Freeze (R15)
たとえば、の話だ。一年前には、もう手塚を好きになっていた。
一年後にも、間違いなく、手塚を好きでいるという自信がある。
でも、手塚はどうなのだろう。
一年後の手塚は、俺のことを好きでいてくれるだろうか。
不安になっているわけじゃない。
手塚の気持ちが、どう変わろうと、俺はそれを受け入れられる。
ただ、時々、ふとそんなことを思う瞬間があるというだけの話だ。
八月に入ってから、ずっと好天が続いている。
今は夏休みの真っ最中だけれど、テニス部員に休みは殆どない。
多少涼しい午前中に部活があり、雨でも降らない限り毎日のように部員とは顔を合わせることになる。
午後からは自由だが、大抵の部員は気の合うもの同士で自主的に練習をしていた。
俺の自主トレのパートナーは初日から、ずっと手塚だった。
こんな贅沢なことが、あるだろうか。
夏休み中に、毎日会えるだけでも感涙もの。
その上、テニスまでも独り占めなんて、幸せすぎる。
あまりに幸せで、テニスだけで一日を終えるのがもったいない。
だから毎日手塚を家に呼んでしまうのだと言ったら、ものすごく冷たい目で見られた。
でも、ちゃんとつきあってくれるのだから、結局はお互い様なのだと思う。
二人きりの部屋には、湿った音と熱気がこもっている。
冷房が苦手な手塚のために、設定温度は、やや高めにしてあった。
だから、俺も手塚も繋がる前から既に汗だくだ。
それくらいの方が、気分が盛り上がっていい。
両親には長期休暇なんてないから、日中はやりたい放題だ。
午前中はテニスコートで、午後からはベッドの上で汗を流す。
もちろん、毎日そんなことをしているわけじゃないけれど、やりたいときには、いつでもやれると思うのはやっぱり楽しい。
我慢しなくていいという心理的作用は大きいのだ。
俺も手塚も、どちらかと言えば色白だが、さすがに真夏になれば多少の日焼けはする。
小麦色とまではいかなくとも、夏らしいと感じる程度の色に焼けていた。
だが、あまり陽に晒さない腿の内側は、真っ白なままだ。
手塚の足の付け根の特に白い部分に、小さな赤い斑点を残したことは、きっと本人にはばれていないと思う。
そんなことに気づく余裕は与えていない。
声を出さないように耐えている分、手塚の呼吸はひどく荒い。
俺の指の動きに合わせて、裸の腰がびくんと跳ねる。
口に咥えた昂ぶりは、更に硬く張り詰めてきたのが、はっきりとわかる。
何度もシーツを握りなおす手を、包み込むように上から握ってやった。
「乾」
手塚の、少し掠れた低い声。
ベッドの上でしか聞けない声の色だ。
それを今日も聞けたことに、満足する。
わざと音を立て、勿体をつけるように手塚から唇を離した。
「なに」
「それは……もう、いい」
顔を上げると、汗ばんだ胸が上下しているのが見えた。
「それって?」
手塚の言いたいことは、ちゃんとわかっている。
何をして欲しいかを本人の口から言わせたくて、俺はわざと聞き返した。
手塚は一度息継ぎをしてから、言葉を吐き出す。
「指を、抜いてくれ」
「いいのか?抜いても」
これが、次に続く言葉を誘導するためのものだと、きっと手塚もわかっている。
よほど焦れているのか、手塚には珍しく、あっさりと願いを口にした。
「指じゃなくて、お前がいい」
可愛い台詞だが、まだ足りない。
もう少しだけ苛めてみたい。
「指も、俺の一部だけど?」
小さく笑いながら告げてやると、手塚は頭を持ち上げて俺を睨んだ。
「……本当に嫌な奴だな、お前は」
強く噛み締めたのか、唇が赤くなっていた。
白い肌とのコントラストの鮮やかさに目を奪われた。
その間に、手塚は無理やりに身体を起こし、俺の腕を攫む。
その反動で、第二関節まで埋め込んでいた指が抜けた。
華奢に見えても、手塚の腕の力は物凄い。
抵抗する暇もなく、手塚は強引に俺をを引っ張り上げる。
