サプリメント (※R18)
子どものころは夏が大好きで、季節が過ぎてしまうのが、さみしくて仕方なかった。だが、今年は9月が目の前に来ているのに、少しも涼しくなる気配がない。
大人になってからかも、夏は嫌いな季節ではないが、今年はさすがに秋が恋しい。
仕事場にしているマンションの、窓という窓を開け放しても、ほとんど風が入ってこない。
そろそろ西の空が赤く染まり始める時刻なのに、一向に気温が下がらないのだ。
本当は、乾が来る前に部屋の空気を入れ替えておきたかったのだが、これではかえって逆効果になりそうだ。
きっと乾は、仕事を終えたら、電車でここまで来るだろう。
あまり部屋を冷やしすぎるのは得意じゃないが、満員の電車に揺られてきた相手を、暑苦しい部屋に通すのは申し訳ない。
手塚は、エアコンの設定温度を、いつより少し低めに設定しなおした。
乾が来る予定の時刻まで、二時間はある。
やりかけの仕事を進めている間に、部屋の温度も下がるだろう。
手塚は、開けた窓をひとつひとつ閉めてから、愛用のノートPCに向かう。
ふと目をやった窓の向こうでは、空がオレンジ色に染まり始めていた。
日が暮れるのが、ずいぶん早くなったと感じる。
なかなか涼しくはならないが、季節は確実に動いているのだ。
夜が長いのは嫌いじゃない。
今日のように、一緒に過ごす相手がいるならなおのこと。
もうすぐ会えるはずの男の顔を思い浮かべると、つい口元が緩む。
意識して、顔を引き締めてから、やりかけの仕事に向き直った。
時間に正確な男は、今夜もほぼ予定通りにやってきた。
それでも五分遅れたのが気になったのか、ドアを開けるなり、遅くなりましたと頭を下げた。
「外は暑かったろう」
「ええ、そりゃもう。ここは涼しくて幸せです」
片手でネクタイを緩めながら笑う乾の顔は、確かに汗ばんでいる。
都心では、夜になっても気温が下がらず、とにかく蒸し暑い。
さすがにスーツの上は着ていなかったが、きっちりネクタイを締めいては、かなり辛いだろう。
部屋を冷やしておいて良かったと、手塚は思った。
「冷たいものでも持ってくる。なにがいい?」
「待って。その前に」
キッチンへ向かおうとして手塚を、乾が引き止めた。
腕をつかむ大きな手は、とても熱い。
「久しぶりですから、まずはご挨拶を」
「ん」
乾の手の熱さに気をとられて、間抜けな返事をしてしまった。
乾はくすりと小さく笑ってから、ついばむような軽いキスをした。
「これも久しぶりですよね」
「そうだな」
手塚が笑い返すと、乾はつかんでいた手を、そっと離した。
「残りは後からゆっくり楽しませてもらいます」
手を離しても、つかまれていた場所が、やけに暑い。
久しぶりというのは、あくまで私的な部分での話で、仕事では何度か顔を合わせている。
泊まりに来たのは、約一ヶ月半ぶりだ。
理由は簡単で、乾も手塚も、かなり忙しかったのだ。
春の終わりに乾が担当をしていた連載小説が終わり、一息つく暇もなく、すぐに別の仕事が始まった。
乾が勤める出版社から、新たに創刊された雑誌に掲載されるものだ。
間に入って色々と調整してくれたのは、乾だが、直接の担当部署ではない。
当然、担当も別の編集者だ。
雑誌も新しいが、小説の形態も、それまで経験したことのないもので、これが予想以上に手強かった。
企画自体は半年ほど前から動いていて、自分なりに準備もしていたつもりだった。
