ではなさそうだ。

オレンジ色の明かりが、寝室に、いつもとは違う陰影を作り出している。
夜に相応しい密やかな声と、昼間では見られない艶めいた表情で、乾が話し掛けてきた。
昼と夜では、姿かたちは同じでも、少し違う種類の生き物に変わっている。
そんな気がした。

「少し前に、この場所で国光さんが、俺に質問されたことがありましたよね」
「こういう関係になってもいいと思ったのはいつかという質問のことか?」
「ええ、それです」
乾は楽しそうに笑いながら頷いた。
「同じ質問を、今、返してもいいですか」

手塚も頷いたものの、答えはすぐには出てこない。
恋愛の対象という意味でなら、初めて会った瞬間だったと言ってもいい。
手塚が、寝たいとか寝てもいいと思えるのは、恋愛感情を持った相手しかありえない。
ただの身体だけのつきあいや、行きずりの関係は手塚には考えられなかった。
身体を預けたり受け止めたりするには、愛情という支柱が必要なのだ。

乾に対して恋情を感じたのは、知り合ってすぐだ。
好きになるという予感は、それこそ、初めて顔を見た瞬間だった。
だが、実際に寝てみたいと思ったのは、もっと後だったはずだ。
もちろん、少しも意識しなかったわけじゃない。
だが、どこかでそれ以上を考えてはいけないと、自分でも気付かないうちにセーブしていた気がする。
過去の経験で、ストレートの男との恋愛は、うまく行かないことを嫌と言うほど知っていたからかもしれない。

乾から好意を持っていることを告げられた後も、すぐにそういう関係になりたいとは思わなかった。
とにかく恋愛自体が久しぶりだったから、慎重になっていたのだろう。
同時に、少しずつ二人の関係が深まっていく過程自体が楽しかった。
だから今のままで良いと、思っていたのではないか。
――あの夜までは。

「はっきりと意識したのは、多分、誕生日の夜だ」
「強引に、押し倒したときでしょうか?」
押し倒すなんて言葉を、丁寧に言うのがおかしくて、手塚はつい笑ってしまった。
だが、乾の方は、明らかに驚いた顔をしていた。

「意外、か?」
「ええ。正直に言わせていただくと、もう少し前かなと思っていました」
乾がそう考えるのは、当然だろう。
キスまでしておいて、その先をまるで意識しない方が不自然だ。
実際、いつかそうなりたいとは心のどこかで考えていたと思う。

手塚は性的に奔放な性質ではないが、決してそれを楽しめないわけではない。
過去に恋愛関係にあった相手とは、それなりのつきあいをしてきた。
なぜだか、不思議と今までつきあった男は、大抵、手塚に対してイニシアチブを取りたがった。
ベッドの中で受身になるのは、別にかまわないし、多分自分はそっちの方が向いているとも思う。
でも、日常生活すべてにおいて、過剰に保護されたり支配されたりするのは好まない。
結果として、それが原因で別れたこともある。

だが、征服欲みたいなものを、乾は少しも持っていないように思える。
少なくとも、手塚にそれを感じさせたことはない。
だからといって、一方的にこちらに奉仕するわけでもない。
ベッドの中では、ふたりで気持ちよくなろうと、言葉ではなく、行為で示された。

あらゆる意味で、乾は自然だった。
そばにいると呼吸が楽になるような、一人で寝るよりも、深く眠れるような感覚になる。
こんな男は、初めてだ。
吐息が顔に当たるくらい近くにいて、体温を感じられれば、それでいいと思えるほど。

「セックスだけが気持ちの良いことじゃないだろう?こうしているだけでも、本当に落ち着いて気分がいいんだ」
スタンドのオレンジ色の光は、柔らかな繭のようにも見える。
その内側は、とても暖かくて心地よかった。

「嬉しいお言葉ですが」
乾は、ほんの僅かだけ唇の端を引き上げた。
「ドキドキしたりは、してもらえないのかな」
「え?」
「俺は今現在、ものすごくドキドキしているんですが」
「嘘だろう?」
「本当ですよ」

突然身体の下に手を差し込まれ、強引に乾の方に引き寄せられた。
そのままの状態で、下半身を押し付けられる。
一瞬、何事かと思ったが、すぐに腰の辺りに熱と昂ぶりを感じた。
「ね?」
身体ははっきりと主張しているくせに、微笑む顔は涼しいままだ。

手塚は、わざと大げさに息を吐いた。
「わかりにくい男だな、君は」
「これ以上ないってくらい、わかりやすいじゃありませんか」
「顔や声に出ないって言ってるんだ」
落ち着き払った声と態度は、手塚を安心させるけれど、本心をうまくカモフラージュする役目も持っている。
こうやって、身体を密着しなければ、どんな熱を内側に秘めているかなんて窺がえない。

「じゃあ、もっと近づいて良く見てください」
腰に手を回し、ぐっと力を入れて、さらに身体を押し付けてくる。
薄い布越しに触れる乾は、さっきよりも熱が高くなっているようだ。
ちゃんと顔を見るよりも先に、そっちに気をとられる自分が恥ずかしい。

「どうです?」
笑う顔は、さっきまでと何も変わっていないように見える。
だけど、切れ長の瞳には、少し前にはなかった艶があった。
「ああ。もう、わかった」
手塚がやるべきことは、きっとひとつ。
自分から乾の背に手を回し、思い切り力を入れた。

「俺も、わかりましたよ」
響きのいい声が、手塚の耳もとを、そっとくすぐる。
「国光さんも、どきどきしてる」
「それだけじゃないぞ」
「そっちは、これから時間をかけて確かめます」
乾は、笑いを含んだ声でそう言ったあと、パジャマの中にするりと手を滑り込ませてきた。

まったく油断も隙もない。
だけど、そういう男だからこそ、好きになったのだ。
乾に隙がない分、手塚は安心して隙だらけになってやる。
肌を滑る掌の感触を楽しみながら、そんなことを考えて、手塚は自分でも気付かないうちに笑っていた。

2009.04.07

このシリーズは意図的に乾側の心理を描いてないんですが、そろそろ新しい展開にしてみたいような。