egoist
乾が眠るところを初めて見たとき、とても緊張したことを、今でもたまに思い出す。自分の腕を枕に机に突っ伏して眠る乾は、予想していたよりもずっと幼い顔をしていた。
今、本人に向かってその話をすると、乾は困った顔で笑う。
多分、照れているのだと思う。
中学生の頃、乾は極端に睡眠をとらない人間なのだと、勝手に思い込んでいた時期があった。
何度泊まりにいっても、乾は手塚よりも後に眠り、手塚が目覚めるよりも先に起きていたからだ。
合宿で同じ部屋になったときも同様で、結局一度も乾の寝顔を眺めるチャンスは来なかった。
とは言え、部員のほとんどが知らない、乾の眼鏡を外した顔なら何度も見ている。
なので、眠る顔にはなんとなく想像もつくから、なにがなんでも見てやろうとまでは思わなかった。
ほうっておいても、そのうちに見る機会もあるだろうと、考えていた。
だから、乾が部室で眠ってしまっているのに気づいたときは、随分驚いた。
細かい状況までは覚えていないが、きっと作戦会議かなにかで居残っていたのだろう。
二人きりだったことだけは、はっきりと記憶している。
それだけ、当時の自分には印象に残る出来事だったのだ。
急に静かになった乾を不思議に思い顔を上げると、乾は机に伏せるようにしていた。
多分、一度そこで名前を呼んでみたのだと思う。
でも乾からの返事はなく、自分の腕に頭を乗せ、顔の左側を下に向けて、目を閉じていた。
念のために、もう一回名前を呼んでも返事がなく、そばに寄ると規則的な息遣いが聞こえた。
度のきつい眼鏡が、少しだけずれている。
ああ、本当に眠っているんだ──。
やっぱり、乾も普通に眠るのか。
馬鹿みたいだが、そのときは、本気でそう思った。
素顔を知っているのだから、今さら寝顔で驚くはずもない。
そんな風に思っていたのに、実際は、心臓がどきどきするのが自分でわかるほどだった。
無防備に眠る乾は、子どものような顔をしていた。
いや、その頃はまだ十四だったのだから、実際に子どもだったのだ。
でも、あの当時の自分には、乾はとても大人に見えていた。
いつも落ち着いていて、感情をむき出しにしない。
それは、手塚の目には、一種のガードに思えて仕方なかった。
そんな乾が、電池が切れたみたいに、すとんと眠ってしまうなんて──。
あのときの気持ちを、当時は自分でもよく理解はしていなかったと思う。
今ならわかる。
ガードの向こう側を見られたことが、ただ嬉しかったのだ。
でも、あのとき心にあったのは、もっと単純で強い思いだった。
この顔を自分以外の、誰にも見せたくない。
もう少しだけ。
もう少しの間でいいから。
せめて乾が目を覚ますまで、誰も部室のドアを開けないでくれ。
乾のとなりに立ったまま、そう願った。
あれから10年近く経った今でも、眠る乾の顔は、やっぱり少しだけ幼く見える。
無防備に、安心しきった顔で眠る男の顔は、遠い日の子どものままだ。
自分も、乾の前ではこんな風に、幼い顔で眠っているのだろうか。
今、乾の眠る顔は、自分が独り占めしている。
あのときの願い通りに。
2010.07.20
片方が、眠っている相手を見守るという図が好きで、何度も書いてしまう。