だが、実際に始まってみると、想像以上に難しく、まだ試行錯誤を繰り返している状態だ。
乾との仕事も新たに始まる予定だし、年内に発売される単行本も数冊ある。
その兼ね合いもあり、スケジュールがかなり厳しい状況になった。
忙しいのは手塚だけでなく、乾の方も、いわゆるお盆進行で相当大変だったらしい。
なので、ゆっくり会う時間も取れず、週末に泊まりにくることもできなかった。
なんだかんだで、やっと二人で過ごせるまで、一ヶ月以上かかったわけだ。
久しぶりに見せる乾のプライベートな顔は、少し意地が悪そうだ。
だが、その顔にほっとしてしまう。
夕食は、前もって乾から、自分に作らせてくれと言われていたので、素直に任せることにした。
乾が何を作ってもいいように、飲み物だけは色々な種類を揃えておいた。
「今すぐ、作りますからね」という言葉通りに、冷蔵庫の中身と、乾が自分で用意した材料を合わせて、本当にあっという間に用意してくれた。
手塚がしたことと言えば、食器を並べるくらいだった。
メインは、夏野菜とチキンのカチャトーラ。
あとは、大根とわかめのサラダに、梅とちりめんじゃこの焼き飯だ。
「出来合いのものですが」と、ひたし豆の入った小鉢も出てきた。
このメニューなら、やっぱりビールだろう。
ビアグラスを急いで冷やし、テーブルに全部の料理が並んだところで、お疲れ様の乾杯をした。
どの料理も、さっぱりとしていて、とても美味しい。
特に、小梅を刻んだものと、ちりめんじゃこの入った焼き飯が絶品だった。
程よい酸味と塩気に、つい箸が進む。
それを見た乾が、にこにこと笑う。
「麺類は飽きてきたんじゃないかと思って、焼き飯にしてみたんです」
「実はその通りだ。ここのところ、ほぼ毎日麺類だった」
こう毎日暑いと、あまり米を炊きたい気分にならず、素麺や冷たいうどんばかり食べていた。
「冷凍庫に、ご飯が沢山入ってましたから、多分そうだろうと」
この焼き飯も、その残りご飯で作ってくれたらしい。
「さっぱりしたものだけじゃ、夏を乗り切れませんからね。沢山食べてください」
「そうだな」
正直、夏バテ気味で、多少食欲は落ちていたと思う。
だが、久々に二人で食べる食事は、本当に美味しいと感じた。
一人暮らしを始めて、10年くらい経つが、寂しいと思ったことは殆どない。
過去につきあった相手から、一緒に暮らそうと何度か言われたが、ずっと断わり続けてきた。
どうしても、一人でいる時間が、自分には必要だと思ったからだ。
でも今は、こうして一月ぶりに乾と夕食を味わうことを、幸せだと感じている。
なぜだろう。
自分が変わってしまったのか。
それとも乾が特別なのか。
おそらくは、その両方なのだろう。
そして、自分に変化をもたらした要因は、間違いなく乾という存在だ。
その手塚を変えた張本人は、今は暢気な顔で、豆をつまんでいる。
手塚が貸してやったTシャツが、微妙に似合っていないのが、ちょっと可愛いかった。
乾がいると、時間が過ぎるのが早い。
夕食を食べ、後片付けを済ませ、交代で入浴しただけで、もう寝る時間だ。
といっても、このまま本当に眠るつもりではない。
ベッドの中でできることは、睡眠だけじゃないのだ。
ベッドの上に足を投げ出して座って、乾が来るのを待つ。
乾は、手塚が贈ったパジャマの上を、するりと脱いで、椅子の背にかける。
かっちりとスーツの良く似合う男は、服を脱ぐと、とたんに印象が変わってしまう。
