秘密

後輩部員にとって、手塚はとにかく怖い存在らしい。
無表情というより無愛想で、いつも怒っているように見えるし、融通の利かない頑固者で、馬鹿がつくくらいの生真面目な態度。
あの長身に冷たい目で見下ろされたら、部に入りたての一年生に萎縮するなという方が無理だろう。
実際の手塚は別に高圧的でもなければ、短気なわけでもないのだけど。

僕達三年生は慣れっこになっているから、今更何も感じないけれど、確かにもうちょっと愛想よくしてもバチはあたらないんじゃないかと思わなくもない。
特に今日の手塚は朝から機嫌が悪く、いつもより眉間の皺が深く刻まれている。
決して怒鳴り散らしたりはしないのだが、その分不機嫌なオーラみたいなものが圧力のように漂ってくる。
可愛そうに、一年生達はびくびくしながら手塚の指示を仰いでいた。

「なんだろうね、あれ」
休憩中にこっそりと英二に向かって言うと、主語を抜いたにもかかわらず何のことかすぐにわかったらしい。
「あ、手塚?んー。機嫌悪いね。不二もそう思ってた?」
「うん」
「なんか、俺達怒らせるようなことしたっけ?」
こそこそと声を潜めて話していたら、例外的に手塚を怖がらない一年生が割り込んできた。
「別にいつもと同じでしょ。部長の機嫌がよかったことなんてあります?」
「確かにいつも無愛想だけどね。でもあんなにぴりぴりはしてないと思うんだけどな」
僕がそういうと、越前は大きい目を僕に向けて納得の行かない顔で首をかしげた。
そんな顔をするといつもは生意気な後輩も少しだけ可愛く見える。

「あれはね、機嫌が悪いって言うより体調が悪いんだよ」
急に背後から低い声がして、僕達三人は同時に振り向いた。
そこにはいつもの大学ノートを手にして薄い笑いを浮かべた乾が立っていた。
「あーびっくりした。急に後ろから話掛けるなよ。焦るだろ!」
英二の苦情に対して、乾は笑いながらごめんと小さな声であやまった。

「体調が悪いって…手塚が?」
「ん。多分疲れが溜まってるんだろ」
僕の問いに乾は当然だろうとでも言いたそうな顔をして答えた。
「疲れてる?あの手塚が?」
「手塚だって人間だろう。疲れることくらいあるさ。ここんとこ、忙しいからな」
言われて僕もやっと気がついた。

そういえば、ここしばらく生徒会長と部長を兼任している手塚は忙しかった。
来週に控えている球技大会と、再来週に控えているテニス部の練習試合。
その二つが重なって大変らしく、部活中にも生徒会の連中が手塚を呼びに来たりしていた。
でも手塚が疲れてるというのがぴんとこない。
練習に集中できなくて、機嫌が悪いというならわかるんだけど。

「疲れてるように見える?」
僕が二人に尋ねると、英二も越前も首を横に振った。
「だよね」
今度は乾を見上げた。
「全然そうは見えないけど」
「え?マジで?」
乾は本当に意外そうな顔をしていた。
恐らく本気で驚いているんだろう。

手塚は普段から殆ど感情を表に出さない。
痛いとか辛いとかなら尚更だ。
多分、人前で弱いところをさらすのが苦手なのだと思っていた。
そんな手塚が疲れているところを悟られるようなまねをするだろうか。

「本当に体調が悪いのかな」
「間違いなく」
僕の疑問に乾は自信ありげに答えた。
「どうしてわかるの?」
「どうしてって…。見ればわかるだろ」
わからない。
三人でそう答えると、乾はふうんと不思議そうな表情をして見せたあとでぽつりとつぶやいた。
「一目瞭然だけどな」

どういう意味かと聞こうとしたときに、手塚がじろりとこちらを見た。
「いつまでさぼっているつもりだ」
いつもより低い声はやっぱり不機嫌そうで、これ以上怒り出さないように僕達は慌ててコートに散らばった。
移動の途中、乾だけはゆっくりと手塚の方に歩いていくのが見えた。

練習が終わり、着替えに戻る途中僕は急いで乾を追いかけた。
どうしても一目瞭然と言った言葉の意味が知りたかった。
乾は部室には向かわずに、どうやら手塚に声をかけようとしているらしい。
その前に広い背中に追いつき、僕はジャージの裾を右手で引っ張った。

「ちょっと待った」
「ん?何?」
「さっきのこと、聞いていいかな」
「さっきのことってなんだ?」
「一目瞭然って意味」
それだけを言うと、乾はちょっとだけ目を見開いてからすぐに笑顔になった。
そして、指先を軽くまげて僕を呼ぶと手塚に声が届かないような場所まで歩いていった。

「気になるの?」
「うん」
乾が手塚に特別な感情を持っている事はわかっている。
だけど同じだけの年月の付き合いがある僕や英二が気づかないことがそんなに沢山あるんだろうか。
それを確かめたかった。

乾は僕から目を離して、どこか遠くを見ているようだった。
でも多分視線の先にいるのは手塚なのだろう。
「手塚はね。体調が悪かったり、すごく疲れたりしているときには瞳の色が薄くなるんだよ」
気づかなかった?と静かな声で言った。
「元々手塚の目の色は薄いけど、調子が悪いときはもっと薄くなるんだ」
「いつ気がついたの」
「さあ、いつだったかな。ずっと前なのは確かだけど。みんなも気がついてると思ってたよ」
くすりと笑う乾に、僕は返事をすることが出来なかった。

君以外の誰が、瞳の色の変化を確かめられるくらいの距離で、手塚を見つめていられると思っているのか。

手塚と同じ目線で、決して目を反らさずに。
そして、手塚にも反らさせることなく。
そんなことが他の誰かに出来るものか。

誰か僕の代わりに聞いてみて欲しい。
僕にはとてもじゃないが聞けそうにはない。
自分が今何を言ったのか気づいてもいない、敏感で鈍感なこの馬鹿野郎には。

2006.05.21

友達から聞いた話が元ネタです。知ってる子が本当にそうなんだって。疲れてるとか体調が悪いと目の色が薄くなるらしい。ちょっと色っぽい話だなと印象に残ってたのです。

不二様は「こいつ…結局おのろけか!」と呆れてるよ、きっと。