ゴシップ

滅多に受けないインタビューに応じてしまったことが、そもそもの失敗なら、うかつに口に出したあの言葉は、まさに失言だった。
『恋人がいる』
どうして、そんなことを口走ってしまったのか。
今頃になって後悔しても、もう遅すぎた。


「恋人って、誰?」
久しぶりの電話で、いきなりそんなことを聞ける不二という人間は、つくづく手塚の理解を超えた存在だと思う。
「何を言ってるんだ?」
「インタビュー、読んだよ。恋人がいるって答えてたじゃない。で、誰?僕が知っている人?」
「どうして、そんなプライベートなことを、お前に言わなくちゃいけないんだ」
それ以前に、昨日発売の女性向け雑誌に掲載された記事を、どうして不二が読んでいるのか。

「やだなあ。僕が大事な友人のインタビューを見逃すはずないじゃない。君のことならなんでも知りたいと思ってるんだよ」
しらじらしいにも程がある。
にっこりと笑うあの独特の笑顔が目に浮かぶ。
いかにも穏やかで人の良さそうな微笑みに、何度騙されたことか。
学生時代からの数々の記憶が、嫌でも、よみがえってくる。

「そんな話なら、切るぞ。締め切り間際で、忙しいんだ」
実は、既に急ぎの仕事は終わっているけれど、ここで馬鹿正直に告げる必要はない。
「え、ちょっと。それは、僕には言えないってことかな?」
「お前だろうが、他の誰かだろうが、話す気はない」
「ケチ」

ケチとはなんだ、ケチとは――。
喉元まで上がってきた言葉を、必死で飲み込む。
ここでそんなことを言えば、逆に不二に付け入る隙を与えかねない。
口では不二には絶対敵わないのだから、強引に電話を切ってしまうより他は無かった。

携帯をぱたんと折り畳み、思い切り深くため息をつく。
やっぱり、インタビューなど断ればよかった。
せめて、はぐらかして答えるくらいの機転を利かせることが、どうして出来なかったのか。
今更だなと無意識に呟いて、手塚は二度目のため息をついた。

乾が顔を見せたのは、その夜のことだった。
相変わらず時間通りに手塚の仕事場に到着し、いつものように打ち合わせようのソファに座る。
一通り、仕事の話を終えた後で、乾はふっと思わせぶりな笑顔を浮かべた。

「先生のご発言で、編集部内が騒然となってますよ」
主に女性社員が――と付け加えることを忘れない。
担当する部は違うが、自社の雑誌に載った記事だ。
知っていて当然だろう。
だが、できることなら不二の次くらいに、乾には読まれたくなかった。

「一応、しらばっくれておきましたが」
乾は、唇の端を持ち上げてから、眼鏡のブリッジを中指一本で押し上げた。
「僕のことだと、思っていいんでしょうか」
「二股をかけるほど、器用じゃない」
わざと不機嫌な顔を作って、横を向く。
だが、乾の視線をはっきりと感じる。

「では、真相は明かさないでおきますね」
「そうしてくれ」
横を向いたまま答えたら、くすっと小さく笑う声が聞こえた。
今頃になって、頬が少し火照ってきた。

恋人という表現は、どうにも面映い。
口にする機会は日常では滅多になく、せいぜい活字の中だけで生きている言葉に思える。
だが、自分にとっての乾は何かと考えると、それはやっぱりこの言葉になるのかもしれない。

彼氏では、軽々しい。
愛人でもない。
大切な人であり、好きな人というのも間違いじゃない。
でも、それだけでは恋していることを語れない。

乾に出会うまで、いくつかの恋をした。
どれも、自分なりに真剣だったけれど、恋人と呼べる相手は一人もいなかった。
もし、あのインタビュアーが「恋人」という言葉を使わなかったら、手塚はきっと何も言わなかった。
「恋人がいるか」と聞かれたとき浮かんだのは、乾だった。
だから、つい「いる」と言ってしまった。
それだけだったのかもしれない。

気がつけば、いつのまにか、乾の顔を見つめていた。
乾も黙って、手塚を見つめ返していた。
口元には、皮肉めいたものではなく、静かな笑みが浮かんでいる。

「編集長にばれたら、僕は殺されるかも」
乾の声は楽しそうだ。
「大袈裟だな」
「担当している作家に手を出したなんて、大石が許すと思います?」
「手を出した?」
「あれ?違いました?出されたのは、僕ですか」

この場合、どっちが正解なんだろう。
先に好きになったのは自分だけれど、攻め込んできたのは乾からだ。
案外、難しい質問に、手塚はつい腕組みをした。
だが、乾のペースに引きずり込まれていることに気づき、慌ててその考えを打ち消すように頭を振った。

「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題なんでしょう」
ここでもまた考え込みそうになってしまい、手塚は乾を軽く睨んだ。
どうしても、乾のペースに持っていかれることが、少し悔しい。
だけど、そういう男だから惹かれているのも本当のことだ。

「先生、明日のご予定は」
乾はニヤニヤした笑いを引っ込め、手塚の好きな落ち着いた声で話しかけてきた。
「今日と変わらない。朝から夕方まで、ここで仕事だ」
「では、今夜は?」
「この後は、特にない」
手塚の答えに、乾は息を吐くようにして笑った。
間にテーブルを挟んでいるのに、真向かいに座る乾の吐息が触れたような気がした。

「では、少し僕に時間をいただけませんか」
「少しでいいのか」
「それは、先生次第かも」
少し低くした乾の声には、独特の艶がある。

「僕が恋人なんでしょう?」
そうだ、とは言えなかった。
囁くような声は、その余裕さえ与えてくれない。
「恋人らしいことを、させてください」

恋人という言葉は、自分で言うのは恥ずかしい。
だけど、当の恋人自身から言われると、それどころじゃ済まないのようだ。
黙って頷くのが精一杯で、正面から身を乗り出してきた乾の手を、払いのけることもできない。
少し無理な体勢のキスは、それでも矢張り甘いのだった。

2008.07.28

二ヶ月くらい前に書き始めたもの。何度かの中断の末、やっと出来た。

実は、乾と不二様は裏で連絡を取り合っている気がする。