黒縁の眼鏡を外した目の艶と、何も身に着けていない身体の綺麗な線を知っていることを、自慢したい気分だ。
そんなもったいない事を、実際にするつもりはないが。
スタンドの灯りだけで見る、乾の顔が好きだ。
陰影が強調され、普段よりも精悍に見える。
仕事の話をしているときには感じさせない色気に、嫌でも胸が騒ぐ。
全部を脱いだ乾が、ベッドにあがって来る。
長い指が、手塚の眼鏡を外す。
お返しに、乾の眼鏡は手塚が外した。
これが眼鏡同士のキスの合図だ。
唇を触れ合わせるだけの、ごく軽いキスだったのに、胸が苦しくなった。
自分は、この男がこんなに好きなのかと、改めて思う。
ずっと顔を見ているのが苦しくて、目を反らす。
その間に、乾は手塚のパジャマのボタンを外し始めた。
だが、二つ目を外したところで、ぴたりと手が止まった。
どうしたのかと思い、顔を上げる。
乾は、心配そうな表情で、手塚を見ていた。
「国光さん、毎日ちゃんと食べてます?」
「そのつもりだが」
「ずいぶん鎖骨が目立ってます。体重、落ちてるんじゃありませんか?」
「最近、計ってないからわからないな」
これは、ごまかすために言ったわけでなく、本当にわからないのだ。
確かに食欲のない日も度々あったけれど、なるべく三食きちんと取るようにしていた。
この暑さだから、多少落ちたかもしれないが、乾が顔を曇らせるほど痩せたとは、自分では思えない。
そんなに心配しなくてもいいのに──。
少し待っても、乾が動く気配がないので、自分でボタンを外す。
あとひとつというところで、乾が手塚の左手を押さえた。
「今日はやめましょう」
「どうして」
「痩せすぎです」
開いたパジャマの襟を、乾は無言で直し、そのまま軽く抱き寄せた。
「お願いだから、あまり無理をしないで」
感情的になりそうなのを、抑えているような声だった。
その声を聞けば、乾が本気で心配してくれていることは、痛いほど伝わってくる。
でも、今欲しいものは、その言葉ではない。
「嫌…か。痩せた俺を抱くのは」
「嫌ではありません。でも、痛々しい貴方を抱いてしまうのが申し訳なくて」
乾が嘘を言っているわけではないのは、声を聞けばわかる。
本気で、手塚の体調を心配してくれているのだ。
自分ではたいしたことないと思っても、他人の目には、ひどく痩せたように見えるのかもしれない。
そうやって、自分を大事にしてくれる気持ちは素直に嬉しい。
でも、今、手塚が欲しいのは、それではないのだ。
こうして抱き合っているだけでも、その気持ちはどんどん強くなってくる。
だから、正直に、乾に伝えることにした。
「俺は、今すぐ抱いて欲しい」
背中に回した手に、ぎゅっと力を込めた。
ぴくりと、乾の身体が反応する。
「無理は」
その先を乾に言わせるつもりは、なかった。
「無理じゃない。本当に、そうしたいんだ」
パジャマ越しに伝わる乾の体温を、愛しいと感じる。
きっと素肌でなら、もっと強くそう思うはずだ。
「本当に、いいんですか?始めてしまったら、きっと加減できませんよ」
「いいんだ」
そんなものは、必要ない。
もちろん、手塚だって加減などするつもりはない。
言葉で説明するのが面倒だったので、こちらから乾を押し倒してやった。
胸を押さえつけ、上から顔を覗き込むと、乾はびっくりしたように目を丸くしていた。
「手加減は、いらない」
「…どうやら、そのようですね」
乾は、くすりと笑い、ゆっくりとこちらに向かって手を伸ばす。