細い指は痛いくらいに強く二の腕を攫み、掌からは焼けるような熱が伝わってきた。
そのくせ、俺を見上げる刺すような視線は、とても冷たく見える。
それは、高すぎる熱を、冷たいと錯覚するのと似ていた。
目が合ったのは一瞬で、すぐに手塚は両腕を俺の背中に回す。
さっきと同じような力で、俺を抱きしめた。
暴力的なほどの強さで、手加減は一切ない。
まさか絞め殺すつもりではないだろうが、仕返しくらいは考えているかもしれない。
次に何をしかけてくるのか、俺は大人しく待っていた。
というより、それしか出来なかった。
どちらにしろ、この状態は長くは続かないだろう。
お互いにもうギリギリのところまで昂ぶっているのだから。
だが、多少腕の力は緩んだだけで、動く気配はない。
手塚が何をしたいのか、わからない。
俺が苛めたことを起こっているのだろうか。
少し不安になってきた。
俺は、なんとか首を動かし、顔を覗き込んでみた。
手塚は目を閉じて、大きく呼吸を繰り返しているようだ。
さっきまでの切なそうな表情とは違って、どこかほっとしているようにも見える。
少なくとも怒っているわけではなさそうだ。
そう安心したとき聞き逃してしまいそうなほど、小さな声で名前を呼ばれた。
「いぬい」
多分、俺に聞かせるつもりはなかったのだと思う。
きっと手塚は無意識に言ったのだ。
やっとわかった。
俺が欲しいという言葉の意味を。
少しだけ身体を起こし、汗の浮かぶ湿った額に唇を寄せると、手塚は腕を絡めるようにして俺の首を抱いた。
甘える子猫のように、目を細めて。
やられた――。
本当に、やられてしまった。
手塚は、ただ焦れて、早くしろと催促したわけじゃない。
欲しいと望んでくれたものは、その言葉のままの意味だ。
俺に何かして欲しかったんじゃない。
欲しいなら、いくらでも持っていけばいい。
それくらいの覚悟は出来ている。
全部もらってくれるなら、本望だ。
でも、今はこの状態におさまりをつけなくては、どうにかなってしまいそうだ。
「手塚」
そっと呼びかけると、手塚は黙って瞼を開く。
「挿れてもいいかな」
「…ああ」
溜息なのか肯定なのか、判別が難しい声だった。
だが、手塚は唇の両端を持ち上げ、俺に笑って見せた。
「勿論だ」
そこから先のことは、あまりよく覚えてない。
僅かの時間でも、離れていたくなくて、何度も抱き合って、手を繋いで、身体を重ねていた。
ここ数日の行為の中で、一番多く汗をかいた気がする。
湿ったシーツの上で、俺達はまだ抱き合ったままだ。
手塚の湿った肌は、ひやりと掌に吸い付いた。
俺の腕の中で寝返りを打つ顔が、少し眠そうだった。
言葉だけで片付くなら、抱き合う必要はない。
いくら身体を繋いでも、たった一言に負けてしまうこともある。
今日の手塚を見て、それがよくわかった。
「手塚は、俺のことが好きなんだな」
手塚は閉じかかっていた目を開けて、俺をじっと見つめる。
今更何を言っているのかと、呆れている顔だ。
「いや、そういう意味じゃないよ」
「俺は何も言ってないが」
「でも、何を言いたいかは、わかる」
手塚は薄い色の瞳を俺に向けて、ただ黙っていた。
そして、ごく薄く微笑んでから、ゆっくりと俺に背を向けた。
「多分、それで正解だ」
応える声はとても静かで、少し楽しそうでもあった。
俺の言いたいことも、手塚には伝わったのだろう。
見えない未来のことなんか、考えたって仕方ない。
今、俺が手塚を好きで、手塚も同じように思ってくれるなら、この時間は永遠に俺のものだ。
どこにも行かない。
消えたりもしない。
ずっとずっと、色褪せない。
そんなものが、確かにある。
奇跡のように重なった時間は、一瞬で凍り付いて、永遠に解けない氷になった。
2008.08.23
仮タイトルは「永久凍土」でした。マンモスかよ。
分けるほどの長さじゃないので、まとめなおしました。