大きな手に腕をつかまれ、そのまま乾の胸の上に引き寄せられた。
間近に見る乾の顔は、楽しそうだ。
「こういうアングルで、貴方を見るのもいいですね」
「そうか」
「でも、やっぱり慣れている方で」
何をする気だと尋ねる前に、あっさりと上下を入れ替えられた。
激しい動作ではなかったけれど、男二人の急な体重移動に、ベッドがぎしりと音を立てる。
「こっちの方が、しっくりきます」
にこりと笑う顔は、無邪気すぎて、かえって性質が悪そうに見える。
だが、乾のそういうところが好きだから、問題はない。
しばらくぶりに見る眼鏡のない顔や、裸の胸に気をとられているうちに、簡単にパジャマを脱がされてしまった。
その間に、手塚の額や唇に、短いキスをするのも忘れない。
本当に器用な男だ。
ついさっきまで、切羽詰った気分だったのに、今はリラックスしつつある。
乾の落ち着きが、自分にも伝染したのだろうか。
だからといって、やる気がなくなったわけじゃない。
自分から乾の背中に手を回すと、自然と声が漏れた。
誰かを欲しがる自分を、浅ましいと感じたことが何度もあった。
感じる必要のない後ろめたさを、勝手に自分から背負い込んでいたのだと思う。
でも、乾とこうなってから、そういうネガティブな感覚がどこかに消えてしまった。
これまで、口が裂けても言えなかったのに、乾になら抱いてくれと言える。
背中に当たるシーツの冷たさを忘れてしまうくらい、長いキスをした。
唇を離したとき、少し息が上がっていた。
そんな手塚を見て、乾がふっと目を細めた。
「ああ、やっと力が抜けたみたいだ」
「え?俺のことか?」
「やっぱり気づいてなかったんですね」
一瞬、飽きれられたのかと思ったが、そうではないようだ。
手塚を見つめる瞳は、ただ優しい。
「いつもより身体が硬かったんです。緊張しているみたいに」
色んなことが、急に腑に落ちた気がした。
多分、乾の言うことは当たっている。
新しく始めた仕事になかなか順応できず、普段よりも仕事の時間が長くなっていた。
締め切りに間に合わせるために、無理を重ねたという自覚もある。
だが、それはあくまで物理的な意味での無理であって、精神的なストレスとは違うと思っていた。
でも、乾が言うように、ずっと緊張状態が続いていたような感じがする。
わかっていなかった分、知らず知らずに我慢を重ねていたのかもしれない。
自身のことであってもも、自分ではよく見えないものもあるのだ。
そのかわり、乾がちゃんと見ていてくれる。
自分は、ただ乾を信じて、任せてしまえばいい。
「お前に、全部任せていいか」
「ええ。全部預けてください」
「頼もしいな」
「今、気づいたんですか」
否定も肯定もせず、黙って自分から乾の背に腕を回した。
これで、乾には伝わるはずだ。
自分から、預けろと言っただけあって、乾はもう何も遠慮しなかった。
器用な指が、あっけないほど簡単に、快感を引き出してしまう。
すぐに呼吸が乱れ、体温が上がり始める。
いつもより繊細に動く指に、身体と心の両方の強張りが、ほどけていく。
それから乾と繋がるまでに、そう長い時間はかからなかった。
「辛くないですか」
乾は、手塚の顔を上から覗き込むようにして言った。
気遣う言葉ではあるが、その声の質は甘い。
「……ああ」
「本当に?」
「すごく、いい」
ただ達くだけなら、必ずしも身体を繋がなくたっていい。
でも、もう自分は、乾とするときの快感を覚えてしまっている。
溜め込んだ欲求を、単純に吐き出すための行為とは、まったく違う。
今、自分が欲しくてたまらないのは、あの感覚なのだ。
それは、ただ身体に触れるだけじゃ、決して得られない。
「続けてくれ」
「素直なんですね」
笑いかけてくる乾に、頷いて答えた。
気の利いた返しをしたくても、そんな余裕はもうない。
快感は高まる一方で、このままではどうにかなってしまいそうだ。
「遠慮しませんよ」
微笑む乾の額には、汗の粒が浮かんでいた。
汗をかくほどに、乾も熱くなっていたのか。
一方的に手塚だけが、相手を欲しがっているわけじゃない。
そう思うと、更に身体が火照るようだ。
「……もう動いても?」
そう聞く乾は、もう笑ってはいなかった。
「ん」
短く答えると、手塚の膝の裏に手をかけて、大きく動き始めた。
声が出そうなのを、固く目を閉じ、ぎりぎりで堪える。
とたんに、全身がびくんと反応した。
何かを我慢すると、別のところに反動が来るものだ。
「声、出していいのに」
低い声で囁かれ、つい目を開く。
確かに、乾の言う通りだ。
乾の前では、何も隠さなくていいと思っているはずなのに、なぜか声を出すのを堪えてしまう。
いつの間にか、抑えるのが癖になっているのかもしれない。
自分ではどうしようもないなら、乾になんとかしてもらえばいい。
「お前が、俺に」
一度、言葉を区切り、息を吐く。
乾の首に片手を回し、力を入れて引き寄せてから、続きを囁いた。
「声を出させてみろ」
乾が、小さく笑ったような気がした。
「やってみます」
そう言っても、いきなり激しく動いたりしないのが、乾らしい。
耳朶を軽く噛んだり、腰骨を撫で上げたりと、間接的な刺激を立て続けに手塚に与えた。
その動作ひとつひとつは大胆なものではないけれど、どれも的確に弱点ばかりを突いてくる。
続け様の快感に、何度も背中が反り返った。
きっと声も上げているのだろうが、自分では良くわからなかった。
それなのに、乾の荒い呼吸は、はっきりと聞こえている。
全身くまなく気持ちがいいが、身体の奥は、まだ足りていない。
腕を伸ばして、乾の首の後ろに回すと、手塚を見下ろす男は、眼鏡のない顔で薄く笑った。
「もっと欲しい?」
「……欲しい」
もしかしたら、今、手塚も笑い返したのかもしれない。
乾は、とても嬉しそうに目を細めた。
微笑んだのだろうが、なぜか酷薄に見えた。
そんな笑い方が、とても好きだ。
途切れ途切れに乾の口からこぼれる言葉には、しばらく気づかなかった。
何度か繰り返されて、ようやく何を言っているか、わかった。
乾は、ずっと手塚の名前を呼んでいたのだ。
それに気づいた瞬間、乾の背を抱く手に力が入った。
同時に、自分では意図しなかった部分も、乾を締め付けてしまった。
低く呻いた乾の声で、かっと全身が熱くなる。
おかしな気分だった。
乾が言うように、凝り固まっていた心が、ゆるやかに解けていくのが自分でもわかる。
同時に、身体の全部が、狂おしいほどに乾を求めている。
自分がとろとろと溶けていくようにも思うし、神経は鋭敏に研ぎ澄まされているようにも感じる。
なにがなんだからわからなくなって、ひたすら乾にすがりつく。
頭の中も、身体も、気持ちが良すぎて、どうしていいいのかわからない。
察しのいい男は、手塚の耳元で、熱い息を吐き出すように笑った。
「…俺に、預けてと言ったでしょう?
ああ、そうだ。
なにもかも任せてしまって良かったのだ。
乾に笑い返し、そこから先は考えることを放棄した。
あとは単純に、ただ気持ちのいい行為に没頭する。
全身が汗で濡れている。
呼吸は荒く、声だって上げているだろう。
身体が何度も跳ねる。
全部、ちゃんと自分でわかっている。
わかっていても、なにも恥ずかしくなかった。
それよりも、もっと気持ちが良くなりたいということしか考えられない。
だけど、今夜の自分は、さらに欲張りだ。
乾も同じように感じて欲しい。
快感を分け合うために、ふたりで抱き合っているのだから。
「…お前も…いいか?」
苦しいのを堪えながら聞くと、乾も荒い呼吸の合間に答えてくれた。
「…もちろん」
口元は笑っているが、どこか切なそうにも見える。
乾にも、もう余裕はないのだ。
せき止めているものを、早く吐き出してしまいたい。
同時に、もっともっとこの快楽を味わっていたいとも思う。
結論を出すのは、思考ではなく、結局は自分の身体だ。
与えられる刺激をより深く飲み込もうととして、全身が勝手に反応する。
限界だ──。
そう感じたのは、自分だけではなかった。
乾の動きが大きくなり、終わりが近いと告げている。
目を開くと、汗に濡れた乾の顔が見えた。
いぬい、いぬい、いぬい。
繰り返し名前を呼んだが、声が出ていたかどうかはわからない。
たとえ出ていなくても、乾には聞こえたはずだ。
一瞬早く手塚が達し、ひと呼吸おいて乾が息を詰めた。
それから、低い声で乾が囁いたのは、手塚の名前だった。
もう一度、背中を抱きたかったけれど、それだけの力が手塚には残っていなかった。
呼吸が戻るまでに、長い時間を必要とした。
一度しかしていないのに、いつもの何倍も疲れている。
すぐに、シャワーを浴びに行くだけの気力もない。
腕を持ち上げるのさえ億劫だったが、額にかかる前髪だけは自力ではらった。
途中からは、乾が長い指で直してくれた。
「知らなかった」
暖色のスタンドの灯りに、乾の柔らかい笑顔が浮かびあがる。
「ん?」
重くなってきた瞼が閉じてしまわないよう、意識して目を開く。
「あなたが、こんなに誘い上手だとは」
「たまには、年上らしいところも見せないとな」
そう答えては見たが、本当に上手く誘えていたのか自信はない。
「どこも辛くないですか?」
髪を撫でていた手が、今度は手塚の頬を包む。
「心配性だな、お前は」
「貴方、限定で」
「どうだかな」
「俺は、そんなに優しい人間じゃないんです」
乾の言うことは、どこまで本当なのか判断が難しい。
まして、情事のあとでは、頭がうまく働かない。
ならば、自分に都合のいいことだけ信じておけばいい。
本当は、誰かに心配されるのはあまり得意じゃない。
でも、乾の気遣いは、素直に嬉しいと思えた。
大切にしてくれるから、好きなわけではない。
好きな相手が、大事に思ってくれるから嬉しいのだ。
それに、優しくされればいいというものでもない。
ときには、少し無茶をする方が、いい結果を生むこともある。
今夜のように──。
「疲れましたか?」
「ああ。でも、気持ちのいい疲れだ」
ただ疲労するだけでなく、十分に心と身体を満たすものがあるからだと思う。
欲しいと思った相手は、乾が初めてじゃない。
でも、自分を丸ごとやりたい思ったのは、乾が初めてだ。
明日の朝、目が覚めるまで乾との「行為」は継続している。
こんな時間を過ごせるのは、この男だけだ。
全身の細胞ひとつひとつに、乾から受け取ったものが浸透していくようだ。
「まだ俺が痛々しく見えるか」
ずっと気になっていたことを、乾に尋ねてみた。
「今は、そうは見えません」
むしろ、と言いかけて乾は口を閉じてしまった。
「途中で止めるな。余計に気になるだろう」
手塚が睨むと、乾は困った顔で笑う。
「いつもより、綺麗に見えるって言いたかったんですけどね」
「言わなくていい」
「どっちですか」
乾は、くすくすと笑いながら、手塚の身体をゆったりと抱き寄せた。
汗が引き始めた肌が、ぴたりと吸い付く。
乾の肌の感触や温度が、面白いくらいに馴染んでいく。
疲れた身体に、とても心地よかった。
過剰摂取さえしなければ、間違いなく『乾』は身体にいい。
さじ加減は、少しだけ難しいが。
2010.12.19
ベッドでは、ハルと呼ぶことになったはずなんですが、こっぱずかしくて書けなかった。
乾は、大変身体に良いと思います。手塚限定でね。後日、少し文章を整えたい。(※12/19 少しだけ手を入れました)